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この世から消える直前に後悔しないために

日々読書をしている中で、ホスピスや死に関係する本を読むことがある。

その中でも最期を看取っている医師や看護師さんは、亡くなる直前の最後のメッセージを多く受け取っている。

そしてどの本にもとてもメッセージ性のこもった、今はこの世にいない大切な方々の思いが溢れている。

特に本を読んでいて触れている中でも、常に共通する重要なメッセージがある。

それは、「やってしまった後悔」よりも「やらなかった後悔」を抱えながら多くの人はこの世を去るという事。


あの時、もっと仕事ではなく趣味に忠実に生きればよかった。

あの時、もっと家族を大切に生きればよかった。

あの時、もっと自由に過ごせばよかった。

あの時、もっと健康に気を付けて過ごせばよかった。

あの時、もっとわがまなに自分を貫けばよかった。

あの時、もっとお金を使って夢に向けて動けばよかった。

あの時、我慢せずに自分のやりたいことを出来ればよかった。

あの時、人目を気にせずに自由に振る舞えばよかった。


後悔することの中では、自分を偽ることで本当に大切にしたいことが出来なかったという心残りが圧倒的に多い。

思い起こしてみると、物事に対して我慢した結果、自分のためではなく、自己犠牲を果たしてその場をやりぬけたということが多い気がする。

ずっと心残りであることが果たせなかったという事、選択について後悔していること、自分の中でも振り返るだけでもかなりの数がある。

その後悔を出来るだけ残さずにこの人生から旅立つには何が必要か。








やはり、今自分がやりたいことを実施するように動くことが大切。

○○のせいで出来ないということは、あくまでも自分が出来ないことをごまかすことで正当化しているにすぎない。

自分の周りに多少の迷惑をかけたとしても、自分自身がその場で最もやりたかったことを、まずは少しでも実行できるように動けばよいということ。

オーロラを見たかったら、有休をとる、場合によっては休職をするなど多少無理をしてでも観に行くことが出来る何らかの手配を進めてしまえばよい。
⇒昨今の円安で航空機チケットが高いと言っている場合ではない。

祖父母に会いたければ、すぐにでも会いに行くこと。
⇒時間はたっぷり、すぐにいなくなることは無いだろうと言っている場合ではない。

両親が健在な間に、出来るだけ自分の思いを伝えること。
⇒明日でもいつでも伝えることは出来るからまたいつか、なんて思っている場合ではない。

パートナーや子供に対して、自由に会える時間も実は長いようであっという間であることを考え、できるだけその人たちと本当の意味で一緒に過ごすこと。
⇒毎日いつでも会えるのが日常と思っている場合ではない。

わがままであることはある側面から見るとよくないと人には映るかもしれないが、そうさせている空気そのものがもしかしたら後悔を生み出す源になっているかもしれない。










失ってみて初めて気が付くこと、それは経験しないとわからないかもしれない。

いくら本やブログ、テレビや動画を通して、「知識」として後悔すること防ぐために重要なポイントを押させていても、目に見えていない後悔は数多くある。

でも出来るだけ後悔しないために、先人の知恵、多くの素晴らしい方々がメッセージを残してくださっている。

だからこそ、それらの知識を有効活用して、もっと自分らしく生きてみてもいいのではないだろうか。

もっともっとわがままになってみてもいいのではないだろうか。

他人に後ろ指をさされる、それによってどれほどの自由を自分自身で制限しているのか。

もっと、ほんものの自分に忠実に生きてみてはいかがでしょうか。

そうすることによってはじめて、その方々の思い・メッセージをあなた自身の血肉となり、それを活かすことこそが先人たちに対しての最も報いることになるのだから。








ありがとうございました。

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