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自分だけの幸せを決めて、それだけを目指せばよい

人は幸せになるために生きている。

そして、幸せのためにあらゆるものを犠牲にする。

犠牲になってきたモノこそ、本当の幸せに直結する可能性があるものかもしれないのに。

そして結果として幸せになり切れずに終わっていく。

そんな人が何人もいるような気がする。

そして、そこで定義される幸せは、本当にその人にとっての幸せなのかどうかが気になるところ。

よくある幸せの典型例として謳われているモデルケースがある。

正社員として年収○○万円稼いで、結婚していて子供がいて、庭付きのマイホームを持っていて、健康的にも人間関係も充実していて、休日はバーベキューや旅行を楽しみ、自分の時間もたっぷりある。

そもそもこの夢そのものが現在はかなり難易度がハードになっているうえに、これを目指そうとするとかなりの負担が多くなる。

そして一つでも成立させようとすると、他の条件がダメになってしまうことも多く、そもそも両立が成立しないものが多い。

そして肝心なのは、見せられている幸せ像これはあくまでも「他人が示す幸せ」であるケースが多いということ。

時には企業体が示す、マーケティング上の最適解であることも多い。

そのためいわゆる「幸せ状態」というものを手に入れてみて、しっくりこないという人も多い。

本当にこれは自分自身が望んだものだったのかどうか。






そもそも他の人が示す幸せに憧れる必要は全くない。

「典型的な幸せ」にあまり憧れを感じないという、自分の正直な感覚を大切にできたかどうかがカギになる。

人から見たら、いわゆる典型的な幸せ像を目指さないのは、それは感覚がおかしいという人もいるかもしれない。

でも、それはほんとうにおかしいことなのだろうか。






まず幸せは何か。

それは自分自身の思い描く本物の理想の姿と現実の状態が一致している状態のこと。

そしてその乖離度合いが大きいほど、幸せという状態からは遠ざかった状態である。

そして、ほとんどの人はまだまだその理想の状態から離れていると感じているというのがほとんど。

では理想の状態を目指すためにまず必要なことは何なのか。

それはまず前提として人それぞれ幸せ・理想とする姿が違うという事を認識すること。

そのうえで自分が理想とする姿を明確な形にすること。

それが明確でないからこそ、人と同じ真似をしてみて、幸せかどうかを確認しようとして失敗する。

というのも大体の場合は他人の幸せの形と、そこまでしっくりと来ることは無い。

なぜなら、所詮は人の幸せをまねしているだけだから。

それはまるで他の人の合わないサイズ・センスの服を着させられているだけのようにも見える。

それは幸せではなく、「はりぼてのしあわせ」であることもよくある。

人から見られて憧れられようとすること、それはまさにはりぼてそのもの。

はりぼてではない、本当に自分自身が心から望んでいると発見出来た時、その理想を幸せ状態目指すことが可能になる。

そのためには「なぜそれがあなたにとっての幸せなのか」ということを自分自身に繰り返し問い続け、その深堀をし続けた先にあるものを目指せるかどうかということが重要になってくる。





そうはいっても、気が付いたら他人の幸せに惹かれてしまうこともあるかもしれない。

憧れを感じていて、一方で自分はまだまだと思うこともあるかもしれない。

この状態を抜け出すために必要なこと、それは何なのか。

それは自分の中での幸福の定義を明確に決めてしまう事。

それは多くの場合、他の人とは全く違うし、それを抱けを目指そうとすることこそが自分にとっての最も充実した人生になる近道でもある。

幸せの定義はひとそれぞれ。

多くの人と沢山しゃべることを幸せと感じる人もいるかもしれない。

自然豊かな環境で一人瞑想にふけるのを幸せと感じるかもしれない。

何かを作り出すことに幸せを感じるかもしれない。

全てが自由にコントロールできる状態を幸せと感じるかもしれない。

他の人が誰も出来ないことをやり遂げることを幸せと感じるかもしれない。

多くの幸せな人に囲まれることが幸せかもしれない。

大好きな動物と一緒に過ごすことが幸せかもしれない。

パートナーと最高の時間を過ごすことが出来ることが幸せかもしれない。

多くの本や物語に出会えることが幸せかもしれない。


それぞれの幸せ価値観を明確にすることが出来れば、憧れることは無くなる。

そして見せつけられたことについて、自分のほうが足りないと不幸に思う必要もなくなる。

そもそも自分の幸せのほうが劣っている、優れているということは無い。

それぞれの中で幸せを決めてしまえば、隣の芝は全く気にならなくなる。






自分の真の幸せを決めること、そしてそれのみを目指すことが生きている人全員出来るようになったら、おそらく多くの争いはなくなる。

なぜならそれぞれが充実した状態になるから。

そして幸せは手に入れるものではなく、あるがままに「在る」状態そのもの。

今の自分の感覚と現在の環境が一致する状態であれば、それは幸せであることにほかならない。

場合によっては、自分にとっての幸せは今そのままの状態であることかもしれない。

そしてこの思いを少しでも広げていくことが出来たらいいなと思う今日このころ。








ありがとうございました。

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