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11. Cosmic Slop

YOUはやはり戦場に出向き『古代種』たちを殲滅していくことが使命なのかもしれないと宇宙空間上の前線基地で覚悟を決めている。

地上から悲鳴と紛れもない歌を届けてくる声なきものの声を搭乗中の愛機『シャークネード』のコクピットの特定周波数で感知しながら宇宙に散らばる星を眺める。

「ねぇ、今月に入ってから『古代種』たちがまた進化を遂げているね。相転移反応弾の着弾から『古代種』の速度が低下するまでの時間が長くなっている気がする。気のせいかな」

「あぁ。わかる。それのせいで『白い閃光』がこっちに戻ってきているんでしょ。『古代種』が覚醒し始めているんだってさ。なんでもいいけど、お前は相変わらず反応が気持ち悪いな。そういうのがセンスっていうのか」

AIは『ミラージュバリア』を施された彼女専用の機体『カメレオン』のコクピット内部で身体のラインが浮き出るピッタリと吸い付くような戦闘用宇宙服を着て少しだけ愛機の機体反応が鈍くなっている原因を探すように『カメレオン』のOSにカスタムを加えている。

『S.A.I.』というアルファベットがコクピット前面のモニターに表示されていてどうやらそれがOSのコードネームのようだ。

「うん。でも私はなんか『古代種』たちの動きが読めるようになってきたかも。なんていうか、私に撃たれる為の軌道を描いているっていうか。乱暴に扱わなければちゃんと『シャークネード』に食べられにきてくれるんだ」

「乱暴にって。あいつらどうせ私たちに全部抹殺されるんだぞ。けど、なんかわかるよ、それは。一分の乱れもない歯車ってやつのことかな」

かつて地上で培養されていた『古代種』たちの種は『ノットイコール』と呼ばれる黒い悪魔に成長して人工衛星に棲みついてチルドレ☆ンを翻弄したけれど、異例中の異例、特例中の特例『チルドレ☆ン=オブ≠チル☆ドレン』が制圧したのはもう十三年も前になる。

かつて黒い悪魔に追従して『古代種』たちが作り上げた不気味な前線基地を今度は逆にチルドレ☆ンたちが根城にして近宇宙防衛戦においてとても重要な役割を担うことになっている。

けれど普段は『ガイア』防衛任務についているだけの『第十三古代種殲滅部隊』は連戦につぐ連戦で疲弊して摩耗して束の間の休息すら満足にとることがないまま戦闘の合間を縫って機体や兵器のメンテナンス作業に明け暮れている。

YOUは自身の機体が今日も無事にほぼ無傷で戦場を駆け抜けることが出来たことを誇りに思い『パラレルインターフェース』のフィードバックに問題があることを理由に『S.A.I.』からダウングレードしたカスタムOS『ワールドエンド』に特に不具合が出ていないことを確認する。

十二分にアップグレードされたOSは最新鋭の機体でも十二分に機能を発揮してくれているようだ。

「ねぇ、旧世代のOSは、たまに地上のジャミングノイズを拾っているって噂本当かな。すごく素敵な歌が聞こえてくる時があるよ」

「おまえ、ほんとうおしゃべりだな。宇宙で暮らす私たちに歌なんてものが必要だったとしてもGINGAが歌う歌だけで十分だと思うけどな。天才と呼ばれるのはたった一人だけ。私たちにはわかりやすい仕組みだよ」

何か言葉にしてみたかったけれど、もしかしたら『古代種』を鎮めてくれる歌はAIには耳障りかもしれないと思って我慢をする。

それに、ウニカって呼ばれる地上の歌手の変わった歌の中に含まれている異次元摂理なんてものはチルドレ☆ンには必要がないしもしかしたら私だけがこっそり知っていればいいのかもしれない。

宇宙空間のアステロイドベルトで隕石郡に囲まれながらの戦闘になってしまうと、『古代種』たちが牙をむき出しにして生命のやり取りをし始める前にこっそり一緒に歌を聴いてみようよと誘い、ウニカの透明な声を流しながら、私たちの故郷である地球からこんな宇宙の彼方まで追いかけてきた私たちだったものにしっかりと照準を合わせて確実に活動を停止させる時のあのどうしていいか分からない気持ちの時にウニカの歌をかき消して、もう一つだけ地上から聞こえてくる微かな優しさを宿した歌がずっと傍で寄り添ってくれればいいのになって、あまり好きではない我慢なんてものを受け入れて口を閉じる。

