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当たり前の価値を超えていくこと

多くのデザイナーは、デザインの価値や理論を主張しています。私も勿論そのうちの1人です。しかし、より重要な視点があります。




1. 課題の奥に潜む課題

先日、人材紹介会社様と会話した際の出来事です。人材紹介会社は「優れた人材を紹介する」という提供価値を持っています。

私は業務委託の方を採用したい。それが足元の課題です。先方は「マッチする人材を紹介」すれば、役割を果たすことになります。事実、私もそれを求めています。

しかしそのとき、どのような方を採用したいかではなく「私個人が抱えている課題」について質問されました。そもそもの課題は何か。この体験で私は、心を大きく動かされたのです。


2. 芯の課題

私は、組織課題に悩んでいました。足元の課題は採用でしたが、核となっている「芯の課題」は「私自身」だったのです。

私は、未来の組織がどう在るべきかを描き、進化を牽引する必要があります。新たな論点と勝つための戦略と配置を分かりやすく提示する。その課題を認知しているつもりでしたが、受け止めていませんでした。

先方にとって私は顧客です。顧客が求めているもの、課題の奥にある「顕在化していない課題」は何か。そこを聞き出そうとしてくれたのでしょうか。私はその瞬間まさに悩んでいました。


3. 求められる価値を超えた感動

自身に置き換えて考えると、現在我々はデザイン業務において、安定した成果を量産しています。しかし、人材紹介の担当者様のように「他者から求められている価値を超えた感動を生み出せているか」。その問いに、明確に答えられない自分がいます。

顧客が欲しいと願ったものをデザインし生み出している。社内の採用担当者と伴走し、採用サイトなどのクリエイティブを生み出している。しかし、我々はもう一歩前へ踏み出す必要があるのではないか。

一歩とは、既存顧客の顕在化していない課題を探索すること。カスタマーサクセスと伴走する。芯の課題は何なのか。デザインで解決したい。そしてそれは、自身の業務に楽しさを与えると考えました。


4. 当たり前の価値

デザインの価値や理論を主張したりしない。顧客の「芯の課題」を掴みにいく。それこそ必要なアクションだと感じます。

あらゆる領域の熟達者たちに目を向けてみると気付くことがあります。シェフが美味しい料理をつくるのは当たり前です。医師が適切な薬を処方するのは当たり前です。選手が速く走るのは当たり前です。そして、デザイナーが優れたデザインをつくることは当たり前です。

求められる価値=当たり前の価値。期待通りの価値提供です。

それらを提供できなければ、プロフェッショナルを名乗る事はできません。他領域の熟達者たちは「当たり前の価値」を主張したり、理論を語ったりしていないのです。


まとめ

私はデザイナーです。しかし、デザイナーであるからこそ、デザインを超えた価値を見出さなければならない。そう考えています。

料理人、医師、競技選手。熟達者たちは、技術や精神を体得するために費やした労力や培った理論を主張していません。聞かれたら答える程度でしょう。「当たり前の価値」に対して沈黙を貫くプロフェッショナルです。

我々デザイナーも「当たり前の価値」を主張するのではなく「求められる価値を超えた感動」を生み出していくことに注力していく。それこそが、自身の価値を最大化させる思考なのかもしれません。




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