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幸せにしていいよ

僕の二度目の結婚は、彼女にとっては初めてだった。
少々珍しいタイプの結婚だったので、周囲から好奇の目で見られることは想像していたけれど、それとあわせて、彼女は具体的に片付けなければならない問題を抱えていた。

まず「珍しいタイプの結婚」というのは、僕の別れた元妻と彼女が友人だったことだ。それも学生時代からの親友で、そのことを知っている知人も多い。僕は彼女から見れば「友人のお古」でありそれは事実だが、世間から僕は「二股をかけていた」疑惑をかけられ、彼女もまた「親友の夫を寝取った」と思われた。これは100%誤解で、僕と彼女の出会いは僕の離婚後だ。

僕と知り合った当時、彼女には結婚を意識して付き合っている恋人がいた。これが彼女の「具体的に片付けなければならない問題」で、当然のこと、相手の男がすんなり別れ話に同意するはずもない。何度も考え直すように迫られ、実家や職場にしつこく電話をかけてこられた。もはや彼女の気持ちが自分にはないと分かってからは明らかに嫌がらせだったが、彼女はまったく抵抗せず、男の恨み言をすべて受け止めた。相手を傷つけたのだから自分も傷つかねば不公平だという、彼女なりの仁義だったのかもしれない。とにもかくにも、そうして彼女は二人の関係を強制終了させた。(しかし、会社にはいられなくなった)

すべてを終わらせた夜、彼女は僕の部屋に来た。床に座り、背伸びをして、大きなため息をついた後、僕をまっすぐ見て言った。
「ねえ」
「うん?」
「私のこと、幸せにしていいんだよ」

普通は「幸せにしてね」じゃないか。
そうではなく、彼女は「幸せにしていい」と言った。それは、ようやく幸せになる準備ができたと言っているようだったし、同時に「あなたは、どうなの?」と問われているようでもあった。

一人暮らしをしていると、一人で生きていけるような気がしてくる。もちろんそんなものは錯覚で、世界はたくさんの他人から成り立っていて、自分は「生きている」ようで「生かされている」。それに気付いたのは、恥ずかしながらオトナになってずいぶんたってからだ。彼女は一番身近な世界で、彼女を通して僕は世界に参加する権利を得た。そのことを理解するのは、さらにもっと後、もうどうしようもなくなってからである。

彼女にとって、結婚は「引き算」だった。人間関係も仕事も想像していた未来も、一旦リセットボタンを押してゼロに戻した。僕はといえば、結婚は生活に一人を加えるだけの「足し算」である。捨てるものも諦めるものも別にない。このアンバランスは、二人の時限爆弾だった。

単身者向けワンルームマンションの僕の部屋に、彼女の荷物をこっそり運び込み、籍を入れて、僕たちはひとつの単位になった。とりあえず、僕は幸せだった。ひとつの布団にくるまって、このまま時間が止まればいいと思っていたところに、彼女が言った。「明日、時計を買いに行こうか」。

・・・・・・・

去年、何年ぶりかで彼女に再会した。
場所は空港のロビー。彼女は今、外国人と結婚してかの国で事業をしているという。仕事の関係で一時帰国したついでに僕を呼び出したというわけだ。近況を報告し合って、あの頃を懐かしんで、15分で話すことはなくなった。それが僕たちの「答あわせ」だった。
「じゃあ、また」と言って別れたけれど、きっともう会うことはない。

二人で買った壁掛け時計は、僕の部屋でまだ動いている。