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48年前の自民党派閥解散

岸田総理の派閥解散宣言にはじまり、自民党の派閥解散がにわかに大きな政治テーマとなっています。
「経済も社会も大変な時に、派閥がどうのこうのとやめてくれよ」と感じられている方も多くいると思われ、その気持ちもごもっともですが、長年にわたり総理大臣の決定メカニズムに自民党の派閥が重要な地位を占めてきたことは事実です。今後の流れ次第ではこの決定メカニズム自体が変わる可能性があります。
 
私は岸田総理の派閥解散宣言を目にした時、すぐに1976年~1978年にかけて首相を務められた福田赳男さんのことが思い出されました。2007年~2008年に首相を務めた福田康夫さんのお父さんです。
 
福田さんも首相就任直後、自分がトップであった福田派の解散を宣言しています。
当時は今以上に金権政治、つまり「金と政治」に関わる事件が多く、元首相であった田中角栄さんもロッキード事件で逮捕されたりしていました。こうした事件の背景として、派閥のトップが多くの議員を支援しないといけないため、巨額の資金が必要ということがあったのです。
 
そのため、福田さんは福田派を解散することで、こうした金権政治を終わらせようとしました。その裏には、ライバルである田中角栄さんが率いる田中派を解散させる思惑もあったかもしれません。しかし、実際には福田派は解散される一方、田中派は解散されませんでした。
 
福田さんは2年間首相を務めたのちも、自民党総裁選で勝利して首相を継続しようとします。
しかし、派閥解散に応じなかった田中派はその資金力と組織力で選挙戦を展開し、支持していた大平正芳(まさよし)さんの総裁選勝利を実現します。一方で福田さんは派閥を解消していたため組織的な選挙活動ができず、大平さんに敗れたのです。
 
首相から降りた福田さんが再度立ち上げた派閥、それこそが現在の安倍派につながる「清和会」でした。自民党の派閥解散を目指しながらも、再度派閥の必要性を感じて立ち上げた福田さんの派閥が、今度また自民党内の派閥解散の発端になっている。このことには少々歴史の皮肉を感じてしまいます。
 
48年前の自民党派閥解散の動きも、一部の派閥のみにとどまったことが再度の派閥復活につながりました。また、派閥解散ののちに何が自民党総裁、ひいては日本の総理大臣を決める基準、指標となるのかを示さなかったことも問題だったと思います。
48年前の歴史が繰り返されるのか、もしくはそこから学んで新しい展開が開けるのか。今後の動きも注意が必要です。

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