「けど、そうだな。色々な歌を私は知っているけれど、汚らしくてみすぼらしいあいつの歌は私だけが知っていればいいのかもしれないな」

私たちチルドレ☆ンは一万年も前に、此処から百億光年離れた太陽系第三惑星地球と呼ばれる惑星を脱出すると、宇宙の果てを目指して航海へと出発した。

きっとそれは、何かを忘れる為だったり、何かを手に入れる為だったり、新しい私たちを作るためだったり、古い私たちを捨てるためだったりしたのだけれど、その時、七番目に地球を出発した私たちはとても傲慢で強欲で怠惰で怒りに満ちあふれながらも色に簡単に溺れてしまいそして地球の全てを自分たちのものだと勘違いをして食べ尽くそうとしていた。

だから、私たちは私たちに似た姿をもう地球では見つけることが出来なくなっていると大宇宙監査船団が報告をしてきている。

あの母なる惑星で自分と同じ形が微かに残っているのを見つけることも辞めにして思い切って名残り惜しい思い出も古めかしい技術も大切にするべき考えも何もかもかなぐり捨てて置き去りにしてしまうことに決めて、『ガイア』を大切に育てて見守りながら私たちは宇宙の果てを目指して宇宙空間をどこまでも漂い続けるのだとまるで私たちの気持ちをなだめるようにして『お父様』がおっしゃっている。

「『マァム』からの緊急回線だよ! もしかしたら『白い閃光』がとうとう遠宇宙から帰還したのかもしれない! ねぇ、彼に会うのは百年ぶりだったかしら」

「私は一度、『外宇宙絶対防衛独立艦隊』に輸送任務で配備されたことがあるから三十四年ぶりかな。たぶん、彼は何も変わっていないんじゃないかな」

二人は声を合わせて──イエス、『マァム!』 ──と指令に応じて機体の発進準備を整えている。

『白い閃光』率いる外宇宙絶対防衛独立艦隊』本隊の百年ぶりの近宇宙への帰還を歓迎する為に『第十三古代種殲滅部隊』はこの前線基地に配備されている。

単機で凱旋した十三年前とは違い、本隊がこちらに戻ってくるほど状況は確定的に異変が生じ始めているのだなってYOUは少しだけ憂鬱になりながら姿勢を正して宇宙の守神に向かって敬礼する。

「『アトレーユ』、衛星軌道へ合流開始。非戦闘モードへ移行」

私たちが置き去りにした私たちによく似た古い形の人間たちはきっと死ぬことなんて求めてなくて、けれど何か新しい形を手にしようとも思っていなくて、このままでいたいって思ったままずっと地球にしがみつくことにした。

たくさんの仲間が死に、たくさんの病気が襲い、そして私たちがいなくなる前に持っていたたくさんの知識や技術を失うことになった。

私たちを恨んだのかもしれない、私たちを欲しがったのかもしれない。

けれど、彼らがもはや生きる環境ですらない地球で生命にすがりつき続けて結果自分たちが滅び去ってしまわないようにもう地球では見つけられなくなった自分たちの姿を捨ててどんな場所でも生きていけるだけの形へと変貌を遂げて宇宙を駆ける力を手に入れた。

それは進化と呼ぶにはとても悲しすぎて、変化と呼ぶには恐ろし過ぎて、原型から逸脱した異形とも呼べる彼ら自身の本来の姿を呼び起こし、そして、私たちの選択を完全に否定するために地球へ連れ戻そうと宇宙空間を飛び越えて時空を超えるほどの遺伝的発展を遂げた。

そしてとうとう何億光年も離れた第七次惑星船団『ガイア』まで身体機能を著しく損傷するほどの度重なるワープドライブを使ってたどり着き始めた彼らのことを私たちは畏敬と侮蔑を込めて『古代種』と呼ぶようになった。

