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[短編小説]二縄墨奇譚

 いいかい、タカ坊、約束だよ。かくれんぼをするならね、二つの事を守っておくれ。
 夕暮れ時になったら終わりにする事。「もういいかい」と問われたら必ず返事を返す事――。

 さとすように言う祖母の声が、ふいに私の頭に響いた。
 これまで一度たりとも思い出したことのない言葉だ。いつ言われたのだろう。かくれんぼなぞするのだから小さな子供の頃だという事は間違いないのだが、どうしても思い出せなかった。
 それどころか子供の頃の事、ことに祖母と暮らしていた頃の事が何一つ思い出せない事に気付いた。祖母との別れがいつの頃だったかさえ全く思い出せない。
 その当時の事で覚えているのは、どこか分からないが山の麓の小さな村に暮らしていた事、ある時村を出て遠くの町に引越しをした事くらいである。記憶は幾重にも絡み合う糸の如く辿たどる事を拒否する。
 だが、考えてみれば、その頃からゆうに六十年もの歳月が流れてしまっているのだ。記憶が薄れて思い出せなくなってしまっていても当然だ――そう自分を納得させた。
 だが、それでも、どうしても、割り切れずに考えてしまう。村に戻ってみれば何か分かるだろうか。住人や村役場、寺などに聞き込みしてみるとか。
 しかし手がかりを得ようにも、その頃の知り合いや友人も全く分からない有様だ。引っ越したのは学校に上がる前の筈なので同窓会のようなものも無い。一度として村に戻った事もない。
 そのように考えていると、どうしてもに村に行ってみたいという思いがふつふつと湧き上がって止まらなくなってきた。普段は少ない年金をやりくりして暮らしているが、多少の蓄えはあるので旅費を捻出する事くらいは出来るだろう。だが肝心の、村の名前も詳しい場所もまるで分からないのだからどうしようもない。必要な情報はことごとく記憶の中に沈み、全く姿を見せる気配が無いのだった。
 思い出そうと頑張っていると、ふとした拍子で両親から受け継いだ仏壇を思い出した。両親は事ある毎に仏壇を拝むのが習慣だった。すると、そこからの連想だろうか、大事なものは必ず仏壇の抽斗ひきだしに仕舞いこむ父の癖が急に思い出されたのだ。
 もしやとすぐに仏壇を開き、片っ端から抽斗を開けてみると、そのうちの一つから折り畳まれた一葉の紙切れが出て来た。
 見ればX県Y郡Z村とある。このたった一行、墨で書かれた文字列が私の記憶を決定的に呼び覚ました。それこそが私が捜し求める、以前住んでいた村の名だった。まさに両親に教えてもらった名だ。
 調べてみると、Y郡は郡内の町村が合併し、随分前に一つの市――Y市となった事が分かった。Z村も村ではなくなり、今ではY市の一地域となっていた。
 X県は隣県で、またY市はこちら側の県境に位置していてそれほど遠方ではない。どうせ時間は余っている事だし、ここはひとつ本当にZ村を訪ねてみようではないか。自分の生まれた場所、謂わば自分のルーツを是非ともこの目で確かめたい。
 ただ残念ながら元のZ村の辺はおろかY市内にも鉄道の駅が無い。だが幸いバスが ――本数は少なく、何度も乗り継ぎしなければならないが―― 通っているのでどうにかなりそうだ。
 時間的にも体力的にも日帰りは無理なので、この近辺に宿泊する場所はないかも調べねばならなかったが、観光地でもない辺鄙な一地域の事、中々骨が折れた。
 苦労の末ようやく一軒だけ見付かった民宿に電話をかけてみると、いともあっさりと二泊の予約が取れてしまった。相手の話しぶりからするとほとんど客は来ないようだ。にも関わらず、数少ないであろう客からの問い合わせに浮かれるような様子は微塵みじんも感じられない。
 おそらく民宿は本業ではないのだろう。農業の片手間に小遣い稼ぎでもしているといった所か。宿泊費を尋ねると存外に安かった事からもそれがうかがえる。
 旅費との兼ね合いでひとまず二泊三日の旅程としたが、たったの三日 ――初日と最終日は移動があるので実質一日―― でどれだけ調べられるだろうか。まあ幸い時間だけはあるのだから何度でも行けば良い。今よりもさらに年金を節約して旅費を貯めねばならなくなるが、納得が行くまで調べようではないか。
 ひとつだけ不安なのは、最近年齢としの所為か、めっきり体力が衰えてしまっている点だ。しかしそれでも行くしかない、どうしても行かねばならない、何故かそう強く思えてならないのである。この心のもやもやを晴らさねば死ぬに死ねない、それほどまでの強い思いなのだった。

