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抽象度をより高く、構造的・相似的に考えること

色々な話を聞くのが好きだ。

そして、その話を自分なりに解釈して、色々な方向に発展させたりするのが好きだ。

インプットした分は、何らかの形でアウトプットしたくなる。

どのような話であっても、何らかの過去の話の要素や仕組みと組み合わせて、似ている所や要素を取り出す。

そしてその似ている所を当てはめて別の形の解を見出すことはとても面白い。

それぞれ相似的にパズルのように当てはまることが多いから、経験量やパターンが増えれば増えるほど、対応できる形の種類は増えていく。

そしてその要素をより抽象化したものを、いわゆるノウハウや技術として引き継いでいく。










自分自身は過去の経験から似たことを当てはめること、より抽象的に物事を考えることが好きみたい。

だからこそ、より色々な視座を持つことは楽しみであり、異分野でも同じようなことが当てはまる瞬間を見つけることに快感を覚える。

あらゆるものが基本同じ法則に基づいている中から作られていることから、似たようなものになるのはある意味当たり前かもしれない。

ただ、その当たり前について個別事象としてとらえるだけでは分からないことが多い。

だからこそ、より多くの経験や事例を知ることは大切。

具体と抽象をうまく行き来すること、それがとても楽しいと言えるに違いない。

具体的事例を抽象化すること、抽象化しているものを具体的な例として説明すること、それを繰り返す頃が出来ることによって、様々な場面でも対応可能になってくる。

それはまるで数学の応用問題を解くみたいなイメージ。









世の中にある様々な種類の問題、これらはとてもバラエティー豊かに溢れている。

企業の問題、社会の問題、歴史の問題、数学の問題、家庭の問題、学校の問題、政治の問題、科学の問題、国の問題、ありとあらゆるところに問題が溢れている。

最近感じるのは、どの分野であっても相似化と抽象化をとことん極めれば、どれも似たようなパズルに当てはまるような気がするという事。

異分野に急に飛び込んでも問題の本質が一瞬でわかる人というのは、おそらく多くの事例をうまく構造として捉えているから。

それは様々なことを普段から抽象化することにたけているから。

もちろん本質を見極めるのと、それを解決するのは別のスキルが必要かもしれない。

ただ、素早く解を導くことが出来るのは、より本質を瞬時に抑えられるかどうかという事。

周囲のよくわからないところで止まっているのではなく、素早く根本を抑える方が進みは早い。

そして、不可逆的に解決状態を維持することが出来るのが、一番望ましい。











世の中に課題が溢れていること、それはそれだけ解きがいのある練習問題があるということ。

その事例に多くあたること、そしてその抽象度を上げて構造として捉えること。

それがある意味考えることの楽しみでもあり、生きがいでもある。

色々な分野に興味を持って、様々な種類の問題に出会う事、それを生きている制限時間の中でどれほど楽しめるかどうか、それこそが自分自身が生きている意味の一つになるのかもしれない。











ありがとうございました。

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