着艦準備の整った前線基地に着艦の合図を送るための赤い光のラインが灯り出す。

真っ赤な血で染まり続ける戦場に永遠に禊を捧げている『白い閃光』が私たちの元に帰ってくる。

「古臭いやり方だが、あーいうなんでもありだという奴らにはこいつを使うのが一番だろ。何事も安心安全、確実に必要な一手を打ち込もう。零弐壱番に『積み重ねられた罪悪と閉じ込められる感嘆符』を発行した。まず確実に当たり前のことをやってくれるはずだよ」

「魔術番号八十七番。執拗にそれだけを研究しているのはあなただけね。本当にいつも素敵な人」

「本来、発展的な人間であるはずの『改造医療実験体』の意識を罪悪によって原始人レベルにまで低下させることで扱いやすく改良することが出来た。あれだけのエネルギーを暴虐に使わないなんて選択肢は我々にはよく理解できん」

「全てあなたの思うが侭に。零弐壱番は確かに衝撃と解放によって力を誇示し続けなければいけませんね。美しさをあなたはいつも間違えることがない」

革製のリクライニングにもたれかかり、赤鼻のピエロが少し緩めのArmaniのスーツを着て一九九〇年製のマルゴーで渇ききってしまった喉を潤そうとする。

彼が左腕で抱き抱えているのは腰当たりまで届きそうな深く沈み込んでいくような漆黒の髪と淡い桃色に金色の鶴が縫い込まれた留袖を少しはだけさせている女性で、彼女との魔術契約によって永遠に赤鼻のピエロとして生きることを約束した『飄恒ガロン』の術式により悲願が成就しようとしている事実に確信めいた予感を打ち消すようにして凭れかかっている。

永遠の炎が少しずつ命を取り戻そうとしている。

「『叡』には苦労をかける。お前の知識がなければ私など取るに足らない愚か者だ。あの時、私にその肺の一部を託してくれたことに後悔など微塵もしていないぞ」

「私が一つ失う代わりにあなたが一つ得るのです。命を捨ててしまうことに何の躊躇いがありますか。私の悲願はいずれ御身を焦がし永遠を約束してくれることでしょう」

マルゴーが舌先を刺激する感覚をそのまま移し替えるように『飄恒ガロン』は『叡』の赤銅色の唇を奪い、そのまま彼女の口の中に赤く濃い液体を流し込む。

口元から垂れる葡萄酒が首筋から白襦袢の中へと流れ込み『飄恒ガロン』は右手に持ったグラスを床に投げ落とすと、赤い道筋を追うように叡の胸元へと右手を侵入させ左の乳房を荒々しく掴み取る。

少しだけ湿った声が二人だけしかいない『飄恒ガロン』の遊戯室へと溶け込んでいく。

『飄恒ガロン』の目の前のとても威厳のある木製の机の上には三枚のカードが並べられていて、中央には棍棒を持った必死の形相で唇を噛み締める男の絵柄が黒い枠内に納められ、左側には暗闇の中で野獣共が咆哮し血と肉を貪ろうとしている絵柄、右側には黒い炎を纏った恒星の絵柄が納められている。

『飄恒ガロン』は『叡』の頭部を、がしりと掴み取り露出させた局部へと誘い『叡』の赤銅色の紅が塗られた唇から這い出てくる赤く燃えるような舌先で丁寧に舐めとらせると、机の上のカードを掴み取り、黒いArmaniのスーツのジャケットの右ポケットにしまい込む。

「道理を外れた者共までもが国家の狗と成り果てて清貧を選び取るのなら俺が故郷へと還してやる。肉片一つ残らず、不死と不老の袂へ放り込んでやろう。一筋たりとも希望など与えんさ」

血の盟約によって赤鼻のピエロへと人相を変えた『飄恒ガロン』は『叡』の永遠を求める舌先に絡めとられたまま絶頂を迎え、大正ロマネスク調の主賓室の最奥の黒革製の椅子に深々と腰掛け、濃い茶色の木目の天井を仰ぐ。