 出発の日は朝早く起きて身支度を整え、前日に用意しておいたリュックサックを背負った。死んだ妻とはよくこうしてハイキングに出掛けたものだ。もう随分前の事だが。懐かしみながら靴を履く。
 子供の頃はハイキングや旅行などには連れて行ってもらえなかった。行ってもせいぜい河原の土手で花見をしたくらいか。お世辞にも裕福とは言えない家庭だった。私が高校を卒業し働き出してようやく一息付けたのだ。
 両親は口を揃えて、平穏無事に人生を送ってくれればそれでよい、と私に語ったものだ。その時にはもう居なかった祖母もそれを強く望んでいたという。
 私はその言葉の通りに大きな波の無い――言い方を変えれば平凡な――人生を送ってきた。学校の成績も真ん中ほど、商業高校に進学し、無難ながらも手堅い会社に就職した。妻とは見合いで出会い、結婚した。問題らしい問題と言えば子供が出来なかった事くらいか。ただ私の両親は特に孫を求めるでもなかった。妻の実家は子沢山でそちらからの圧力も弱く、結果としてそれなりに平穏な暮らしを続けてこられた。
 この十年ほどの間にまず母が亡くなり、後を追うように父も逝った。そして昨年、妻が病でこの世を去った。みな苦しまず安らかに息を引き取ってくれたのは不幸中の幸いだった。そうして私は天涯孤独の身の上となり、引退後の人生を淡々と送っているのである。それでも今思い返せば決して悪い人生ではなかったと思う。
 外に出ると早朝の所為か空気が少しひんやりとしていた。天気予報ではこの季節にふさわしい爽やかな陽気になるという。探索には持ってこいの空の下、私は歩き出す。
 まずは始発停留所である最寄りのM駅まで行かねばならない。バスに乗ってM駅まで行っても良いが、さほど遠くもないし、何しろこれから嫌と言うほどバスに乗らねばならないので歩く事にした。
 まずM駅前のバスターミナルから終着の停留所である県境のN町までバスに乗り続けた。そこからまた別のバスに乗り換え、途中のO停留所で降りた後、今度は畑を横切る田舎道を歩いて別会社のP停留所まで歩かねばならない。
 十五分ほど歩いた末に辿り着いたP停留所には幸いベンチが設置されていたので、そこに座ってバスを待った。長閑のどかな風景が広がる中、四十五分ほど待ち続けたが、その間に他の利用者は一人も現れなかった。
 やって来たバスは私一人を乗せて走り、じきにZ地区、すなわち元のZ村に入っていった。気付けばすっかり日が高くなっていた。
 バスを降りると、そこは山間やまあいの寂れた集落だった。畑の間に古びた家屋がぽつりぽつりと建っている。畑の間に空き地も目立つ。耕作放棄地だろうか。それとも家が取り壊された跡だろうか。
 まずは地図を片手に集落を横切り、散策がてら民宿を探した。集落内は道も畑も人気ひとけがまるで無く、誰かに尋ねるという事も出来ない。
 途中にある寺に立ち寄ってみたが、すっかり荒れ果てていた。もぬけの殻のようになって仏像一つ無い。いつの頃か分からないが廃寺となってしまったようだ。ただただ古い墓石が並ぶばかりだ。大分歩いたのに、徒労感ばかりが残った。
 そうしてようやく民宿に着いた頃には早くも日が落ちかけていた。山の日没は早いというが、まさにその通りだった。
 民宿は無愛想な老夫婦が営んでいた。予約を取る際に電話した時と印象は変わらず、媚を売る気などは全く無いようだった。それでも最低限、寝床と風呂、それに食事を提供してくれるのだからこちらとしては文句は無い。
 機を見て話しかけ、この旅行の目的を話し、幼い頃この辺りに住んでいたと明かしても、老夫婦にとっては興味が湧かないようだった。それでも、古い記録がありそうな所を尋ねてみると、Y市の支所の場所を教えてくれた。

