マウント取り合戦 vs 逆マウント取り合戦に巻き込まれないように
人より優れていたい。
人に勝っていたい。
何かを常に自慢していたい。
負けず嫌い。
隣の芝生は、自分よりもきれいに見えることにイライラする。
だからこそ、どこまでも優位である自分を演出する。
SNSがますますきらびやかな部分をみせるようなことについて、色々な感情が溢れてくる。
マウントを取ること、それは自分が優位に立ちたいという気持ちから発生すること。
年収が3000万を超えている。
高級な家に住んでいる。
物凄いスーパーカーを持っている。
いつでも自由である状態である。
世界中旅行に常に出かけている。
とてもかわいい彼女、もしくはとてもかっこいい彼氏がいる。
結婚して子供もいて、毎日が本当に充実しているように見える。
このような種類の投稿を見るだけで、周囲は色々な気持ちを持つに違いない。
一方で人によってはそれを逆手に、逆マウントを取ることもある。
東大や京大などの一流大学を出ているにもかかわらず、この程度の実力なのか。
年収が高いくせに、全く使えない上司。
年上なのに、子供みたいな知能。
自分よりもスポーツできるような身体をしているのに、運動が全くできていなくて戦力にならない。
博士なのに、無知すぎて問題外。
このように扱われることに対して、多くの人は不快感を持つ。
マウントを取ること、逆マウントを取ること、どちらのケースにせよ、自分が優位な位置に立っているように感じたいというもののように感じる。
そして少しでも自分が不利な位置にいるとイライラしたり、さらに下とみる人に対していじめを行ったりする。
その結果として分断や不和が広がり、結果として争いが生まれる。
エスカレートすることによって、暴力につながることもあるに違いない。
格差そのものが対立構造につながり、お互いが分かり合えなくなってくる。
様々な誹謗中傷についても、元々はマウントを取ることや逆マウントを取るという心があるからのように感じる。
それはある意味心が余裕を持てないこと、貧しくなっていることであるといってもいいのかもしれない。
世の中にあふれる投稿・記事・報道に対して、マウントを取られた、もしくは逆マウントを取られたように感じることがあるかもしれない。
それは投稿が問題の発生源そのものというより、実は感じた人自身の心が飢えている状態といってもいい。
というのも元々心が豊かで余裕がある状態であるのならば、そのような記事やマウントを取ること、逆のマウントを取ることについては興味もないから。
優位でいたいということは、心の枯渇を埋めるために必要と感じているだけもの。
ある意味自分の心の満たされ具合を測る指標として、マウントを取ること、逆マウントを取ることに反応する度合いがあるような気がする。
ある投稿に過剰に反応する自分や、羨ましいと思う自分、優位に立ちたいと思う自分など、色々な心があるにちがいない。
ではどうすれば、その心を静めたり落ち着くことが出来るのか。
ヒントになりそうなものを3つほど考えてみる。
1つはマウントを取ること、取られることから離れること。
SNSや周囲が自慢だらけの世界であるのならば、そこは居心地が悪いといっても過言ではない。
居心地が悪ければ、まずは距離を置く、離れることが手っ取り早い。
SNSも断捨離して、見ないようにする。
そうすることによって情報にも触れることが無くなり、わざわざマウントを取ったり、逆マウントを取る必要性がなくなる。
2つは、マウントが取れないほど実力において突き抜けてしまう事。
あまりにも能力が高かったり、ある分野に対して非の打ちどころが全くない状態では、もはや相手にされることは無い。
野球では大谷・イチロー・松井をはじめとしたスーパーヒーローになってしまうと、もはや誰も何も言えなくなる。
他の様々なスポーツだけでなく、年収や実績、影響力など含めて誰も追随できないレベルにもっていってしまうこと。
そうすると、もはや周囲が全く気にならなくなるに違いない。
3つは、自分自身の軸だけに忠実で生きること。
他の人が誰も理解出来ないような軸であればあるほど、その分野には誰も近寄ってこない。
そうすることで、他の人が持つような軸は全く気にならなくなる。
人生の進むペースは人それぞれ全く異なることも含めて、それを当たり前だと感じれば比べる気もなくなる。
その結果心がどこまで満足できるようになり、本当の意味での充実が訪れる。
上記の3つのうち一つでも取り入れる、複数を組み合わせることによって、心は落ち着いていくに違いない。
人はそれぞれ別の人生を生きている。
だからこそ、そもそも比べることそのものが無意味で無駄なことかもしれない。
そのことに気が付いているか、気が付かないかということだけで、人生の難易度は大きく変わってくる。
周りを全く気にせず、あるがままに生きること。
現在の世の中はそれくらいの気持ちを持って生きると決めるくらいでちょうどいいのかもしれない。
ありがとうございました。
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