木目の黒い渦に吸い込まれてしまえば、私たちは解放されることが出来るのだろうかと『飄恒ガロン』は足りない頭で珍しく哲学的なことを考えながら『叡』が残さず絞り取ろうとしている精液にまるで自分自身が乗り移って消滅していくような感覚に溺れようとしている。

『飄恒ガロン』の右上には無数の触手を有機的に動かしながら無機的な点滅と発進を繰り返す箱型の機械生命が通信をして内部のOSをアップグレードさせようとしている。

「ねえ、『天狗』さん。今回はけっこう際どい場所を攻めることなると思う。相手は何重にも防壁を巡らせて機密情報をひた隠しにしているんだ。ぼくは別働隊で動いているから前線は、『夜叉』と『阿修羅』の二人に任せて攻め込むことにしよう」

『八咫烏』は、山手通り沿いを走る黒塗りのワンボックスワゴンの車内の中央に陣取っている『八岐大蛇』の首領である無精髭の男に自身の作戦を提案して電話回線では簡単に傍受されてしまうために専用の秘匿回線を使って無線通信を行っている。

「分かっている。だが、まずは『快慶』の予測通り展開される円環の範囲を特定しなければ話にならん。とにかく事前に神宮前五丁目ビル新築工事の裂傷からボゾン反応が大量に放出されたという報告を元に割り出したのが『都民の城』改築工事に絡んでいる『S.A.I.』の連中ってことだ。奴らは手強いぞ。支部長クラスでも十二分に我々と対等に渡り合える」

ヘッドホンを装着して聴覚に全神経を集中している『櫛名田』は他の感覚器官を完全にシャットダウンして、目が虚なままでぼんやりと表情を仕官させて鼻水が垂れているのも気にせず、微かな振動が鼓膜へと伝わることで認識できるボゾン反応が起きた際に生じる電磁ノイズの周期性の確認に聴覚を媒介にした脳髄の機能をフル稼働させている。

「あーくしなだちゃんはーあんなかんじでどこかへとんじゃっているのだしーぼくもそろそろーのーみそがとけそーれすー」

『夜叉』は手元で調合しているとても繊細な分子結合をしている薬剤が微量に粘膜に触れてしまった為に危うく思考が完全に停止してしまいそうなところでぎりぎり意識を保っている。

効果は十二分に発揮できそうだということを自分自身で証明していることに『阿修羅』が呆れかえりながら忠告をする。

「だから科学は信用出来んのだよ。今回必要な術式は二千五百四十二番。恐らく貴様の作るプラスチック爆弾にアルカロイド系化合物を混入させた合成物質よりは遥かに有用だ。しかも魔術であればもっと微細なコントロールで爆破を成功させることが出来るな。分子レベルにまでコンクリートを霧散させることすら可能なはずだ。この部隊に『クスサン』が配備さえされていればなんの問題もないのに。首を切り落とすことを『天狗』さんが渋っているだけなんじゃないのか」

「奴はまだ使い物にならんな。お前たち以上に社会にとって不要なものに過ぎない。だが、私たちが本来の場所に還ることが出来れば奴の神経質なほどの精密さはタイムパラドックスを引き起こさない為にも必要になってくるはずだ」

『阿修羅』は違法ダウンロードを利用した『いにしえ』を除く全魔術術式六五五三七通りの知識から『夜叉』の作り出す精密な爆破が可能な爆発魔術によって置き換えられる術式の効果を提唱し、『八岐大蛇』に未だ優秀な『魔術回路』持ちが配備されていないことを嘆いて唸り出す。

『迦楼羅』は『夜叉』がすっかり爆薬の生成途中に幻覚物質を意図的に混入させた挙句酷く酩酊してしまったことに溜息をつきながら『阿修羅』の知識だけの魔術について否定する。

「それは予言に記されていない対応です。『夜叉』さん、生成過程にかかる時間を後四十七秒だけ短縮させることで二千五百四十二番『刹那と口づけをかわす深淵のオーガズム』の効力範囲と酷似した爆薬を生成することが可能なはずです。試験管にベリリウムの量を〇・〇三ミリグラムほど追加して下さい。恐らく薬剤を作り出す際の身体負荷を軽減して作業することが可能なはずです。不可思議な分子結合が行われてまた脳内麻薬を過剰に分泌させてしまっているようですね」