 翌朝、朝食を済ませて民宿を出た。目的地はもちろん支所だ。日に数本しかないバスに乗り、集落を横断して、支所の看板を掲げる古びた建物の前に降り立った。以前は村役場として使われていた建物をそのまま転用したのだろう。
 対応してくれた年配の職員に訳を話し、保管してあったZ村の古い記録を漁ってもらうと、どうにか私や両親、それに祖父母の名を見付ける事が出来た。それによると、やはり私が五歳の頃に我が家は村を離れたようなのだった。詳しい経緯いきさつは分からないが、祖母はその直前に亡くなっている。
 どうして両親は村を離れる事を決意したのだろうか。職員の話によれば、Z村を含めY郡全体がこの頃から既に過疎化が進行していたという。両親は祖母の死を機に職を求めて村を出る決心をしたのかもしれない。
 私についてくれた職員は余程暇だったのか、かなり時間をかけて色々調べてくれた。しかし残念ながら、調べてもらった結果を見ても、結局何も思い出す事はできず、すごすごと民宿に戻る以外に無かった。
 明日には帰らねばならない。めぼしい収穫は得られなかったが、せめて当時私が住んでいた辺りを見てから帰ろうと心に決めた。

 翌日はどんよりと曇っていた。私の心を映しているかのようだ。
 民宿を後にした私は、まず昨日支所でメモを取った地区に足を向けた。民宿の老夫婦によれば、少し距離はあるが歩いて行けない事は無いという。
 教えられた通りに歩いていくと、次第に坂となり、山に入っていった。
 手入れのされない雑木林の間の道を登り切ると、下り坂の向こうは、小山に囲まれた狭い盆地になっており、耕作放棄地であろう荒れ果てた田畑の跡地が広がっていた。ぽつりぽつりと家も見えるがどれも廃屋のように見受けられる。見渡す限り人っ子一人見当たらない。どうも廃集落と化してしまったようだ。
 が、その光景は私の記憶を呼び覚ました。そうだ、確かに私はここに住んでいた。祖母と両親、それに村の人々、数少ない同じ年頃の子供たち……。どうして今まで思い出せなかったのだろう。どうして忘れてしまったのだろう。両の目から滂沱の涙が溢れ出し、何度も拭った。
 その風景を目下にしたままその場に立ち止まり、心を落ち着けてから坂を下り始めた。ここまで来たからには当時の我が家を訪ねてみたい。坂を下ると農地の跡を縫う道へ繋がった。
 あの頃は田圃たんぼも畑も生きていた。村の人々が働いていた。幾人かの子供たちで仲良く遊んでいた。そうだ、まさにこの道を走った。追いかけっこをした。虫を捕った。転んで泣いた。最後は大抵村外れの森に建つ小さなお堂まで行き、そのそばから湧く清水で乾いた咽喉のどを潤した……。
 足の赴くままに歩き、気付けば一軒の廃屋の前に佇んでいた。まるで面影は無いが、そこが私の住んでいた家だったという事が思い出された。
 家はすっかり蔦に覆われ、半分、いや七八割は潰れたようになっている。全壊するのも時間の問題だろう。。
 ふと、周りを見回すと、全く誰も居ないと思われたこの場所に動くものがあるのに気付いた。
 煙だ。少し先の民家の煙突から煙が上がっている。まだ人が残っていたのか。
 たまらずそこへ足を向けていた。誰でもいい、この村の人間と話をしたい。そんな気持ちで一杯だった。
 行ってみるとその家は古そうではあるが相応に手入れもなされているようだった。萱葺かやぶき屋根にはトタンが被せられ、外壁には真新しい木材や石膏ボードで補修されており、窓枠や玄関の戸はアルミサッシだ。
 声をかけると、少し間を置いて老婆が現れた。私よりもずっと年上だ。一人暮らしだろうか。
 私は、怪訝な顔をする老婆に急な訪問を詫び、名乗った上で、子供の頃この先の家に住んでいた旨を老婆に伝えると、相手は目を丸くして驚いた。
「あんれまあ、あんた、ツルちゃんのところのタカ坊かえ!」
 そう言うなり老婆は震えだした。
「カクサレゴが……カクサレゴが帰ってきよった……そんな、そんな……六十年も経って……」
 老婆はおののき身を打ち震わせながら玄関の中に引っ込むと、私の目の前でぴしゃりと戸を閉じた。
 『ツル』とは私の母の名前である。どうやら母を知っているらしい。それならどうして私を拒絶するのだろう。私は玄関越しに老婆に尋ねた。
「一体どういう事なんです? 私は子供の頃の事を調べているだけなんです。何かあったんでしょうか?」
 私の一家が村を出たのは、思ったよりも深刻な訳があったのだろうか。例えば村に居られなくなるような事をしでかしたとか。
 老婆は私の問いかけには応じず無言で玄関の鍵をかけ、そのまま奥に引っ込んでしまった。取り付く島もない。
 それにしても『カクサレゴ』とは何だろうか。私の事を指しているのは間違いないようだが。
 ――その時だった。またも私の脳裏に祖母の言葉が反響した。

