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権力がないフリをした権力者、目に見えない権力について

権力があるということ。

それは力が溢れていて、相手をコントロール出来るということ。

相手が自分が思ったのと違う状態であるときに、直接触れないで思い通りの形に強制的に動かす力。

それは立場であったり、法律であったり、団体の力であったり。

そしてコントロールされる側にとっては、思いもよらぬ方向に動かされることは恐怖になる。

権力に逆らう事、それは時にはこの世からの退場となる。

だからこそ、権力に対して従順に、出来るだけ刃向かわないように動くことが普通。

逆らうとしても正面からではなく、側面や上から等、まっとうには戦うことは難しい。

誰だって、命は惜しいものだから。









権力がしっかりと存在することが分かって、権力をふるっているのならばまだ対処の使用がある。

権力者やその立場にいる対象が明確であれば、その対応は何とかなることが多い。

一方で、権力がないふりをして実は大きな権力を持つものに対してはどうなのか。

それはある意味とても厄介なのかもしれない。

権力がないふりをして、こっそりと権力を思いっきり振るう。

力がないように弱者のようにふるまっていて、普段は弱いことを主張したり、保護を求めたりする。

相手が強いと感じた時や、まっとうに感じた時にはうまくそれをかわす。

そして周囲に援助を受けて力を蓄える。

そしていざ力を発揮する時には、誰よりも力を持った状態ですべてを一気に支配してコントロールする。

助けてくれた相手や、相対する権力に対して、さらに強烈な権力をふるって打ち負かす。

常に権力欲を隠して、いざというときに一気に攻め込んで飲み込む。

これは作戦や戦法としては、ある意味とても優れたものであり、効果性は半端ない。








権力をふるっている対象が見えないことも、権力がより力を持つ要素にもなる。

見えないことは、多くの人に恐怖をもたらす。

コントロールされている側としては、何によってコントロールされているか分からない。

上手く対応しようにも、対応できない。

見えないところから操られていては、どうしようもない。

なんとか操り人形を抜け出そうとしても、本当の意味で抜け出せたかどうかがわからない。

常に何かのひもに繋がれたがごとくのように感じてしまう。

常に何かに閉じ込められているような感覚で委縮してしまう。

このように目に見えないように権力を発揮することは、人の支配やコントロールという意味で大きな効果をもたらす。










本当に権力を持っていること、それは力がないふりをしていて、さらに直接見えることが出来ないモノ。

表に出ていて、明らかに権力を持っているという風に思うものにおいても、実は権力がなかったりもする。

だからこそ、何が本当の権力を持っている状態として強いのは、隠れた存在もしくは権力がありそうでなさそうな対象。

自分自身は何にコントロールされているのか、それを見極めるためには表側の見えるものだけを対象にしていては分からないことがほとんど。

目に見えない何によってコントロールされているかを見極められるかがとても大切なこと。

目に見えない権力、それはどのようなものなのか。

集団の同調圧力なのか。

同調圧力を生み出す構造なのか。

別の環境要因で発生する力なのか。

メディアかもしれないし、隣にいる人かもしれない。

それはあなた自身かもしれない。

もしかしたら、権力と思い込んでいるだけで、そもそも権力でも何でもないものなのかもしれない。

それを見破ることが出来ること、それは権力の勢力下から抜け出したも同然。

権力とされるものを観察して見破ること、それこそがコントロールされる環境から脱出する唯一の方法なのかもしれない。











ありがとうございました。

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