『迦楼羅』は不愉快なほど規則的に銀色のカウンターを押し続けるのを辞めて、手元の束ねられたファイルから該当箇所を探し出し指でなぞりながら『夜叉』の作り出したい爆薬に修正点を伝えると、今度は『夜叉』の手元から試験管を奪い取り、手に持ったスタンガンを押しつけて『夜叉』の大脳新皮質から放出される幻覚性物質の活性状態を休眠状態へと引き戻して自覚的な意識を取り戻させて作戦行動に復帰させる。

病的なほど生真面目な『迦楼羅』が彼とは正反対に社会的規範に全くそぐわない痩せ細った『夜叉』との噛み合わないやり取りの間に『櫛名田』が渋谷区周辺に漂っている歪な信号をキャッチしたのか聴覚から侵入してきた認識情報のずれた覚醒意識がどうやらあたり一体に張り巡らされた術式の効果によって奪われ始めていることを確認すると、ゆっくりと抽象的で予言めいた言霊を吐き出し始める。

「闇夜に、堕ちる前に、感応と偏見に、救いの手を与え、影欠ける前に、快楽と苦悩に、円環の直径に、差異を生じさせ給え」

今案件において一切の罪悪の無対価の昇華を目的とした『預言の書』と呼ばれる重要なファイルを『八岐大蛇』は行動規範に定めることで作戦行動を計画している。

罪悪の象徴として崇められている『S.A.I.』教祖の視覚を元に生成されたデータが書き込まれている一冊のファイルを『迦楼羅』が手にとってページをめくっていくと、未だ何も刻まれていない白紙のページに『櫛名田』の唱える言葉が浮き出始めて白い紙に文字が刻印されていく。

まるでかつて『サイトウマコト』が散りばめた写真が街中に悪意を植え付けた結果、赤い花が受粉して新しい種を芽吹かせようとしているようにして、何か特別なものが呼び出されてくるのを『八岐大蛇』のメンバーはワンボックスワゴンの中で感じ取る。偶然が必然へと結実しておかえりなさいという声が世界のどこからか聞こえてくる。

「ねえ、来たよ! あれが『外宇宙絶対防衛独立艦隊』! 私たちの平和を守る『一縷の希望』! 『エンデ』だよ!」

「お前、煩いぞ。ママにドヤされる。少しは抑えろよ。私だってそりゃ。今すぐにさ」

──敬礼! ──と『マァム』の鋭く厳しい号令が響き渡り、私たちは、それぞれの機体に登場したままコクピット内で敬礼を捧げて『外宇宙絶対防衛独立艦隊エンデ』を出迎える。

『ガイア』と地球の直線上を結ぶ惑星『ザナドゥ』での防衛任務に一区切りをつけ、次の百年を過ごす為の惑星探査の前に彼らは『ガイア』に帰還してきた。

『古代種』はきっと何処までも追ってくるし、彼らはこれからも圧倒的な進化を遂げ、『白い閃光』ですら苦戦を強いられる機会が増えてくるだろうとマァムは私たちに気を引き締めるように伝えてきた。

さっき集められたブリーフィングルームで──けれど今日はほんの少しだけ気を緩めてもいい、私たちは闘いの日々を過ごす為に産まれてきた、だから、ちょっとだけでいいから甘い平和を享受しなさい、それが私たちにとっての『一縷の希望』なんだ──と教えてくれた。

『エンデ』のような部隊ですら百年に一度はここにやって来て束の間の休息を享受する。

だからもしかしたら私はちょっとだけ『古代種』たちの肉片に死への甘い誘惑が混じり込んでいることに騙されそうになっていたのかもしれない。

「『エンデ』帰港します! 『アトレーユ』受け入れ準備急いで下さい! 着艦します!」

『第十三古代種殲滅部隊』の母艦『鬼』に『エンデ』を先行して導いていた『白い閃光』の専用機体である『アトレーユ』が向かってくる。数数多の戦場を駆け抜けてきたはずなのに、『アトレーユ』は決して穢されることないまま白く美しい機体を保っていて一切の傷を寄せつけていない。

