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05.Thrash Jazz Assassin

夜が終わって朝が来て、私は今日もまた仕事をすることにする。馬鹿らしい。こんなものはきっと誰がやったって同じことなんだ。

そう、考えると無性に腹が立って目の前でまだ呑気に寝ている彼氏を思い切り蹴飛ばしてみる。

反応はない。

まるで生ける屍じゃないか。

本当にこいつは何の為に生きているんだろう。

まるでただの肉塊じゃないか、価値なんてあるのか。

あぁ、そうか、きっと、私もそうなんだ、価値なんてありっこない。

毎朝だよ、毎朝。

こんなことを毎朝考えているような人間は本当にこの世界に必要なのか?

馬鹿らしい。

本当に心底馬鹿らしい。

けれど、致し方がない。

だって、まだレンタルビデオ店のDVDはまだ1枚もみていないのに未返却だし、通勤定期だって来週には切れちゃうから更新しなくちゃいけないし、なにしろ、例の夢の国の年間パスだって、明後日には期限切れで、じゃあ次の一年はどう過ごすって言われたらそんなことまったく考えてないし、それに加えて、昨日の夜、食べたはずの食事はもう消化されてしまって胃の中どころか小腸あたりに移動していて出発の準備をしているし、胃袋のやつは次に来る予定のはずの食事を既に待ち構えていやがる。

これじゃあ毎朝の日課のように行なっている呑気な妄想にだって身が入りはしない。

そう、まずは、一駅先のホームセンターで買って戸棚にしまっておいた麻縄をきちんと準備してしっかりと私の体重53.8kg(先月より0.3kg増)を支えてくれるだけの吊どこを探してそこからグルっと一巻きした麻縄を私の柔らかくて可愛らしい首筋に引っ掛けて吊るしてあげる。

すっかり心の準備と世の中への未練を断ち切ってしまったら、この小さくて愛らしい足を支えてくれているダイニングにあるお気に入りの木製の椅子をぽんっと蹴飛ばした瞬間に麻縄がググッと首筋とあごの境目ぐらいに見事に食い込んでいく。

あぁ、失敗した。

まだ死ぬには後十年は早かったなんて後悔が今まで失敗してきた人生と一緒に襲いかかってくるもんだから、慌てて本当に死ぬ思いで慌てて、グベベってほんとこんな声この前の合コンなんかで、出したらその場で自殺もの。

ってまー、いま、しているんだけど。

あ、とにかく、そうやって両手の指先を首筋にめり込んでいる麻縄と皮膚の間に尖った爪先ごと潜り込ませて、むりやりさ、ほんとにむりやり、首筋の皮膚をめくってしまって血液がジュワーって、滲み出てくるのも気にせず本当に今まで出したことのないような力でさ。

なんとか麻縄を取りはずそうとするけれど、先月より0.5kg増加してしまっていた私の体重のせいで、ますますこの憎ったらしい麻縄は私の指先を押し潰してしまい、大好きだった落ちゲーもベッドで未だに呑気に寝ているそれなりに好きな彼氏と手を繋ぐことももう二度と出来なくなるんだってことを思い知らされながら、これから本当に私は死んでしまうのかもしれない。

なんてことをしてしまったんだ。

私はまだ二十六歳でこれから楽しいことも沢山あって美味しいものも沢山食べれて、そりゃ、悲しいことも辛いこともそれなりにはあるだろうけど、そこそこに恵まれたそこそこに幸せな人生を歩むはずだったんだろう。

その場の勢いだけでこうやって、首を吊って命を絶とうとしているなんて。

お父さん本当にごめんなさい。

お母さんもっとちゃんと親孝行しておくべきでした、ほんとうにごめんなさい。

お姉ちゃんなんていないけど、なんだかそういう存在がいたらもっともっとちゃんと甘えておくべきでした。

本当にごめんなさい。

伝えておきたかった謝罪の言葉が頭の中でいっぱいになる。。

もっともっとちゃんと愛してるって伝えておけばよかったよぉってばたばたしながらいつのまにか垂れ流して床をびしょびしょにしている私のおしっこの匂いとどんなに一生懸命外そうとしても外れない麻縄が首から上の私の大切な脳味噌まで血液も空気もそれからこれから訪れるはずの思い出も送ってくれなくなって。

