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映画『野球どアホウ未亡人』 観れば勇気が湧いてくる

昨年からちょっと大変な時期が続いており、自分の主食であるエンターテイメントに触れる機会もぐっと減った。そんな中、自宅から徒歩2分でシネコンがあることもあり、映画だけは例年以上に観ている。

ただ、最近どうも映画を観たときの感動が薄れてきた。どれも面白いのだけれど、昔のようにその余韻がしばらく続くということがない。自分ももう歳だということか。

そんな中、昨年夏にヤバそうな映画のタイトルを聞いた。

『野球どアホウ未亡人』

これが野球漫画の金字塔『男どアホウ甲子園』のパロディーになっていることを認識できる層が、果たして今の日本にどれほどいるというのだろう。恐れを知らないネーミングに、内容は全く分からないが、自分が観るべき映画だということは即座に理解した。

なかなかその機会訪れず、年が明けてようやく池袋シネマ・ロサの凱旋公演で鑑賞することができた。

この作品、2024年に観た映画の中でベストワンの快作である。まだ今年1本しか観てないけど。

『野球どアホウ未亡人』は、狙いすぎタイトルが実はその内容を的確に表現している。非業の死を遂げた夫に代わり、野球の才能を開花させていく女性の物語だ。

「映画.com」やWikipediaを見ると、誰の記述か分からないが「昭和のスポ根・野球漫画とポルノ映画のエッセンスを~」と説明されている。間違いではないがこれちょっと誤解があって「昭和の野球漫画」と「ポルノ映画」ではなく、「昭和の野球漫画と昭和のポルノ映画」なのである。ポルノ映画要素は「昭和のロマンポルノにありがちなフォーマット」だけであって、この映画にエロ要素は一切ない。(もちろんエロを感じるのは観る人の自由)。

上映時間わずか60分ながら、その内容は濃い。あ、いや、濃いといっていいのかどうか。基本的にはコメディだが、爆笑を誘うというよりは、こみあげてくる笑いをずっと反芻し続けるような半笑い状態がずっと続く。

だが観終わったあとに、この数年映画に対して持ちえなかった大きな満足感が残った。なんだろう。子供のころ映画を観終わったあとに残った、非日常を体験して日常に戻ってきたような充実感。

要するに、元気になったのだ。

いったいこの映画の何がそうさせるのだろう?

多くの人が指摘するように、この映画には「昭和」があふれている。前述の野球漫画のパロディ、全盛期のロマンポルノの雰囲気だけでなく、昭和のアイドル映画の要素もある。

最近のアイドル映画はむしろ「アイドル映画」と言われることを拒否するような構えだったり、ドキュメンタリー映画だったりするが、昭和のアイドル映画は、アイドルを前面に出しながら、それでいてきっちりと職人技で映画として仕上げている佳作が多かった。例えば河崎義祐が監督した少女隊主演の「クララ白書」(1985年)など。あの作品にも登場した「いきなりミュージカル」な場面が本作にもある。

この作品を作り出したのは小野俊志(監督)、堀雄斗(脚本)だが、2人とも1996年(平成8年)生まれ。なのに、ここにある「昭和」は、われわれ老人になりかけ世代が懐かしむ美化された昭和でも、令和の若者がノスタルジックに語る昭和でもなく、驚くほどリアルな昭和だ。表現は時代を映し出すとも言われるが、その表現によって時代を再現することもできるのか。

だが、おそらく自分がこの映画に元気をもらったのは、そういう慣れしたんだ昭和の空気だけが理由ではない。

この映画は、映画が好き過ぎる人たちが作っている。ジャンルで言えば「馬鹿映画」かもしれないが、そのばかばかしさに取り組む真剣さが、スクリーンからヒリヒリ伝わってくる。その気概がスタッフだけでなく、出演者からも伝わるのは言うまでもない。森山みつきの存在感、藤田健彦の怪演、井筒しまの真っ直ぐさ、秋斗の目力、工藤潤矢のうさんくささ、いずれも高純度すぎて酔ってしまいそうである。

その刺激にさらされた結果、学生時代に映画を観てよく感じていた「自分も映画を作ってみたいものだ」という、根拠のない前向きな発想も自分の中に浮かんできた。正直ビックリだ。バイアグラを飲んだときのようだ。飲んだことないけど。

同時に、映画にできることに限界はない、とも教えてくれる。この映画は総出演者が8人しかいない。だから野球の試合のシーンでもピッチャーしかいかなったりする。でも、ちゃんと野球の試合に見える。

もともと映画ってそういうことを可能にする自由なメディアじゃなかったのか。鈴木清順は海外ロケをせずにサンフランシスコを舞台にした『カポネ大いに泣く』を撮った。『カメラを止めるな!』のスピンオフ『ハリウッド大作戦!』じゃないが、ハリウッドに行かずにハリウッドを描くことだってできる。それが映画だ。

なのに、いつの間にか自分も「映画ができること」に枠を嵌めて観るようになっていた気がする。CGの登場は、その枠を外すのではなくむしろ新たな枠を嵌めてしまったかもしれない。「CGを使えば解決できる」という枠を。

本作品は、そんな星飛雄馬が身につけたガッチガチの大リーグボール要請ギブスを軽やかに脱ぎ捨ててみせる。これでいいじゃないか、こうすればいいじゃないか、と映画があえて忘れていた表現手法を次々と繰り出してくる。

映画って楽しい。観れば元気になる。そんな感覚を思い出させてくれたこの作品に、心から感謝したい。

今後も各地で上映がなされると思うので、ぜひ多くの人に観てほしい一作だ。自分の下手な説明ではこの映画の魅力が伝わりにくいと思うので、この動画を視聴いただきたい。自分がいちばん気に入っている場面であり、個人的にはこの映画を象徴的に示していると思う。これを観てピンときたら劇場に足を運べばいいし、ピンとこなかったら劇場で確認すればいい。

ところで、この作品はいわゆるインディーズ映画だが、これまで自分はあまりインディーズに触れる機会を持たずにいた。シネマ・ロサに来たのも何十年ぶりだろう?

上映が終わり、ロビーに出ると、この日は特にイベントがない日だったのに、先ほどまでスクリーンの中で怪演を見せていた藤田健彦がユニフォーム姿で待ち構えており、その隣には小野監督も立っていた。ステキな体験をさせていただいたと直接御礼を述べることができ、サインもいただいた。

さらに劇場を出れば、今後上映される作品の関係者がチラシを配っていた。

インディーズはいいものだ。いや違う。映画はいいものだ、と再認識した日だった。

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