また『白い閃光』は『古代種』たちから宇宙を守り通して『ガイア』に帰ってきたのだと、『第十三古代種殲滅部隊』の機体がずらりと揃っている格納庫にその優美な機体をゆっくりと着艦させる。

「真っ白な光沢と流線型のボディ、胴体中央部の反物質砲、可視範囲二百七十度の通称『モノアイ』、『アトレーユ』がぼくらの船団に帰ってきたんだ」

「ははは。相変わらずカッコ良すぎて苦笑いしか出てこないよ。『カメレオン』みたいな雑な機体に乗っている自分が恥ずかしくなるよ、ほんと。完全性を手にすることが出来たのはきっと『白い閃光』だけなんだろうな」

AIは心強さを与えてくる宇宙最強の機体につい笑顔を零しながら表情を緩ませて敬礼している右手に力を入れる。

『第十三古代種殲滅部隊』の艦隊長『ELZA』、通称『マァム』はAIの力の抜けた表情を普段であれば厳しく叱咤するのだけれど、『アトレーユ』の前で不必要な怒りを露呈するつもりはないのか彼女を今日だけは見逃して『ELZA』自身もしっかりと姿勢を正し敬礼を送る。

『アトレーユ』のコクピットから『白い閃光』、『外宇宙絶対防衛独立艦隊』の唯一無二絶対無敵のエースである『00ダブルオー』がトレードマークである真っ白な髪の毛を棚引かせ降りてくるのを確認する。

「諸君。我々は遂に『古代種』たちを進化の最終形態へと追い詰めることに成功した。きっと次の百年は今までよりもっと苛烈で熾烈を極めるだろう。けれど、心配はいらない。全十三の『古代種』殲滅部隊と我々絶対防衛独立艦『エンデ』は最速と最強を維持したまま必ずより高みへと昇り詰める。自律進化の最終局面である死を享受すべきなのは我々チルドレ☆ンであるのか『古代種』たちであるのかを自らの力を持ってして確実に証明し続けるのだ」

グギャー、ガギー、ギジギジー、グワー、ドーン。

建築現場の中では沢山の人が騒ぎ回っていて、工事現場のご近所の奥様たちがあまりの騒音に苛立ちを隠せず思わずフライパンで旦那様の頭部を殴打したり、外部と内部を寄り分けて質量保存の法則を維持する為に雇用の問題を適切に解決しようとしていたり、新しく産まれる無機物とやがて消えていく有機物が激しく空間の情報量の絶対量をどちらが占有するべきかを鬩ぎ合っている。

──このままでは私は確実に明日の夜にはこの灰色のゴミ箱に旦那様の不必要な肉体を詰め込んでしまいます──と御伽の国を具現化したような一軒家に住む奥様がベランダのカーテンの隙間から荒々しく土を掘り返す土竜に向かって出来る限り憎しみが溢れ出ないように留意してくださいと懇願している。

『真金』は掘り返されていく土や余分な成分が混入していて削り落とされた硝子やかつて高飛車であることを自慢げに語っていた女性の傲慢さをよく練り込む為に砂と一緒に混ぜられて一輪車に積まれたセメントの様子をぼっーと眺めながら、もう既に引き渡しの時間が迫っている新築工事中の四階建ての変わったデザインの建物の外溝部で煙草を呑気に吸っている。

またサボっているのを発見されてしまいネチネチと小言を言われそうだったけれど、こんな馬鹿どもにびびってたまるかと不貞腐れながら真面目に働く職人さん達を挑発している。

えーんえーんえーん。

また宇宙からあの人の泣き声が聞こえてくる。

本当にどこへ行っても赤ん坊みたいな声で誰も助けてくれないことなんて知っている癖にずっと泣き喚いている。

あの人はどんなに遠く離れていてもどんなに時間が経っても産まれたての赤ん坊みたいに泣いているんだ。

ぼくは大人への階段を登る簡単な方法ですら知らない彼のことを思わず笑い飛ばしてやりたくなるけれど、そんな大人にはなりたくなかったんだって思い出してチッっと大きく舌打ちをしてやり返す。