薄紫色の顔面が、どんどんどんどん黒くなってきちゃって。

あぁ、鼻水もとまらないし、目の奥から目の玉が少しずつ飛び出してきているみたいだし。

あぁ、私ってほんとものすごい不細工な顔をしている。

こんな顔を、あいつにみられたら、きっと嫌われちゃうよーなんてことがもうほんとうに今までの人生のものすごい早回しと一緒に襲ってきて。

もしかしたら、永遠ってね、このことを言うのかもしれない。

やっとわかったんだ。

さっきは蹴ったりしてごめんね。

もう二度とそんなことにはならないと思うけど、どうか次は、次こそは必ず幸せになってね。

なんてことをガラにもなく思ってしまうぐらいに、脳内お花畑全開で最後の瞬間が訪れる瞬間のことを妄想している場合じゃ全然ない!

本当にそんな場合じゃ全然ないんだ。

そう、今日は日曜日。

私たちが仕事をする日。

週に一回、私のまっすぐな気持ちが全くといっていいほど伝わらなかったあのただの天才野郎が用意したこの私の為だけに用意されたイナゴを原型に用いた強化外骨格を着装し、しっかりと独断と偏見と最高に身勝手な正義感でこの世界から私たちの大嫌いな悪の秘密結社と大幹部とその他大勢のよくわからない奇怪な声をあげて世の中を騒がす不逞の輩どもをすっかり抹消抹殺撲滅絶滅させてしまう日。

そう、週に一度、私が、私たちがこの世界に生まれてきた意味をきちんとこの強化外骨格の安心設計と同じぐらいに実感させてくれる日だ。

彼氏を蹴り飛ばしている場合でも、この世界から未練がましく退場する妄想に浸っている場合でも本当に全然ない!

わかったか、この肉塊!

ともう一度目の前の物体に蹴りを入れて気合をいれる。

すまん、愛する人よ。

これから訪れる闘いにはやはり犠牲が必要なのだ。

もし骨の二、三本ほど折れていたら、それが、それこそが、私の指し示してやりたかった愛ってやつなんだと思って勘弁してくれ。

帰ってきたらちょっと遅めのお昼ご飯ぐらいは一緒に食べよう。

それぐらいには、たぶん、君のことを愛しているぞ。

と蹴りとばした肉塊の柔らかな頬に口づけを捧げる。

そう、もう、未練はない。

私が最後の仕事に取り掛かる日だ。

命を懸けて、産まれて初めて何かに真剣になって、この身と心を捧げる。

今日はそういう日なんだ。


子供の頃、憧れたセクシー系変身ヒロインって覚えてる?

ハート型のビーム兵器で悪い奴らをみんな片付けちゃって、胸の谷間の部分だけハートマークでぽっかり開いてピンクと黄色のあのおかしなデザインでつるつるテカテカのあのスーツ。

今、アタシはそれを着て街中を歩いている。

この為に用意したオレンジ色のウィッグだってばっちり決まっているし、髪の色と揃えた大きめのサングラスで顔バレだってなんとか防いでる。

もちろんご近所さんにアタシが誰かなんてそもそもわかりっこないんだけど。

まぁ、それはともかくね、それなのにね、どうしてなのかな。

ぜったい変だ。

街中の人がおかしなものでもみるような視線をアタシに投げかけてくる。

これじゃあ、アタシがハートマークの光線銃を撃つ前に──ってまあ、そんなお子様向けの装備は持ち合わせてないんだけどさ。

恥ずかしさで死んでしまうんじゃないかって気がしてくる。

あのね、アタシはね、あなたたちの為にこんな格好で日曜の昼間からカフェテラスの前を歩いているんだよ?

せめて、もう少し優しさってやつをくれてもいいんじゃないかな。

ほら、春だっていってもまだ肌寒い。

こんなミニスカートで白いロングブーツ、うっかり履き忘れたヒートテックに似た名前のあの特製ストッキングがないから生足でこれから悪の秘密結社と戦わなきゃいけないんだよ。

なんだか涙が出てきた。

アタシはこれから本当にやつらと戦えるのかな。

なんてことをぼんやりと考えていたら、あれ、もしかしてあそこを図々しく歩いている見た目も周りもまったく気遣ってない、アタシの気苦労なんてまったく意に介してないアイツ。