 いいかい、タカ坊、約束だよ。かくれんぼをするならね、二つの事を守っておくれ。
 夕暮れ時になったら終わりにする事。「もういいかい」と問われたら必ず返事を返す事。
 もし返事をせなんだら――。

 どうも『カクサレゴ』と『かくれんぼ』は何かしら関係がある気がする。漢字を当て嵌めるとすれば『隠され児』だろうか。私がその『隠され児』だという事が何を意味するのか。
 調べねばならない事はまだまだあるようだ。だが今日はもあまり時間が無いし、頭も混乱している。ここは一旦引き上げて、また近いうちに訪ねるとしよう。
 寂れ果てた集落を見回すと、思い出した事があった。この畑(今ではただの荒地だが)の向こうの道は、あの頃よく遊んでいたお堂に繋がる筈だ。
 そうだ、あのお堂はまだあるだろうか。最後にお堂を拝んでいこう。
 私は思い出のお堂へ向かう道に歩を進めた。仲間たちと楽しく遊び、走った道だ。何だか心まで子供に返っていくような気がした。
 やがて道は少しずつ登り坂となり、鬱蒼うっそうとした森を抱えた丘へ続いていくと、木々の影に隠れるようにひっそりと、しかし確かに変わらずお堂は建ち続けていた。
 私はお堂の前に立ち尽くした。あの頃からそれほど大きくはないと感じていたが、今はより一層小さく見えた。もちろんひどく古びてはいるが、あの老婆の手によるものだろうか、手入れはされているようだ。
 ふいに背後で草を掻き分け土を踏む音がした。振り向くと別の道から一人の男性が歩いてきたのが見えた。年の頃は初老の辺だろうか。
「こんにちは、ここいらの方ですか?」
 男性はにこやかに私に話しかけてきた。今は別の町に居るのだが、子供の頃この村に住んでいたのだと話すと、男性は目を輝かせた。
 話を聞けば男性はY市内の高校の教員で、郷土史を研究しているという。今日はこの地域のほこらやお堂などを巡っているのだそうだ。何と道のりは十数キロに及ぶという。しかし、この辺は歴史上注目されていない地域ではあるが、豊かな文化が遥か昔からあり、歩く価値はあるのだと彼は言う。
 そこで思い付いたのだが、郷土史家なら、さっき老婆に言われた『隠され児』について何か知ってはいないだろうか。
「ああ、『隠され児』。山の神にさらわれた子供の事を、この地方ではそう言うのですよ。逢魔が時……すなわち夕暮れの頃ですな、その頃までに帰らない子供は山の神にさらわれて隠されてしまう、そのような話しが広くこの地方では伝えられています。いわゆる神隠しというやつです。まあ子供のしつけのためのものでしょうね」
 この地方の郷土史はあまり顧みられる事がない所為か質問された事が嬉しかったようだ。それが呼び水となって、彼はこの辺りの民俗的文化的価値を熱っぽく説きだした。
 それによれば、この一帯では古来より山神信仰が篤く、注目すべき風習も多いという。
「……では、私はまだまだ回らねばならない所がありますので、失礼します」
 存分に話せて満足したのか、彼はそう言って山道に消えていった。
 こうして、またお堂の前に私一人が佇む恰好となった。バスの時間をかんがみればもうそろそろ引き返すべきだろう。
 するとまた祖母の声が耳の奥に聞こえてきた。