えーんえーんえーん。

フーフーフーフフー。

こういう時には、ぼくは鼻歌を歌ってあげる。

脳味噌が沸騰してしまったらぼくは自分の頭の中から赤ん坊を外に追い出したくなってしまいガードマンにトイレの場所は何処ですかって聞きに行ってしまうかもしれない。

だから本当は頭の中でいつも優しくしてくれる宇宙の上でブランコを漕いでいる彼女にしか届けない歌を致し方なく仕様がなく口笛でも吹くみたいに歌を歌ってあげている。

「わかった、ぼくがやるよ」

大人になることを思い出した赤ん坊が決意表明をしてぼくに語りかけてくる。ぼくは後もう少しで今日の仕事が終わる。

正直に言えば、ほとんどの仕事を下端に放り投げてやったから疲れてもいないけれど、お陰で監督さんにコテンパンにやられている老人が今日の夜には過労死で一人寂しく畳の上で涎を垂らしながら醒めることのない夢の中へと旅立ってしまうかもしれない。

それは確かに気になることだけれど、ぼくが生きる為には必要な儀式だ、食わなければ殺されるんだ、頭をいつの間にか占拠している連中は結局興味を失ったらまた森の中へ帰っていくだけだから、気にすることは何もないんだって『真金』は赤ん坊が世界のどこかで行った決意表明みたいなものを心の中で唱えている。

ほら、また紫色の肌がどうにも私たちを汚してしまいそうだってぼくのことを職人さんたちが噂している。

さて、酸性の液体が気化した影響で朝はあんなに元気で働いていた下端が少しは体力を失って逆らう気力を失っている頃合いだろう。

酷使された心と体に訪れる(病)とはどんな形をしているか思い知らせる為にも必要だろうからと、切断された鉄筋と石膏ボードの切れ端を使って浮世で当然のように行われている強引すぎて合わない歯車同士の接合儀式について詳細に講義をすることにしよう。

『真金』は、以前は左官職人の繊細な小手先を使って無数の色が灰色の壁を塗り替えていたはずなのに、いつの間にか堕落と強欲が幅をきかせて現場中を取り仕切るようになってきたせいで、少しずつ泡立つような欲望が入り込む隙間が増えてきている。

いっそのこと建築途中のまだクロス材やタイル材が貼られていない場所にぼくの描いたまっさらな芸術作品を飾っておいてやってもいいんだろう。

だってもうぼくが住むだけの余地すら街の中から消され始めているじゃないかって自分に向けるはずの憤りを内燃機関に火を灯すように燃え上がらせてうっかり脳味噌を六百六十度まであげてしまい、軽量鉄骨を溶かし始めてしまっていることに気付いてしまう。

「じゃあ私はどっちに行けばいいんダヨッ!」

手足の長い羽の生えた鳥人が顔がすっかり真っ暗で消えてしまっている熟練した職人さんに憤りを露わにしている。

「転ばなければどちらでも良いんだ。足元を見れば自然とわかるようになる迄は時間がかかるのかもしれないけれどな」

顔のない職人さんはとても体温が冷たいので返事がなく変わりにまだ修行中の若い職人さんが鳥人にそう答える。

羽が生えていたって結局やりたいことは変わらないじゃないかって『真金』は鳥人の立ち振る舞いについ胡散臭い悪戯を思いついてしまい、いつの間にか悪意が好き勝手に暴走できることに興奮していることを隠すようにして北側の日の当たらないバルコニーへ疲れ果てた下端を探しにいく。

「おい。お前はまだ何一つ終わっていないじゃないか。何をぼうっと呆けて遊んでいるんだ」

工事現場を歩きながらベルトにぶら下げていたスケールを取り外して適当な長さを測ってみると、今日の分の取り決めごとはおそらく十六時四十七分にはかたがつくはず筈だと推測と仮定をゴチャ混ぜにして簡単な予言を実行する。

三尺四寸までの木片なら捨てずにとっておいても構わないかもしれないと正面玄関の高い天井にある天窓から入り込んでくる陽射しの入射角を計算に入れて作業の続きを考えていると、暇な時間を利用して悪戯心を放り投げている夜の思念とすれ違う時にどうやら仕事を放棄するべきだというすっかり崩壊した良心が重なり合って数値入力が完了する。