そうか。

アイツか、アイツがそうなのか。

ここで、こうして、アタシはあのヒートテックに似た名前のストッキングを履き忘れてきたことを後悔することになるのか。

あぁ、もうほんといやになるなぁ。

でも、まぁ、そりゃ、そうだ。アタシの人生なんてそんなもんだ。

いいことなんてありっこない。

そう、だから、今日ぐらいは、頑張ってみよう。

アタシにだって出来ることはあるはずだ。

子供の頃大好きだったあのセクシー系変身ヒロインみたいに。


「あのね、そんな年齢まで童貞のまま君は誰のことも好きにならないままこんなにふわふわした身体の女の子のことを一度触らないまま、うん、そう、本当の意味でね、一度もチュウもしたこともないまま、うん、そう。そこが大事、本当の意味で。そうやって女の子のことなんて無視して君はおじさんっていうこの世でもっとも忌み嫌う生物になっちゃったんだよね?だからね、わかるよね、いってる意味?このエレクトリックラブリースパイラルできちんと昇天してほしいんだ、大丈夫?ちゃんと効いてる?一応これは100万ボルトぐらいの電撃がビビビビって身体中を流れているはずなんだけど。うん、そう、まるで恋した時みたいに。なんて君が知っているわけがないのに、どうして余計なことをいうのかな。もうちょっとだけ電圧高めでいくよ!エレクトリックラブリースパイラル!!!!」


struct beacon_field

{char mac[20];

unsigned long uptime;

unsigned long tool_id;};


スイッチオン。

とりあえず居場所は特定したし、今回の標的はだいぶ厄介って話だからちゃんといつもの格好で行くことにする。

お気に入りのワイヤレスヘッドフォンを装備したし、カメラくんや信号さんと仲良くお話する為のアプリも実験済みだし、一応新開発のウェアラブルな眼鏡くんもだいぶ役に立ってくれそう。

物理兵器も必要かなってことで、電撃爆発マグナム-X君も用意した。

まあ、けど、その恋する乙女製造キットでも呼ぶべき長方形の黒い物体は、きっとあの八方美人な魔法使いの専売特許だし、マグナム君の出番は今回はないんじゃないかな。

だって私の作戦はいつだって完璧。

だと思う。

だってさ、一分の隙間ないぐらいのプログラムだって、パパさんもちゃんと褒めてくれたぐらい。

すごく珍しい。

パパさんはおっぱいか意識の非音声化通信の奪取にしか興味がないのに。

これはきっとさ、たぶん、ぼくの新作をだいぶ気に入ってくれたんじゃないかな。

だから、もうあの時みたいに、透明な手で身体中を弄り回されたって平気。

ぜんぜんほんとなんでもない。

心と身体が、バラッバラッになっちゃうようなそんな気持ちなんてぜんぜんほんとなんでもない。

手足をいつのまにか縛られてほんと身体中を好き放題触られたってなんでもない。

とにかくだ。

まずは、作るのにちょっとだけ苦労したかわいいバクダンアイコンのアプリを立ち上げよう。

そう、まずは爆破命令を私の可愛い手脚たちに送る。

そう、これから始まるぼくたちのゲーム。

ボカーンと遠くからちゃんと合図の狼煙があがったみたいだ。

準備はOK。

まったく問題なし。

パパさんもきっと喜んでくれるんじゃないかな。


ええっーと、そう、ウチには夢がある。

運命の旦那様と知り合って何回かデートした後にめちゃくちゃロマンチックなプロポーズをされて、あーもう人生最高の瞬間やって気持ちで迷わずオーケーして、友達や家族やそれからほんとウチの知ってる人みんなに祝福されて誰よりも幸せな結婚式をあげて、そんなウチのことが大好きな旦那様と二人だけの夢みたいなマイホームに住んで子供は2人か3人産んで、本当に映画みたいな、絵に描いたような幸せな家族を作るっていう夢があるんや。

