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安定という名の幻 変化と不安定を常識として生きているならば

多くの日本人は安定を好む。

想定外であることは出来るだけ望まないし、考えたくない。

一攫千金の可能性があるものであっても、簡単には手出しをしない。

死のリスクを背負うこともありながら年収1000万になる可能性を秘める漁業よりも、ホワイトカラーで400万円を目指す。

ギャンブルや一発逆転という世界よりも、穏やかで着実に成長する変化が少ない成長が好まれる。

ある意味それはこの社会が安定しているからこそ。

穏やかでのんびりと過ごし、リスクにさらされることがほとんどない状態。

これこそが平和であり、これこそが先代の方々が築き上げてきたとても素晴らしい結晶であることは間違いない。




一方で、現在は今まで以上に不安定な世の中になりそうな予感も溢れている。

金融の世界、地政学の世界、手に負えない社会的な問題が溢れることなどで、今までの平穏な暮らしが失われつつある人もいる。

災害などに直面することもあり、それによって平和で落ち着いた安全な世界が一瞬で壊れてしまうこともある。

このような非常事態が起きてしまうときに一番弱いのは、安定になれてしまった人たち。

安定で安全であることが当たり前であることで、いざ大きな物事に直面したときにしっかりとした行動を取ることが出来ない。

避難訓練も形式ばっている状態であったり、災害対応方法についてもいざとなったら知らないことが多いのは、まさに平和に慣れすぎたから。

現実の厳しさに直面して、安定というものは実は幻であることに気が付く。

気が付いたときにはどうしようもなく、思考停止して行動が出来ない。

その瞬間はまるでファンタジーのように感じてしまうかもしれない。




世界には変化と不安定を常識としている人たちもいる。

むしろ歴史的に見てみると、そちらが多いこともあるかもしれない。

安定しているものはなく、常に変化がやってくる。

今目の前にある落ち着いた状態は幻であり、それこそが異常事態。

平和と平和の間に戦争や混乱があるのではなく、戦争や混乱の間に刹那の平和がやってくる。

所属する国や環境によって、その意識を持てているかどうかが全く異なる。

不安定と変化を常識としている人は、いざ何か大きな問題や災害、金融危機があった時でも落ち着いて行動することが出来る。

時にはその瞬間こそが待ち望んでいるものとして、チャンスをつかみ大きく自分の力を伸ばす人もいるかもしれない。

そして不安定を常識として生きることは、多くの変化に対して柔軟に対応できる可能性を持つ。

全ては変わりゆくものとして捉えて、安定していることこそが異常事態と捉える。

だからこそ、何が起きても動じることは無い。

それはあくまでも常識の範囲内であるのだから。




安定を常識とするか、不安定を常識とするか。

どちらの常識を持っていることについて、良いも悪いもない。

ただ遭遇する場面や環境にとって、どちらの常識を是として生きるかによって行動が全く変わってくる。

そして、激しく揺れ動く時代において生き残れるのは、不安定を常識とする人であることが多い。

いつでも考え続け、多くのものを疑い、自分にとっての最適解を求めて常に動き続ける。

そして常に行動を続けることで、身軽な思考と持ち物と共に、いつでも最適な場所や環境に移動する。

おそらくそのような人たちは知っているのだろう。

不安定で変化しないものはないということが、唯一の不変の真理であるということを。




ありがとうございました。

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