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海と空と空気があれば幸せなのに、なぜかそれ以上を求めてしまう、コンサル見習い | 背伸…

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海と空と空気があれば幸せなのに、なぜかそれ以上を求めてしまう、コンサル見習い | 背伸びしがちな平凡サラリーマン | 旅行が生きがい

最近の記事

残業してもいいと思える人になってみたいけど、やっぱり残業するのが嫌い。

残業が続き、身も心も、少しずつすり減っています。 けど周りを見渡すと、何故かみんな好き好んで残業しているように見える。 残業大嫌いな自分としては、 「あぁきっと、家に帰ってもやることないんだな。」 「職場だけがその人の居場所なんだな。」 と、ちょっぴり正直に、どこかで冷たい目線で見ていたわけです。 ついでにたいていその人たちから、 「もう少しやる気を出せ」 「仕事は待っていていも楽しくならない」 「若いうちは苦労した方がいい」 なんてことを言われるわけです。 なんだけど

    • 休職してもメンタル治らなかったし、転職しても治らなかった。

      新年、明けました。 本年もほそぼそ気まぐれnoteをどうぞよろしくお願いいたします。 さて、忘れぬうちに、今の気持ちを綴っていきたいと思います。 2024年の幕開けは、悲惨なものでした。 石川県での大地震。そして、飛行機の追突事故。 この国は呪われているのではないかとさえ思える出来事で、でもそんな一言で片づけられないほどの思いを多くの人がしてきたと思います。 私は、「出来事には必ず理由がある。」と思ってきましたが、これに何の意味があるの?と、自分の考えを否定するような

      • 働きたい、働きたくない、働かなければならない。

        働くってなんだろうか。 生活のためのか、自己実現のためとか、夢を叶いとか、いろんな理由があるんだと思う。だからきっと正解はないだろうし、人の数だけ正解の数もあるんだと思う。 私は新卒で入った会社にやりがいや働き甲斐を感じなくて、退職した。周りの大人には反対されたものだ。サラリーマンなんてそんなものだとか、自分にしかできない仕事はないだとか、悟りの境地のような意見が私を突き刺さった。 どこかでその通りだなと思う自分が居れば、一方で、仕事はもっと楽しいものだと信じたかった自分

        • 心を亡くすと書いて、「忙しい」。

          私は小さい頃から、なにかと気難しく考えるタイプだった。 そんな自分に、疲れるときもある。考えても仕方のないことを、延々と考えている。だからこそ、こうして文字を綴りながら、思考を整理している。私にとっての一種の瞑想になっている。 でも、やっぱり、「考えている」ことに変わりはない。 いっそのこと、何も考えずにいたい。 今思えば、私が陸上にハマった理由は、何も考えずに済むからかも知れない。 100m走の選手だった私は、ひたすらに走った。 呼吸することも忘れ、本能のままにゴールに

        残業してもいいと思える人になってみたいけど、やっぱり残業するのが嫌い。

        • 休職してもメンタル治らなかったし、転職しても治らなかった。

        • 働きたい、働きたくない、働かなければならない。

        • 心を亡くすと書いて、「忙しい」。

          幸せに生きるって実はシンプルなんじゃないか?

          「自分がどうすれば楽に生きられるか」を探し求めてきた。それを言語化しようと文字にして発信してきたのだが、幸せをとても難しいもののように考えていて、実は答えはとてもシンプルなのではないかと最近思い始めてきた。 難しい本を読み、経験豊富な人の意見も取り入れ、こうなんじゃないか、ああなんじゃないかと、試行錯誤しながら、自分なりの答えを出そうとした。 そんな時に、ひとつの動画と、ひとつの行為に出会った。 ハーバードの教授が、幸せに対する質問に答えていくという趣旨の動画だ。 幸せ

          幸せに生きるって実はシンプルなんじゃないか?

          悪口や言い訳を言わない人になるために

          あの人の言い方が嫌い。 あの人のやり方が嫌い。 職場がおかしい。 時間がなかったから。 疲れていたから。 他にやることがあったから。 こんな言葉を並べることが多くなった。 自分としては「正当な理由」だと思っていたけれど、ある人の言葉でハッとした。 「もっと謙虚な気持ちを持て」と。 これを言われてから、自分は言い訳ばかりしていることに気づいた。 言い訳をしている方が、はるかに楽だったからだ。 これを受け入れるには、かなりの勇気が必要だ。なぜなら自分の不甲斐なさを認めること

          悪口や言い訳を言わない人になるために

          自由を手に入れるために会社を辞めました。

          何のために働くのだろうか。 誰のために働くのだろうか。 昔と今とでは、「働く」への考え方が、少し変わってきた気がする。 大昔では職業選択の自由はなく、世襲制や国家政策で仕事に就き、そこには自己の意思が介入する隙はなかった。 日本がまだ元気の頃、どこかの企業に入社できれば、「安泰」は確約されていた。勤め上げれば、家も墓も建てられ、家族も養えた。どんなに嫌な仕事でも、「高額な報酬」で我慢することができた。 少し時間が経ち、バブルが崩壊すると、「大企業」に入ることが条件とな

          自由を手に入れるために会社を辞めました。

          新卒2年で、転職。

          昔は大きな野望を持っていた。無茶な夢も見ていた。 それでも、自分なら叶えられると本気で思っていた。 私は多分、それとなく”できる人間”なんだと思う。 できる人間という曖昧な言葉は好きじゃないが、恐らくほとんどの人が思っているであろう”できる人物像”を思い描いて欲しい。 それなりの高校 ーいわゆる”自称進学校”ー の出で、就活でギリギリ学歴フィルターに引っかからない大学を卒業した。 私の人生に辛いことは沢山あったけれど、人生におけるイベント ー進学や恋愛などー では、それな

          新卒2年で、転職。