だからな、きっと、そういう女の子なら、誰でも一度は夢見る当たり前の夢を踏みにじるような輩をウチはやな、ぜったい許さへん。

ほんまに。

だからな、今日はもーぎょーさん本気の魂を乗せたった。

ウチの、愛車かて、こんなん詰んだらちょっとは悲鳴あげるんちゃうかなってぐらいがっしり本気で整備をさせてもうた。

うちがいればどーでもええんやけどな。

はっきりいって、今回はけっこーえぐいらしい。

夢なんてとっくの昔に諦めたつもりやったけど、うっかり思い出してしまうぐらいには、ウチかて、正直ためらっとる。

けどな、そんなんいうても、ウチもいっぱしの女や。

やることやらな、死んでも死にきれへん。

いや、たぶん、うっかり死んでまうってことも今回ばかりはあるのかもしれへんけど。ってだめや。

ついつい、やなことばっか思い出してまう。

振り切ろう。

アクセル思い切り握りしめて全部ふりきってまおう。

あ、あかん。

爆発の合図や。

ミオのやつがおっぱじめおったみたいや。

そやな、もう後戻りなんてもーできへんのやった。

ぜんぶあんたの言う通りや。

いくで、夢も希望もなんもかもぜんぶかなぐり捨てて、ほんまに、ほんとのほんまに、アクセル全開や。

これでやっとウチもあたまんなかをいじり倒されて悪夢みたいな毎日を送ったかいもあるっちゅーもんや。

ほんまに。


あー、あのさ。

たぶんな、いまむちゃくちゃ気合いいれて正面からあきらかにおれのほうに向かってきてる身長160センチぐらいのあいつな。

まるですっかり死に場所を探しているかのような切羽詰まったオーラをまとっておれに一直線で近付いてくる。

腕につけている妙にゴツい腕時計はなんだか変身ヒーローみたいな装備だし、どうやら確実に俺の命を狙っているに違いない。

まあ、とにかく、その。あきらかに幼児体形だなぁ。

本当に俺に勝つ気でいるのかなぁ。

というのがはっきりわかってしまうのがなんだか痛ましくすら思えてきてしまあの子。

たぶん、見えてるのは俺だけじゃないよなぁ。

うーん、だって確実にまるでアマゾンの奥地から這い出てきたような目付きで俺の方に近付いてきちゃってるし。

わかるよ、誰かに狙われるっていうのは。

思い当たるフシはたしかにめちゃくちゃある。

うん、そう、かりにも俺は悪の秘密結社? の幹部ってやつだし、普段は言うに事欠いて、壊したり暴れたりちょっと邪魔なやつを小突いてみたり、なんだったら少しぐらいの爆発物だって扱うわけで、そうやっていい子ちゃんぶってるクソ偽善者どもを滅多滅多にしてきた。

はっきり言って自覚のあるワル。

無茶苦茶正真正銘の悪党。

ではあるが、それもこれもあのいけ好かないバーコード禿が全部悪いわけで俺のせいでは──とまたいけない癖が出ている。

ついつい最近は人のせいにしてばかりだ。

とにかくだ、いくら俺が最近世間を騒がせている秘密組織のメンバーだとしても。

そう、今日は日曜日なんだよ。

俺は完全に休み。

はっきり言ってあんなやつらに構われてる場合じゃ全然ないんだよ。

あーそうこうしてるうちにもうあと5メートル。

完全に標的はおれ。

もうなんというか間違いない。

うん、だってやたらとごつい腕時計までつけちゃってるし、あんなギスギスした顔をみれば戦闘態勢に入る気まんまんだもん。

思わずさっき買ったコーラ落としちゃったし。

わかるよ、そりゃ、普段は老若男女問わずに暴虐の限りを尽くす極悪人。

あのカミブクロのなんとかって薬を飲めばちょっとした特殊能力ってやつでぐいっとそのへんのヒョロイ野郎ならグルッと簡単にぶっ飛ばせるわけだし、顔色なんかお世辞にもいいとは言えない色だ。

なんならツノだって生やしてる。

うん、たしかにそうだ、ムカつく理由はよくわかる。

だからたしかにいきなり殴りかかられることはあるだろうさ、愚痴や啖呵の一つや二つ聞いてやらんでもない。

と言ってる間に、”着装!”とか呟いちゃってる。

なんか光に包まれだしてごてごてとした戦闘服? 仮面ライダー? と思ったら、今度はビームサーベル的なもん振り回してきた。

とりあえず軽い気持ちで避ける。

うん、そう。

あのさ、左手取れたよ。

ブワーってめちゃくちゃ血がでてる。

で、すげー痛い。

なんだろ。

おれ、これ死ぬんじゃないかな。

呑気に歩いてるおれが悪いのかもしれない。

あきらかに死ぬ。そうだ、これは、あれだ。

やらなきゃやられる。そういうタイミングだ。

そう、そろそろ本気を出すとき。

明日やることをとりあえず今やっとかなきゃいけないとき。

うん、じゃなきゃ、今日死ぬんだ、おれ、たぶん。


あーイライラする。

なぁ、どう考えても向こうを堂々とまだ肌寒いのにミニスカートでロングブーツでしかも生足。

御大層なことにおっぱいの部分がご丁寧にハートマークで開いてて谷間が見え放題。

なぁ、おかしいだろう?

