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関東に住む新卒。 過去の旅行の備忘録を綴りたく始めました。 特定の食べ物を溺愛するきら…

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関東に住む新卒。 過去の旅行の備忘録を綴りたく始めました。 特定の食べ物を溺愛するきらいがあります。

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みかん食べたすぎて和歌山県由良町に1週間「おてつたび」しに行った話

※由良のみかんが超絶本気本気美味しかったので、「3.シンプルにみかんめっちゃうまい」だけでも読んで下さると嬉しいです。 1.「おてつたび」って?2021年7月某日、 「山梨に行ってひたすらブドウに袋掛け続けてたんだけど、なんかもう最高に楽しかったよ!」 友人がきらきらした顔で話すその目新しい経験談に、ことは始まる。 これが私の今までの旅行のすべてだったが、彼女は、 を山梨で謳歌していた。 そもそも、旅行自体が非日常な訳だけれども、自分の日常が誰かの日常に移ろってい

    • 2021年まんが雑記

       読んだ漫画たちが飽和しているので、ちびちびと漫画の備忘録を綴るページを作った。卒論の気分転換に、と約1か月ほど継ぎ足し方式で書き続けていたら1万5000字を超えた。  老舗の飲食店にあるような秘伝のタレも継ぎ足し続けた末に「秘伝の」タレになった訳だし、「継ぎ足す」という行為によって、通常と異なるサイズ感の何か(視覚的に限定せずとも)が出来るんだなあと年の瀬にしみじみした。秘伝のタレと雑味満載の文章を同じにしてはいけないけども。 と同時に70年継ぎ足してきた秘伝の○○とか、も

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         バイト先でプレゼント包装用の紐をブチッと破壊、やらかしてしまった。いつも通りに蝶々結びをしていた時の出来事だった。 「蝶々」結びなだけに、一つ命をないがしろにしてしまったかのような罪悪感がある。 クッキーがパンパンに入ったギフトボックスに、箱に抗いながら紙紐で縛り付けていた。ゆえに紙紐に物理の限界が訪れた。結ばれずあえなく絶たれる運命に遭った紙紐。 にしても、粗野が過ぎる。「紙」紐とは言えど、ティッシュほど繊細でもなくそれなりに丈夫な紐のはずなのに。 紐をブチ切ったこと

        • あの子のお便り

          自分のハガキ投稿が採用されるのが、小さい頃のちょっとした夢だった。 特に、NHKの教育テレビのイラスト投稿にあこがれていて、おじゃる丸とか、忍たま乱太郎とか、天才てれびくんとかのお便りコーナーをみてはついつい「いいなあ」と羨望の眼差しを向けていた。 しかし、そんな憧れいっぱいのちびっ子は現実を知らな過ぎた。小学校に上がるまで、お便りがポストを通じてテレビ局に届き、選別された上でオンエアされるという一連の流れを知らず、ブラウン管テレビに紙ごとブチ込めば放映されると思っていた。

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        みかん食べたすぎて和歌山県由良町に1週間「おてつたび」しに行った話

          現代病

          コロッケの幻影がチラつくせいで、五木ひろしを見るとついついくすっと笑ってしまう。 歌謡曲を歌おうが、笑顔でトークをしていようが、コロッケがよぎり、笑ってしまう。 そもそも私の中の五木ひろしは、ありとあらゆる芸人たちによるモノマネを通じたルートの先に存在する。 あの絶妙にしゃくらせて目をキュッと細いアーチ形にし、その他もろもろの顔面の全ての筋肉をそれらしく動員させたあの造形が、五木ひろし。本物を知る前に知った、フォーマットとしての五木ひろし。 そしてそれはモノマネの範疇であ

          現代病

          あの日のトトロたち

          不思議なことに、小学生ぐらいからずっと同じ夢を見ている。 となりのトトロのアナザーストーリーを描いた夢だ。 舞台はねこバスを待つあのバス停の前。 夜も深くなった山中のバス停で、メイちゃんとトトロが並んで待機している。トトロの足元ぐらいの背丈のメイちゃん。たった一つしかない田舎の街灯に照らされて、ぼんやりと浮かぶ大きな体と小さな体。呼吸音の輪郭がはっきりするくらいの静けさ。 待ちに待ったねこバスは、映画で観たとおりの大きな目から、真っすぐな黄色の光を夜空に伸ばしてバス停へ突

          あの日のトトロたち

          内定もらったので、禅修行しに行った

          「就活が終わったら、頭の中をまっさらにしたい。」 昨年の12月から、慣れない自己表現を何度も求められる就活にもやもやして、そんなことを思うようになった。 自分はどんな人柄なのか...貴社のどんな部分に惹かれたのか...入社して将来どんな人になりたいか... 今までじっくりと考える時間のなかった、自分の人柄、過去、未来へ向き合っていく、就活で不可避の作業。 人から自分のことを聞いたり、自分で過去を紐づけることで出来上がった、まとまった「私」について、初対面の社会人の方々と面

          内定もらったので、禅修行しに行った

          師走

          「年末って毎日いろいろ、いつもと違うことが起こるからすごく楽しいんだけど、年越したら全部台無しだわ」 私の友人がよく言っていた。 いつも観ているテレビ番組の構成が特番ばかりになり、普通に過ごしていても「いつもとはちがう」という刷り込みを受けざるを得ない、年末。 一気に畳みかけるように、「年末大特価」やら「総決算」やら「忘年会」やら「○○納め」やらの1年規模の「特異なやつら」が押し掛けてくる、目には見えないフェスらしきものを感じる、年末。 イメージとしては、ハクション大魔王の

          そういえば録

          そういえば、最近気づいたことがある。 自分の好きな漫画のジャンルは歴史ものらしい。 「自分が生きていた何年も前の実際の世界が紙面で展開されている!」 「世界は縦にも横にも広がっているんだ!」 みたいなスケールの大きな感性を抱いているのか....どうもしっくりこない。 フィクションかノンフィクションかを意識しておらずとも、話にぐいぐいと引き込まれて止まらない、と思ったら歴史漫画のことが多い。 まさに、「事実は小説よりも奇なり」を意識せずに楽しんでいる。 「事実は小説よりも奇な

          そういえば録