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親鸞の親子対立から考えるリーダーと迎合者の違い

日本で最大規模の宗教団体の一つである浄土真宗。この浄土真宗を創設したのは親鸞(1173年~1263年)ですが、この親鸞、浄土真宗を創設しながらも、その運営のなかで親子が対立し、とうとう晩年には長男と絶縁しているのです。
 
その経緯は次のようなものです。親鸞は京都を拠点として浄土真宗を広めていたのですが、そのなかで関東では、悪いことをしても念仏さえ唱えておけば救われるのだ、という悪行集団が生まれてきたのです。このような事態を望んでいなかった親鸞は、長男(次男という説も)であった善鸞(ぜんらん)を関東に派遣し、教えを正そうとしました。
 
当初は善鸞は、「悪いことをしても念仏さえ唱えておけば救われる」といった間違った考えを正そうとしたのですが、悪行集団は耳を傾けてくれません。そのうち、善鸞は悪行集団をひきつけるため、「私たち凡人は、強いて悪業を止めなくてもよいのだ」と、悪行を認めてしまうような言動を始めてしまったのです。
そして、親鸞から派遣されていた人たちの教えは間違っていて、自分こそが親鸞から秘伝を教わっている、だから自分の方が正しいとも言い始める始末でした。そして、悪行集団への迎合を強めていくのです。
 
その後、時間の経過とともに、善鸞の悪行集団への迎合は親鸞の耳にも届くようになります。自然、親鸞と善鸞の親子は対立するようになりますが、最終的には親鸞は善鸞と絶縁し、浄土真宗を悪行集団から守ろうとしたのです。この時、親鸞は84歳という高齢で、そのショックは大きかったことでしょう。
 
現代でも、企業経営の承継において、現経営者と後継者の間で対立することがあります。特に同族企業の承継などでよく見られるものです。
現経営者はこれまでの経営のあり方を守ろうとする一方で、後継者は経営のあり方を変えて行こうとします。そのなかで、現在の社員の不満や不安などを真正面に受け止めた後継者が、社員の側に立つ正義感などもありつつ、現経営者と対立することもあるでしょう。
 
このような対立が全て否定されるものではありません。時代の変化に合わせて経営も変化していくべきですし、そのような対立が昇華されて、よりよい会社となることも多々あります。実際、そのような会社も多くあります。
しかし、気を付けないといけないのは、このような後継者の反発が、自分のなかの確たる信念や価値観から突き動かされたものかどうか、ということなのです。正直言えば、社員の不満や不安だけを受けて現経営者と対立するようであれば、後継者はリーダーとしては相応しくないのです。
 
これは私の考えですが、リーダーとは、「仮に一人になったとしてもこれを何がなんでも成し遂げてやりたい」、という熱い想いをもっているのがリーダーなのです。ただその目標が大きければ大きいほど、一人では成し遂げられないので、組織としてメンバーと一緒に取り組むのです。
このようにリーダーを定義づけた時に、他人の不満や不安だけに依拠して動かされるというのは、それはリーダーとは言わないのです。厳しく言えば、単なる迎合者です。
 
もちろん、後継者として、「仮に一人になったとしてもこれを何がなんでも成し遂げてやりたい」という思いをもちつつ、それを実現するために現状に対して不満や不安をもつ社員を味方にしていくことはあるでしょう。これは上記の迎合者とは話しが全く違います。
 
このように考えたうえで親鸞と善鸞の対立と結末を振り返ると、残念ながら善鸞には確たる信念や価値観があったわけではなく、単なる迎合者だったのだろうな、と感じます。
しかし、善鸞のような立場に立ったとき、たとえリーダーとなることが求められているものでも、常に善鸞のようにな迎合者となる恐れがあることを心にとどめるべきだとも思います。

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