あれは、どう考えてもその場で押し倒してください、あとはあなたの思うようにしてくださいっていう格好だ。

それなのに、なんだ、あいつは。

今、目が合っただけで、かるく目と目が通じ合っただけで、明らかに目をそらしやがったぞ。

まるでだ、このおれに目を見られただけで妊娠してしまいます、やめてください!とでも言いたそうなツラをしているんだ。

ふざけてんのか。

あのな、確かにおれは一日中おっぱいか、まんこか、女子高生か人妻かそれともセックスか、しか考えていないような男だ。

なにも恥じる必要なんてない。

なにが悪いのかさっぱりわからんがそれでもそんなやつはまるで世の中のゴミだ!

膿だ!

廃棄物だ!

そのまま消えてなくなれ!

なんていう視線と態度をめいっぱいあらぬ限りの恥辱を受けているんだ。

いったいぜんたいどういうことなんだ。

いや、たしかに、おれがいうことじゃない。

おれなんかが偉そうにのたまうことではたしかにない。

だがな、そういうゴミみたいな野郎は、クソみたいなヤツっていうのは他にもたくさんいるだろう?

どこを歩いてもそんなやつにすぐにぶちあたるじゃないか。

それが、なんだ、なんなんだ。

ちょっと電車で女子高生の太腿に見惚れていたぐらいで、ついついぼっーとしてニヤケ顔を少し漏らしてしまったぐらいでだ。

ひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそひそ。

本当になんで、そんなに、おれのことばかりを噂するんだ。

あーほんとにイライラする。

この前だってだな、現実逃避がてらによった立ち飲み屋で肌と肌が触れ合ったぐらいで、あの態度……。

とにかく、なんだ、あのねーちゃん。

異様なほど鬼気迫る真剣な眼差しでおれのことを見つめながら近づいてきたぞ。

なんだ、そういうことか、とうとう覚悟が決まっておれに押し倒されることになったっていうことか?

わかるよ、わかる、その気持ち。

そうだ、そういうことだよ。

素直になって、心を開いて、お前の気持ちを全力で打ち明ければそれでいいんだ。

おれのほうはとっくに覚悟は決まってる。

そうだ、そのままおれの胸に、飛び込んでこい。

ほら、運命の王子様はもう目の前だ!

よし!

これから、おれとお前の二人だけのものがたっ。

グベベベッ。

????

なんだ、どうしたんだ、どうしてこんなに空が青いんだ。

それに右の頬がすごく痛い。

ううう、口の中で錆びた鉄の味がする。

おれはとうとう運命ってやつを切り開いちまったのか?

ボスよ、おれはとうとう男になれたって気がするぜ。

え、あれ。

あ、これ靴底だ。


うん。

今日もパンが美味い。

朝ごはんのカレーライスは特盛にしたせいかお肉の量が少なくてイマイチお腹が膨れなかったけど、仕事前に食べるカレーパンは本当にいつもどおり本当にうまい。

あと三つはいけるけど、最近カレーの匂いがするよって職場の人には注意されたし今日は一つで我慢。

うん、ぼくは成長している。

どんどん大人になっている。

ちゃんと牛乳を飲んでカレーパンはそのまま飲み込もう。

ってあれ?

ちゃんと飲み込めない。

どうしたんだろ、いつの間にコッペパンを先に食べていて飲み込むのが追いつけないほどのスピードでカレーパンを食べていたのかな。

そんなにぼくは成長しているの?

うん、どうでもいいけど、なんだろ、すごくドキドキする。

どうしたんだろう、なんだか初めてだ、こんな気持ち。

それにあの女の子、すごく怒ってぼくに何か言っている。

うん、そうは言ってもさ、人と人が本当の意味で理解し合えることなんてないんだよ。

ありえっこないんだよ、そんな夢みたいなことはさ。

うん、そう、本当の意味でぼくのことなんて誰もわかりっこない。

だってそうでしょ。

この柔らかいコッペパンの味をね、君に一生懸命伝えたって君はいつまで経ってもぼくの話なんて聞いてくれないじゃないか。

そうやって怒ってまくし立てていつまでたってもぼくは蚊帳の外じゃないか。

昨日だってさ、リーダーにはいつもより食べ過ぎたのはぼくのせいじゃないって言ったのに。

だからさ、今はね、そう、恋をした時みたいに、あの愛おしい瞬間の時みたいに、もう一度、もう一度だけ、カレーパンを買いに行こう。

そうなんだ、ぼくらは腹が減っては悪事が出来ない。

さあ、ぼくと一緒に!夢の中へ!


