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邪悪な人とは?

読書ノート「平気でうそをつく人たち ~虚偽と邪悪の心理学~」M・スコット・ペック 著、森英明 訳 1996 草思社

精神科医である著者は、自らの診療経験から、世の中には"邪悪な人間"がいると考えるに至ったという。
本書で語られる邪悪な人間の特徴の一部を以下に記す。

●深くかかわらなければごく普通の人。
●犯罪者の烙印を押されているわけではない。
●自分には欠点がないと思い込んでいる。
●異常に意志が強い。
●罪悪感や自責の念に耐えることを拒否する。
●他者をスケープゴートにして責任を転嫁する。
●体面や世間体のためには人並み以上に努力する。
●他人に善人だと思われることを強く望む。

「悪」の定義とは?

悪というものについて、万人に共通するなんらかの了解事項があると私は考えている。
私の息子は、8歳の子供特有のものの見方でこう語っている。
「お父さん、悪(evil)っていう字のつづりは、生きる(live)っていう字のつづりと逆になっているんだね。」
確かに、悪は生に対置されるもので、生命の力を阻むものが悪である。
悪は生物的生存に必要のない殺しを行うことと関係している。
これは、肉体的な殺しだけではなく、精神を殺すものでもある。
人間の生には、意識、可動性、知覚、成長、自律性、意志といった特性が不可欠である。
肉体を破壊することなく、こうした特性を殺そうとすることもできる。
エリッヒ・フロム(精神分析学者)は、その著書『悪について』のなかで、
他人を支配可能なものにし、その人の他者依存性を助長し、自分自身で考える能力やその人の独自性および独創性を奪い、その人を制御可能な状態に抑え込んでおきたい、という人間の欲望を指摘している。

悪とは、人間の内部または外部に住み着いている力であって、生命または生気を殺そうとするものである。
また、善とはこれと反対に、生命と生気を促進するものである。

第2章 悪の心理学を求めて - 生と死の問題 より

子供の虐待について

この本の中で、精神疾患の診療のために著者のクリニックを訪れた少年のカウンセリングを進めていくうちに、その少年の両親が息子に全く興味・関心・愛情を持っておらず、両親が息子の精神を破壊している事例が紹介されている。
邪悪さの影響を受けるのは、近くて弱い立場の人間であることが多く、子供たちが典型的な犠牲者になることは容易に想像できる。

近年、親が加害者で子どもが被害者になる痛ましい事件をよく見聞きするが、事件にまで発展しないものの、このような毒親の犠牲になっている子供たちは、かなりの数に上っていると考えられる。

肉体には危害を加えずに精神を攻撃する場合は、犯罪としても立件するのが難しいため、周りが知覚して助けてあげるのは本当に難しいのだろう。
また、著者も指摘しているように、邪悪な人たちは、健全であるかのようにふるまうことにも長けている。

周りの大人が子供たちをよく観察すること以外に、毒親に気づく術はないものだろうか?

思いついたアイディアとしては、小学校等で毎年アンケート(心理テスト)を行い、親から深刻な虐待を受けいている可能性がある子供をピックアップし、適切な支援につなげやすくする仕組み等を試してみてはどうか。
AIを活用すれば、微細な変化を精度高く検知でき、被害児童を知覚するための支援ができるのではないか。

また、学校の図書館に毒親からサバイブするための手引書のようなものがあると子供たちの力になると思う。
例えば、以下のようなコミックが読みやすいかもしれない。

大学等の研究機関(アンケート作成)、小学校(アンケート実施、図書購入)、児童相談所(知覚後のケア)の3者が、それぞれの強みを持ち寄ることで簡単に、かつ安価に仕組みが構築できそうな気がする。

「邪悪な人たちの特徴」とは?

最も特徴的な行動は、他人をスケープゴートにする、つまり、他人に責任を転嫁することである。自分は非難の対象外だと考えている彼らは、だれであろうと自分に近づいてくる人間を激しく攻撃する。彼らは、完全性という自己像を守るために、他人を犠牲にするのである。
邪悪な人間は、自分自身の欠陥を直視するかわりに他人を攻撃する。
自己嫌悪の欠如、自分自身に対する不快感の欠如が、私が邪悪と呼んでいるもの、すなわち他人をスケープゴートにする行動の根源にあると考えられる。

