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ネットに触ることは、個人情報の無料公開をするということ

個人情報が大きな価値になる時代。

それは情報が大きなお金に変換できるからこそ。

どんな些細なワンクリックであったとしても、そこには個人情報があふれている。

そこには見えない形での思考が、大いに繁栄されているから。

さらに個人情報をベースに最適なマーケティングを展開できる。

志向や好み、行動含めてある程度推定は可能になってくる。

そしてその人に対して意図的に行動を仕向けるために、個別最適化された情報誘導も可能。

しっかりとコントロールすることが可能になってくる。

それも本人が無意識のうちに。




ちょっとしたアンケートに対して回答すること。

それひとつについても、その人の思考が多く反映される。

SNS上のものでアンケートを取るということ一つについても、大きな影響をもたらす。

リプライやリポスト、いいねやコメント含めて、実はとても重要な個人情報。

そして、ある投稿に反応するということは、その情報に興味があるということで、その人を自動的にタグ付け出来るということ。

特にネット上では人に見られていても気にしない意識が強く、潜在的な本音が出やすい。

だからこそ、それが上手く有効活用されて、大きな資源となっている。

そしてその資源を一挙に獲得することが出来るプラットフォーマーは、無料で情報鉱山を掘り当てたのと同じ状態。

利便性を提供する価値以上に、多くのものを得ている。

もしかしたら個人の選択や反応情報を得ることで、web上に勝手にその人のアバダーを生み出して、勝手にその人ならば選択するであろうことを選択させ続けた結果をシミュレーションしているかもしれない。

その結果として、その人の今後の未来や寿命、亡くなる時期やその後の影響など含めて、ある程度推定できるようになっているかもしれない。

プラットフォームを独占できること程、現在の世の中における大きな強みというものはないのではないだろうか。




個人情報が無料で本人の許可なく勝手に提供されていることを知り、大いに反発する人もいるかもしれない。

それに対して対抗するという意思をみせようとする人もいるかもしれないが、そもそもそれに対抗手段はあるのだろうか。

そもそもwebに関連する情報から完全に隔絶された空間の中で生きることは出来るのか。

おそらくここまで現代の利便性に依存している状態で生活している場合は、かなり難しいように感じる。

文明の利器を使わない未開の種族と言われる人たちであっても、全くの便利な機器から完全に隔絶されている状態というものはあまりないように感じる。

そもそもgoogle mapなどの包囲網から完全に隠れるということは、かなり難しいことであるように感じる。

ちょっとでもyoutuberやカメラ付スマホが向けられる瞬間があり、そこで認識された瞬間に、webの海の中に取り込まれる。

時には個人の考えを悟られないように、よほど意図的に逆側の意見をコメントし続けている人や正反対の意見を出している人もいるかもしれない。

それによって、自分の本音をさらさずにバラバラにして相手を混乱させようとする人もいるかもしれない。

ただ、その人の行動含めて最終的には位置情報やカメラに映る行動など含めてわずかでも情報の網の目に引っかかった地点で、その工作は全く意味をなさなくなる。




個人情報の無料公開が当たり前になっているのは、どうしようもないこと。

webにおいてプライバシーが守られるべきとはされているものの、実際のところはすべてが筒抜けで勝手に公開されていくものと考えるべき。

だからこそ、常に当たり前にみられている意識を持つこと、行動一つ一つに対して責任を持つことが大切。

マインド上で「恥ずかしい」というものを取り去って、すべてを表にさらす覚悟がある人であれば、もしかしたら何も怖くないかもしれない。

とはいえ、そのようなことが出来るのはごく一部に過ぎない。

自分自身が現実においてもwebの世界においても、常にその海の中に常に取り込まれている状態であることを自覚すること。

すべてが当たり前のようにさらされていることを意識して行動すること。

そのうえで、無条件に情報を提供してしまうことがないように、必要以上にwebの世界に頼りすぎないこと。

調べること一つであっても、敢えてweb上で調べずに現場に突撃すること。

文明の利器に頼らない状態で、自然の中に居られる時間を増やしていくこと。

まずはそのあたりから少しづつ始めて行けばよいのではないかと感じる。




ありがとうございました。

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