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紅茶のミニ歴史

紅茶のミニ歴史
ブログは自分が見聞き・経験したこと、自分で調べたこと、及び自分の所感などを書いているが、今回は社会人向け(シニア向け、或いは高校生向けも含む)の大学講座「イギリス紅茶の歴史と文化」で聞いた中から備忘録的にポイントを纏めた。但し、内容が盛り沢山であったので1/5位しかカバーしていない。

1.茶の歴史の流れ
(1)緑茶(不発酵茶)が最初だった(17世紀)。茶葉があるのは中国、日本といえば粉茶、所謂抹茶という認識であった。
 尚、ヨーロッパ人による茶の発見(中国茶の発見)は、文献資料に残っているという限りにおいて16世紀と考えられている(イタリア人・ポルトガル人・オランダ人の文献)。ヨーロッパへの上陸は17世紀。

(2)次にボヒー茶という半発酵茶が入ってきた(18世紀~19世紀前半)。正確に分からないが、今のウーロン茶に該当するものと思われる。ボヒーとは福建省の武夷山に由来。今でも最高の烏龍茶の産地である。

(3)紅茶(Black Tea=完全発酵茶)は19世紀後半から。紅茶はインドでのアッサム種の発見が引き金で、これにより中国茶⇒インド茶へ置き換わった。

2.Teaはお茶を飲む=喫茶という意味ではなく食事をする(夕食を食べる)という意味もあった。ビートルズ「グッドモーニング・グッドモーニング」の歌詞。
 It's time for tea and meet the wife* (愛妻のもとへ帰りお茶を飲む時間だ)
夕食を食べながら『ミート・ザ・ワイフ』を観る時間だ
*『ミート・ザ・ワイフ』(1963-66年に放映されたBBCのホームドラマ)

3.茶の位置づけ・習慣
(1)当初は解熱効果、健胃剤、痛風に効くなどなど、薬効が強調されていた。驚異の新薬、或いはエキゾチックな奢侈品として流行。

(2)茶=Teaは17世紀に宮廷・貴族の女性を中心に広まり奢侈品⇒必需品と変わっていく。18世紀(1730年代)輸入量はコーヒーを上回り緑茶⇒ボヒー茶への転換が始まる。輸入量の増加は砂糖の輸入量と連動していたことから、砂糖を入れる習慣だった模様。

(3)イギリスといえば社交場としてのコーヒーハウスを思い起こす人も多いと思う。一部のコーヒーハウスにて17世紀に茶を売り始めた。但し、コーヒーハウスはあくまで男性が出入りするところ。

(4)一方茶は、ディーガーデン(18世紀後半に流行)、ティーハウスに女性、子供を含めて家族で行くところだった。
   ①上流階級の食間の茶の習慣・・アフタヌーン・ティーの原型
   ②労働者階級の食事と一緒に茶を飲む習慣・・ハイ・ティーの原型

  ハイ・ティー:食事などをする(高い)テーブルで飲むお茶
  ロー・ティー:ソファなどの横に置いた低いテーブルに置く紅茶

4.その他
(1)19世紀になり、1の「茶の流れ」で記したようインドでアッサム種が発見され、紅茶がイギリスの国民的飲料となる。

(2)20ポンド紙幣裏側にターナー「戦艦テレメール号」が画かれているのは、茶葉を早く運ぶのをクリッパーレースに代表される帆船へのノスタルジーが反映されている。
(蛇足:江戸時代、摂津の国から日本酒(下り酒)を江戸に早く運ぶ競争があったのと少し似ているかも?)

(3)茶を入れる時は沸騰した(煮立った)お湯でなくてはならない。従って、薬缶をポットの方に持って行くのではなく、ポットを薬缶のそばに持って
いくべきである。

(4)アメリカの影響として1904年にティーバッグが商品化。同年、アイスティも登場。

(5)現在の紅茶(チャイ)の世界一の消費国はトルコらしい。

以上が要約である。誤謬があるかも知れないことはお断りしておく。以下は広く知られているところであろう。
〇アジアはチャ、チャイという発音・・広東ルーツ。陸路伝播型(含む日本)
〇欧州はティー、テ、テー等の発音・・福建ルーツ。海路伝播型

リンボー先生ことは林望『イギリスは美味しい』によれば、日本で紅茶が
は美味しくできないのは、軟水で渋み成分が出てしまうからとのこと。

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