えっと、ですね、さっき、コンビニに栄養ドリンクを、いつものように買いに行こうと外出するおりに、上司に頼まれたタバコと部下の女性社員に、”いつもの”と言われて買いに行った某有名製菓メーカーのチョコレート菓子とうすしおがないときはのり塩でそれがない時はコンソメっていわれてるポテトチップスとあと何故かもってこいと言われたフリーの求人雑誌を持ってですね。

会社の前に戻ってきたんですけどね、あの、えっと、萌えてるんですよ。

あ、違う。そうなんですよ、燃えてるんです。

会社があるはずの、三階のフロアが、そう、ボーンって音がしているんです。

何か部長か誰かがぼくの昨日出した書類のことで、ですね。

またお怒りになられているのかな。

とそんなことを考えていたら、ですね。

ポテチも受け取らず走って逃げていく女性社員が出てきたかと、思うと、窓からですね、炎があがってるんですよね。

あ、だれか落ちてきた、田中くんだ。

えっと、そう、とにかくですね。

まずはとりあえず栄養ドリンクを、ですね。

グビッと飲んで、あーまた報告書忘れてる。

どうしよう、部長おこるだろーなー。

うん、とにかく、まずはエレベーターはこの様子じゃ使えなさそうだし、階段であがって部長に煙草渡しにいかなくちゃ。

そう、今日も残業は確実。

一人一日一殺のノルマ達成今日こそ頑張らなくちゃ。

呑気にサボったりしてる場合じゃないんですよ、ぼくは。


キキキキキィ──。

唐突に急ブレーキの音がして目の前で真っ黒なNX-Rがずっこけている。

学校はお休みだっていうのにさ、なんだかこれだけ僕をいつも助けてくれるから離れられなくて背負っているぼくの真っ黒なランドセルと一緒の色のバイクから転げ落ちたのは綺麗なお姉さん。

すんごくカッチョ良いライダースーツとなんだか三日月マークの入ったヘルメットがイカしたお姉さんはまるで何事もなかったかのように華麗に受け身を取り、ぼくの前に立ち尽くす。

そうして、そのまま鉄拳制裁。

ぼくはバキーンという音とともに右の頬っぺたを思い切り殴られる。

「あかんやろ!道路にいきなり飛び出してきて!どないするつもりやったんや!」

メッチクチャ熱い言葉とスレンダーなライダースーツのお姉さんに思わず恋をしてしまいそうになる。

クラスの女の子たちとはまるで違うそのすっとした出で立ちに思わず見惚れていると、反対側の歩道から声がする。

「シオリ!なにしてるの?もうはじまっちゃってるよー!急がないと,ノアもサヤもまた暴走して手に負えなくなっちゃうから、はやくー!」

ヘッドホンを首から下げた女の人がたぶんこのカッチョよいライダースーツのお姉さんを呼んでいる。

お姉さんはなぜかぼくの右手を手に取り、

「とにかく怪我はないか?お姉さんちょっと急いでるから、すぐに病院にはつれてってあげられへんけど、用事済ませたら連れていってやるから、一緒についてき。ほな、いくで」

「いやいや、ちょっと待ってください。ぼくはこれから大切な用事があるんです。どこかに行くわけでもないし、誰かに会いたいわけでもないけれど、ぼくにはこれから大切な用事を済ませなければいけません、故にきっとぼくはお姉さんと一緒に行くわけには行きません」

「なにわけわからんことゆーとんのや。激突はしてへんのやろーけど、どっか怪我をして…」

「シオリ!ほんとに私はもういくよ!やたらと気合の入り過ぎているサヤがこの調子だと何人素人さん殺しちゃうか本当にわからないよ!彼はきっと大丈夫だよ、そのランドセル、あのキモオタデブがつくったやつだよ!」

