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片側に肩入れするのなら、逆側からの攻撃を受け入れる覚悟と心の余裕を持つこと

立場を表明する必要があることは、生きている中でよくあるに違いない。

その考えに賛成か反対か。

誰かに味方するか、敵となるか。

共に行動するかしないか。

対立関係が鮮明になると、特に立場を問われることが増えるかもしれない。

とくに二極化が進み中では、それがとても激しくなっているように感じる。

ワクチンに賛成か反対か。

詰め込み教育に賛成か反対か。

ウクライナの立場に賛成か反対か。

安楽死に賛成か反対か。

憲法改正に賛成か反対か。

ある芸能人や政治家の行動に対して味方になるか、敵になるか。

様々なことにおいて、立場が問われることが多くなっているように感じる。

それは多くの行動がSNSによってより見えるようになってきたからこそ。












どちらかの立場を明確に表明することには様々なリスクが伴う。

特にSNSから匿名の攻撃が容赦なく続く時には、火に油を注ぐ展開になる。

だからといって、意見を表明することを避けるとどうなるのか。

どちらにもつかないということは、時には立場を表明しているどちらからも攻撃を受けるということもある。

何かを選択すること、選択しないことは、いずれもその逆側の立場からは憎まれるべき存在にならざるを得ないことがあるから。

とても当たり前のことかもしれないが、このことをあまり意識せずに立場を表明すると大変なことになる。

なぜ少し自分の意見を言っただけで攻撃を受けるのか。

なぜ中立で何もしていないのに攻撃を受けるのか。

攻撃手段が多様でよりハードルが低くなっている現代は、些細なことでも攻撃や衝突が発生しやすい。

そして人々の余裕がなくなっていることも、その攻撃の発生頻度を上げているような気がする。

そして多くの攻撃にさらされて気が付いたら心がすり減ってしまう人も増えている。

対立に対する対立、反対意見とさらなる反論。

立場が明確になればなるほど、それに対する攻撃は激しくなっていく。

そして容赦ないようにも感じる。











自分の立場を世の中に宣言することは、とても覚悟がいること。

もちろん素晴らしいことでもあるし、世界に宣言することによって物事がより進むようになることもある。

言葉そのものが力になること、そしてその拡散速度が速くなっているからこそ、宣言することによって実現速度はどんどん加速する。

一方で、逆側の立場の人からの攻撃量も増えてくる。

発信の拡散速度が倍になれば、攻撃は何倍にも膨らんでいく。

様々な方向から、攻撃や誹謗中傷が飛んでくることもあるかもしれない。

夢を宣言したことに対して、それをあきらめさせるような言葉も増えてくるに違いない。

でもそれは逆側の意見の人が存在するからであり、しごく当たり前のこと。

立場を表明することによる逆側の攻撃は、十分に想定できること。

だからこそ、その覚悟を持ったうえで様々な宣言をしていけばよい。

攻撃に対する防御方法や、華麗に無視してかわす方法、話をずらして逆に相手を追い込む論理構成、鋼のメンタルで何も感じない方法など、色々な対処法がある。

準備をしっかりとしたうえで、自分の立場を表明すること、そしてその立場を本心からの言葉と一致させること、それであれば心は安定する。

何かに賛成すること、何かに反対すること、立場をあいまいにすること、どれも素晴らしい選択。

一つ一つの選択に自分なりの自信を持って進むこと、それが出来ていれば、混乱時代でも楽しんで生きていける。

周りからの攻撃は想定内と覚悟して、その意見すらも尊重出来るほどの心の余裕があればなおのことよい。

広い心で世の中を渡っていければ、何も怖れることはない。














ありがとうございました。


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