 いいかい、タカ坊、約束だよ。かくれんぼをするならね、二つの事を守っておくれ。
 夕暮れ時になったら終わりにする事。「もういいかい」と問われたら必ず返事を返す事。
 もし返事をせなんだら山神様にさらわれて『隠され児』になってしまうからね――。

 ――!
 急激に記憶の糸がほぐれていく。
 そうだ、確かに祖母は口酸っぱく私にそう言っていた。だけど、あの時、私は二つとも破ってしまったのだ。
 夕暮れ時になっても私たちは遊びをやめられなかった。これで最後だから、とお堂の周りでかくれんぼを始めてしまったのだ。もう太陽は山の向こうに沈みかけているのは分かっていたのに。
 私は隠れた、このお堂の裏手に。
 鬼になったミイちゃんが「もういいかい」と呼びかけた。マーちゃんやケン坊、イチロウ兄ちゃんがこぞって「まあだだよ」とか「もういいよ」と返事を返したのが聞こえた。
 しかし、この時私はこたえを返せなかった。遊び疲れて眠ってしまったのだ――。

 ――そこで目が覚めた。
 ボクはどこでもない場所にいた。まるでゆりかごの中の赤ん坊みたいに体を丸めて宙に浮かんでいる。目の前は霧がかかったように一面灰色だ。
 お祖母ちゃんの縫ってくれた着物にへこ帯を締め、足には下駄を履いている。お堂でかくれんぼをした時の格好そのままだ。どうして……? いや、それは当然だろう? だってかくれんぼをしてたんだから。
 ふと視界が開けた。山の木の上、いやもっと高いところから村を見下ろしているようだ。もう夜だ。松明たいまつを持った村の大人達が山の方に来る。口々にボクの名を呼んでいる――ボクを探しているんだ。
 でも、ボクは今こんな所にいるんだから、見付かりっこない。村のみんなは、もう何日も山の中を総出で探している。
 お母ちゃんが泣いている。お祖母ちゃんもお父ちゃんも泣いている。ごめんよ、ごめんよ。
 その日からお祖母ちゃんはお堂にお参りをし始めた。

 ――どうか、タカ坊を返してくだされ。返してくだされ。さすれば私の身を捧げましょうぞ。

 何日も何日も、晴れの日も雨の日も、僕を返してってお堂の前でひざをつき、何度も頭を下げて山神様に願掛けをしている。
 そのさ中、お祖母ちゃんが顔を上げた。

 ――ああ、誠でございましょうか。ええ、結構でございます。六十年猶予をいただけるなら充分でございましょう。是非ともお願いいたします。私の命をお取りくださいませ!

 お祖母ちゃんはお堂の裏の坂を登り、丘のてっぺんを越え、その向こうに控える千尋の谷へ、まっすぐに迷う事なくその身を投げた。

*  *  *

 何だかまた眠たくなってきた。まぶたが重くてどうしようもない。もう何も考えられない。
 ボクはたまらず目をつむる。
 じきに、ふわふわと、どこかへ漂いだしたのが分かった。
 そのまま、どこまでも、どこまでも、漂っていった。

<了>

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