「ほんまや!そんならええわ。坊主、あんまり無茶したらおねえさんたちにしばかれなあかんくなるで。ミオ、後ろに乗ってや。こっからなら、十分やそこらでつくやろ。ほなな、坊主。きーつけてな!」

倒れた黒いバイクを軽々と引き起こし、後ろにヘッドホンおねえさんを乗せるとけたたましいエンジン音とともにあっという間に見えなくなってしまった。

おねえさんたちは何か大仰な悪や身勝手な正義とでも戦争をしに行くつもりなのかもしれない。

そうこうしていると、今度は悲鳴をあげながら沢山の人々が駅のほうから何かから逃げるようにしてやってくる。

なんだか雷のような轟音とともにウンソウヤのお兄さんと彼の首にぐるぐる巻きにされた電気ワイヤーの先をがっしりと掴んで離さないまるで魔法使いの女の子みたいな格好をした女の子がひきづられながらやってくる。

あの調子だと、電圧は三百万ボルトぐらいになっていると思うけど、相変わらずウンソウヤのお兄さんはいつみても丈夫でまったく効いてない様子だ。

手脚はさすがに焦げついていてきっと表面の皮膚はバーベキューみたいに真っ黒になりかけているはずなのに。

魔法使いのおねえさんは何か意味不明な言葉を叫びながらまた電圧をあげたみたいで、また雷みたいな轟音があたりにこだまする。

とたんにウンソウヤのお兄さんの身体から煙があがりやがて発火して身体中から火の手があがる。

きっとこの調子だとあと三分以内には身体から水分の九十パーセント以上が蒸発して黒炭へと変わってしまいそうだ。

ぼくはランドセルから水鉄砲を取り出して水圧のメモリを三、分子構造切り替えツマミは五に合わせてウンソウヤのお兄さん目掛けて水鉄砲を発射する。

どうやら、発火は抑えられたけれど、魔法使いのおねえさんは手を緩める気はなさそうだ。

そうこうしているうちに阿鼻叫喚の中野通りを反対車線まで超えてきてサンクスに入ろうとするウンソウヤさんはそのまま中野通り沿いに倒れてしまい、とうとうあっけなく燃え尽きてしまった。

そうなんだろう、きっと彼の人生はそこまでなのかもしれない。

どんなにぼくがご大層な力を手に入れたとしてもどうにもこうにも救えない命があるんだってことをまざまざと見せつけられている気分になる。

おねえさんははぁはぁと息を切らしながら、ぼくのほうに向かってくる。

なんだかまるでぼくまで魔法使い扱いされてしまいそうで少しだけ心外な気持ちだ、ぼくは魔法使いなんかを目指すほど夢なんてみていられないんだ。

けれど、そんなぼくの心底疑り深い正義心もとい猜疑心をくすぐるようにして、おねえさんが近付いてくる。

「ダメじゃない!こんな小さい子がルナハイムの兵器を使っちゃうなんて!」

容赦なく彼女はぼくの左頬を平手で殴打し、叱咤する。

お父さんにも打たれたことがない甘えきったぼくの全身にまるで恋をした時みたいな衝撃が走る。

けれど、ぼくは魔法使いをやはり好きになれそうにないなとうっかり使用してしまった水鉄砲をランドセルの中にしまっておねえさんに会釈する。

おねえさんはにっこりとほほえむと電気ワイヤーのつまみを最大にしてウンソウヤさんの身体を黒炭に変えてしまう。

そんな残酷な所業をいとも簡単に実行してしまう魔法使いのおねえさんが手に持った革製の柄についた丸いスイッチを軽く押し込むと電気ワイヤーはシュルシュルと音を立てて小さくまとまりおねえさんの手の中に収まってしまった。

「あら?もしかして、膝のあたりに小さな怪我をしているのね?軽い擦り傷みたいだけれどおねえさんが手当てしてあげるからそのままじっとしていてもらえるかしら」

ぼくの右足の擦り傷をみつけると、おねえさんはホワイトキュアマジック!と突然、意味不明な英語を叫ぶとぼくの膝小僧あたりに軽くキスをした後、小さな絆創膏を貼ってくれた。

