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シリーズ・映画配給会社プロジェクト    その2. 『正しい日 間違えた日』

 UPLINK Cloudの「Help! The 映画配給会社プロジェクト」を受けて、先日から開始した「シリーズ・映画配給会社プロジェクト」。初回はジャック・ドゥミ『天使の入江』を紹介したが、第二回は韓国の映画監督ホン・サンスの『正しい日 間違えた日』(2015)を取り上げる(配給:クレストインターナショナル)。ホン・サンスは1961年ソウル生まれ。韓国中央大学で映画制作を学び、その後アメリカ、フランスに渡った。長篇デビュー作は『豚が井戸に落ちた日』(1996)。今回ご紹介する『正しい日 間違えた日』は第68回ロカルノ国際映画祭でグランプリと主演男優賞をダブル受賞した作品だ。

 本作は2018年、『それから』が公開されるタイミングで組まれた連続上映において劇場初公開となった作品。『夜の浜辺でひとり』(2016)、『それから』『クレアのカメラ』(ともに2017)、『草の葉』『川沿いのホテル』(ともに2018)と続く、ホン・サンスとキム・ミニのタッグの第一作がこの『正しい日 間違えた日』である。

二部構成が生み出すユニークな味わい


 映画監督のハム・チュンス(チョン・ジェヨン)はスウォンにやってきた。ここで行われる自身の映画上映とそれに伴う特別講義のためだ。なのだが、特別講義は翌日。スタッフの手違いでチュンスは一日早くスウォン入りしてしまったのだった。ソウルとスウォンは地下鉄で約一時間というから、出直す気になればそれも可能なのだが、運営側がスウォンに宿を手配してくれたのでチュンスは一日ここに留まることにした。『正しい日 間違えた日』は、このぽっかり空いてしまった一日(正確には日付をまたいでいるが)の出来事を描いた作品だ。

「正しい日 間違えた日」sub3

© 2015 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.


 極めて大雑把に本作のストーリーを述べれば、チュンスがスウォンの観光名所でヒジョン(キム・ミニ)という女性と出会い、コーヒーを飲んで、彼女のアトリエに赴き、鮨屋で呑んで、ヒジョンの先輩のカフェに一緒に行き、翌日チュンスは講義を終えてソウルに帰る、という内容。取り立ててドラマティックな出来事は起こらないのだが、にもかかわらずこの作品は実にユニークな味わいを持っている。その理由の一つは、本作の構成にあるといえるだろう。

「正しい日 間違えた日」sub2

© 2015 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.


 映画が始まって、タイトルとクレジットが掲出されたのち、画面には「あの時は正しく 今は間違い」の文字が出現する。以後、121分あるうちの半分ほどがこの「あの時は正しく 今は間違い」の物語である。ではそのあとはといえば、「今は正しく あの時は間違い」の物語。二部構成なのである。そしてその双方で先に大雑把に述べたストーリーが展開されるのだ。

会話の渦に飲まれてたどり着くのは


 物語の大筋は第一部、第二部とも同様だが、会話やディテールはそれぞれ異なり、それゆえ結末も違ったものになる。場面場面でどのように考え、そのうえでどう話すか。そして、それを受けて何を思い、どう返答するか。いうまでもなく、会話では必ずしも自分が期待した答えを得られるとは限らない。そうした会話の流れに翻弄されて、思いがけない、あるいは不用意な発言をしてしまうこともあるだろう。そんな会話の渦に飲み込まれて、気がつけばもはや生還不可能な極地にたどり着いていた、などということは実生活でも十分にあり得るに違いない。こうした会話の渦を、ホン・サンスは長回しのワンショット––––あたかもたまたまその場に居合わせた人のような視点のそれ––––でもって淡々と収める。そして、我々はいつのまにかその会話から目が離せなくなってしまうのだ。この会話を軸にしてストーリーをドライブさせる手法を見るにつけ、ホン・サンスが「エリック・ロメールの弟子」と評されていたことを思い出さずにはおけない。それにしても、チュンスの発言(とりわけ第一部のそれ)のなんと上滑りしていることか! それに引き換え、ヒジョンの言葉は哲学的でさえある。この対比は、たとえば『それから』でも感じられるだろう。なんというか、男はダメなのである。

「正しい日 間違えた日」sub1

© 2015 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.


 さて、この『正しい日 間違えた日』でいかなる会話が展開されるかはぜひ本作をご覧いただければと思うが、第一部と第二部で同じモチーフという点において、現代音楽のミニマルミュージック––––主題が時間の経過とともに少しずつ変化してゆく––––とも比されることが少なくない。確かにその通りだと思うが、私がこの作品を観て思い浮かべたのはレーモン・クノーの『文体練習』だ。「S系統のバスのなか、混雑する時間。ソフト帽をかぶった二十六歳ぐらいの男、帽子にはリボンの代わりに編んだ紐を巻いている」で始まる「1・メモ」から「99・意想外」まで、同じ出来事を違う文体で変奏したこの書物(朝比奈弘治の翻訳が素晴らしく、それを引き立てる仲條正義の本文レイアウトがまたいい)は、『正しい日 間違えた日』とどこか似かよったユーモアが漂っているように思う。


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