第2章 悪の心理学を求めて - 邪悪と罪悪 より

また、自らの責任の放棄に加えて、邪悪性には、以下のような特性もあるという。

(a)定常的な破壊的、責任転嫁的行動。
 多くの場合、きわめて隠微なかたちをとる。
(b)他者からの批判等で自分のプライドが傷つくことに対し、過剰な拒否反応を示す。
 通常は表面に現れない。
(c)立派な体面や自己像に強い関心を抱く。
 ライフスタイルの安定にも貢献しているが、憎しみの感情あるいは執念深い報復的動機を隠すことにも貢献している。
(d)知的な偏屈性。(冷静で論理的なへそ曲がり)
 ストレスを受けたとき、軽度の精神分裂症的思考の混乱(ヒステリー)を伴う。

第3章 身近に見られる人間の悪 - 精神病と人間の悪 より

著者は、”邪悪性”とは誤った完全性自己像を防衛または保全する目的で、他者を破壊する力を行使することであり、自分自身の罪の意識を遠ざけることから”悪”が始まる、と指摘する。

悪の根源は、知的怠惰と病的ナルシシズムであり、邪悪な人たちが避けるのは自己批判である。そのため、邪悪な人が特に攻撃的になるのは、自分が失敗した時であるとのこと。

また、邪悪な人たちは健全であるように装っており、他人をだますのと同様に自分自身をだますためにも、時に愛ある態度で振る舞うのだという。

個人の悪とは少し違う「集団の悪」が生まれるメカニズムとは?

著者は、ベトナム戦争での大量虐殺事件を事例としてとりあげ、集団の悪が生まれる原因を以下のように指摘している。

  • 専門化
    組織の中で役割が専門化しているときには、道徳的責任が集団の他の部分に転嫁してしまう。

  • 依存心(知的怠惰)
    大半の人はリーダーよりもフォロワーになることを好む。フォロワーとしてふるまうときは、意思決定をリーダーにゆだねてしまうため、道徳的責任をリーダーに転嫁してしまう。

  • 自己愛(ナルシシズム)
    特定の敵を憎んだり欠点に目を向けさせることで、自分たちの集団の意識高揚を図りプライドを高めることがある。プライドの高い集団が、失敗したときには、外部や敵に対して攻撃的になりやすく、自己内省が欠如してしまう

確かに、組織の中では、自分の意見が上司や多数派の意見に流されてしまうことがあるので、注意が必要なのかもしれない。特に、組織の意見が、いわゆる”ポジショントーク”的だと感じるときは、専門化による道徳的責任の転嫁が起こっていないか、気をつけようと思った。

「集団の悪」を防止するには?

著者の記載を引用する。

戦争をふくめて集団の悪を防止する活動は、個人に向けられるべきもので、怠惰とナルシシズムを根絶する必要がある。
これは教育の問題であり、あらゆる人間の悪の根源が”怠惰”と”ナルシシズム”にある、ということが子供たちに教えられるようになることを私は夢見ている。
人間一人ひとりが聖なる重要性を持った存在であることや、集団のなかの個人は自分の倫理的判断力をリーダーに奪われることに抵抗しなければならない、ということを子供たちに教えて、自分に怠惰なところはないか、ナルシシズムはないかと絶えず自省し、それによって自己浄化を行うことが人間一人ひとりの責任だということを、子供たちが学ぶようにするべきである。
この個人の浄化は、個々の人間の魂の救済のために必要なだけでなく、世界の救済にも必要なものである。

第5章 集団の悪について - 集団の悪を防止するには より

学びをどう生かすか

今後に活かそうと思った点は、これまで自分が忙しいと感じていていたときに、言動が攻撃的になってしまうことがあったので、忙しいと感じている時は周りの人を傷つけないように意識してみようと思った。

また、見た目ではなく、印象がゾッとする怖さの人と接することがあったので、そういう人には近づきすぎないようにしようと思う。

この本の記述を読んで、特定の人たちに邪悪な人というレッテルを貼って決めつけてしまうのも危険だし、邪悪な人たちの言動に関する記述を読むのは、決して気持ちの良いものではない。というか、本当に気持ち悪い。

しかし、これから先も、この本はくりかえし読もうと思う。

自分の中の邪悪性が育ってしまわないように、また、邪悪な人たちと正しく関わるために、そして、著者が”集団の悪”と呼ぶ非道徳的な集団心理が自分の周りで生まれるのを未然に防ぐためにも。

 #邪悪とは #スコット・ペック #平気でうそをつく人たち


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