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薪ストーブor太陽光発電

昔話でいう「お爺さんは山へしば刈りに、お婆さんは川へ洗濯に〜」というフレーズを日本国民はみんな知っている。でも本当に理解している人はなかなか少ないのではないか。

このお爺さんのしば刈りは「芝刈り」ではなく「柴刈り」なのだ。そもそも山に芝は生えないし、芝を刈って得られるものはない。

では柴刈りとはなんぞや?というと、これは「薪木」のことである。

ガスの普及前の人々の暮らしの煮炊きは釜で火を炊いて行われた。だから各家庭では薪木は常に切らしてはいけないエネルギー源だった。しかも薪木は山に無尽蔵に落ちている。おまけにストックも出来る。火は家を暖め、煮炊きをし、お湯を沸かす。

山の木々は偉大だ。空気中の二酸化炭素(CO2)を大量に吸収し、それを圧縮し炭素化して自らの幹や枝に変える。そして酸素と薪木(エネルギー)を我々に供給する。こいつは昨今人類が追い求めている「持続可能なクリーンエネルギー」とやらに該当しやしないかい?


クリーンエネルギーと称して太陽光発電を普及させる流れが日本中に蔓延っているが、田舎では山を切り崩して太陽光パネルを並べたり、耕作放棄して畑に太陽光パネルを設置する人がなんと多い事か。なぜだ?なぜ何百万円もかけて豊かな森林や畑を捨て、コンクリートとパネルを設置するんだろう?投資した金額を回収するのに十何年かかるのだろう?そして回収できる頃にはパネルの耐用年数を迎えるんでしょ。そしたらゴミでしょ。しょうもないゴミが残るだけじゃん。違うかな?

それか、パネル貼り替え工事でまたローンを組み直す?ゴミを出しながらそんな無限のループにハマるのがオチでしょう。それを再び生い茂る木々に、に戻そうと思ったらまた何百万の費用がかかる。

根本は全てのエネルギーを電気に変えようとするからおかしな事になる。化石燃料を燃やして、わずかな電気を作り、それを送電して、各家庭のエアコンがどんどん電気を吸って僅かな温もりを出している。こんな不効率な世の中でも、みんな汎用性がある電気が大好きだ。そして今や電気がなければほとんどの事が出来ない時代だ。電気がある前提でないと物が売れない時代と言ってもいい。


なにが言いたいかって?


太陽光パネルを検討するなら、薪ストーブも天秤にかけてほしい。かかる費用は150万程度だから太陽光パネルを屋根に設置する代わりならお釣りがくるぐらいだと思う。たしかにストーブも消耗部品があるが、本体と煙突は半永久的に使える。

薪ストーブは電気を必要としない。そして、冬のエアコンは不要となり、調理のほとんどがストーブ上で可能だ。洗濯物だって屋内でしっかり乾く。

燃料は山に芝刈りに行けばいい。たまに広葉樹の太い薪も欲しければ買えばいい。地元の林業が潤うのなら山も健康な状態をキープできて一石二鳥だ。

ただ、こんな暮らしは田舎でしか成り立たない。都会の皆さんには無理なお話だ。だから、今田舎で暮らしている人と、田舎へ移住を考えている人にだけ響けばいいなと思っている。

畑と薪ストーブがあれば停電が起きても何とか暮らしていけるよ!

先日、ストーブのガラスが割れてしまって取り寄せた。その間は灯油ファンヒーターに代役をつとめてもらったが、部屋の匂いと湿気が全く違う事に気がついた。暖かいが湿ったぬるさを肌に感じた。匂いは灯油が燃えた後の独特のガス臭さが鼻についた。数日後ガラスが戻るといつもの部屋に戻った。心地よい輻射熱、薪の香り。やっぱりこれさ。

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