もし、唇の粘膜から細菌が入りなにかの感染症にかかってしまったら一体全体どうするつもりなのだろうか。

膝小僧あたりがむず痒くてなんとも言えない気持ちになる。

魔法使いみたいな格好のおねえさんは、それじゃあ、気をつけてね、といい、駅の方にスタスタと歩いて行ってしまった。

まさか、あの格好で電車に乗るつもりなのだろうか。

正気の沙汰とは到底思えない。

あれ、そういえば、ぼくも急いで新宿駅まで向かわなくてはいけないということを忘れていた。

お休みだっていうのに、この黒いランドセルを背負ってきたのは、おじいちゃんからちょっとしたおつかいを頼まれているからなんだ。

とにかく、ぼくは、もう子供のままでいられないんだってことを今日はこのランドセルと一緒に思い知るべきなんだ。

だって新しいお父さんはきっともう間も無くぼくとは会えない場所へ帰ってしまうのだろうから。


「そうですか、やはり理解していましたか。確かにその義眼には私と私の仲間たちで開発した故障箇所を保有している歯車の周波数に干渉し、和音の中に混入している非構成音を発見することの出来る細工がしてあります。あなたが、あの時、あそこであの男に出会い左目が消失してしまったことは偶然ではありません。私たちにとっては必要な儀式ですから」

担当の主治医からそう告げられながらも、鏡の前で、空っぽになってしまった左の眼孔を覗き見る時間のことを思い出して、主治医の淡々とした診断結果をありのまま素直な気持ちでなんの感慨もなく受け止める。

「少なくとも私にはそう思えてしまいます」

私はやはり左眼をくり抜いてなどいなかったのだろう、十歳以前の記憶の在り処を探して大脳がフル回転を始める。

記臆野に眠った思い出の欠片など掘り起こして今さらなんになるのだろう。

「サイトウマコト、被験者番号0052に関して、何か聞きたくて今日は私の診断を受けにきたのですね。あなたがいずれ私たちの元に来る可能性を考慮に入れることが出来なかったことが私たちにとって最大の誤算といえかるかもしれません。あなたの顔に書いてある通り、こんなことをどこにでもある当たり前の日常ですから。それでも、あなたの心と身体が壊れてしまわないように受診をつづけていくことが一応私に与えられた役目です、私たちは歯車の動きを一分たりとも乱すことは許されてはいないんです。わたしの言っていることは理解してもらえますね?」

例えば、わたしにまだ残されている右眼にも何か存在しているだけの理由があり、だからこそ私は全盲の実験体と接触するように導かれている。

そういうことだろうか。

「彼のイレギュラーな能力、つまり未来予知に関してはこちらでも完全に把握出来ていたとは言い難いというべきでしょう。なにがきっかけで彼の海馬に異変が生じてしまい、なにがきっかけで、その全てが突然失われることになったのか、未だに正しい診断結果は提出されていません。とにかく、私たちが知っていることは彼が帰国した際に、彼も私たちと同様にあなたを巻き込むつもりでいたのだ、ということだけです。だからこそ、私たちの実験が歯車の動きに異変を与えている可能性についてもう一度考慮に入れる必要性がでてきたのですから」

そういえば、宇宙は、薄い膜が幾重にも重なることで存在していて、私たちはその薄い膜ひとつひとつに付着している水滴の中に存在している細菌のようなものだ。

だからわたしとあなたが知り合えたことも決して偶然ではないのだと高橋信一がいっていたことを思い出す。

「とりあえず、今のところ、このプロジェクトに大きな不具合は生じていません。少しだけ帯域の拡張がみられることも誤差の範囲内でしょう、大袈裟に捉える必要は全くないと思います」

いつもと同じ簡単な診断を終え、私は軽いお礼をいい、斎藤誠に取材をする予定を主治医に伝えて、診察室を出る。

午後の病院の待合室は誰一人いなく、真っ白な思い出だけがどこまでも際限なく貼りついているように感じた。

どこにも汚れなんて付着していない病院の待合室で少しだけサイトウマコトが語っていた話を理解出来たような気がする。

「ええ。そうです。脚本家の方はそのままオペを実行してください。開発者に関しては継続的な監視が必要となるでしょう。はい。そうです。よろしくお願いします」

黒縁の眼鏡をかけ、汚れ一つない白衣を着た医師は電話を切り、患者のカルテに書かれているドイツ語を一字一句丁寧に頭の中に叩き込む。

そのカルテには私の傷跡のことも詳細に記録されている。

きっと、汚れ一つ付着していないままで。

私がもし斎藤誠と出会うことを拒否したとしても、もう既に彼らが許してはくれないだろう。

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