『真金』の頭脳はまるで機械のように精密な四・二ギガヘルツにクロックアップされたCPUを内蔵しているけれど、残念ながら〇・二ミリメートルの誤差には対応出来ないのだということを酸性の気体を吸い込んで呼吸器を壊されてしまったせいにして言い訳をだらだらと述べながら作業をし続ける。

筋繊維の活性状態を維持することに決めている狂人をうっかりビルの隙間で見つけてしまい自分の居場所と取り分を確保するようにと『真金』は訴えかけようとする。

都市部に魔術的結界を混入させることを目的とした立入禁止区域に侵入すると見たくもないことを見せつけられて地獄の底に蹴落とされた挙句に、まるで靴の裏が泥によって制裁を加える為に食いついてきて逃げ出すことが出来ないことを教えられてしまうことがあるらしい。

いつの間にか救いようのない未来を植え付けられてしまうかもしれない。

けれど、もし油断をして自分の名前を見失ってしまったらほんの少しの誤差でお前は大切な傷跡を火傷と後悔と悪意と疑念によって冷たく変えてしまうかもしれないだろうって『真金』はぶつくさと愚痴をいう。

「まだこんな場所にいるんですか。引き返すのには良い時間ですよ」

サボってばかりの癖に文句を垂れているわけにもいかず、自分に必要な仕事を選びとることにして『真金』はカッターナイフの刃先をギリリと突き出して時計の長針と短針と秒針にはそれぞれ意味があり、黄色い線の内側と外側では流れている時間が違うのだよと説法を始める。

戯言を並べてみても使われようともせず使いものにもならない人間を脅してみるけれど、無意味であることを反射によって理解して堪能してもし復讐心が芽生えたら大切に培養することを忘れてはいけないと小言をいう。

ニカッと彼は笑い──分かってくれたらいいんです──といつまで経っても空まで俯き加減で歩こうとする癖を下端に厳しく注意されながらペッドボトルの水を投げ捨てられて自尊心を破壊しないように警告を促される。

ここではどうやら使い道のないニッカポッカのポケットにカッターナイフをしまって汎用人型兵器である『真金』は活動限界がいつの間にか訪れて夢を忘れてしまう前に帰宅の準備を始めようとする。

埃と泥と余計な気遣いを捨てて二つ目の肺が息苦しくなる前に普段着に着替えてしまおうと緑色のパーカーとカモフラージュのパンツに履き替えて母から譲り受けたシューズで予定よりちょっとだけ遅れた十七時三分に建築現場を抜け出す。

雨がぱらぱらと降り始める。

天気予報は当然ながら見ていない。

地理には疎くて真っ直ぐ進むのか左に曲がるべきか右に曲がるべきか今朝方、国家管理されて既に能力のほとんどを失っている『魔術回路』を抑制するために少しだけ投入しなければいけなかった魔術血清のせいか酔いが深くどんよりと回っていて行きは迷わず辿り着けたはずの駅迄の正確な道のりを上手く思い出せない。

公園の脇を抜ける。

主婦が我が子にひったくりの怖さを伝えようとしている。

途端にひと気が減る。

雨足が強くなる。

街の気配に不穏な空気が混ざる。

濡れてしまうというのに『真金』は煙草に火をつける。

煙草にはやはり火がつかず仕方なく俯きながら母からもらった靴を眺めて歩いていると前方からピチャピチャピチャとさっき降り出したばかりのアスファルトに溜まり出した雨水が跳ねる音がする。

『真金』の脳味噌の温度が急激に下がりだす。

火のついていない煙草を咥えたまま頭をあげる。

『黄色い長靴を履いた紫色の身体をしたカバ』が透明なビニール傘を持ってこちらを見つめている。

「お前は誰だ。ぼくは真っ直ぐに金を稼ぐ為に働いている」

「ぼくは『カバ』だ。『真理』をオメエに教えにきた」

「笑い話か。俺は先を急いでいるんだ」

「おめえは『バカ』か。先なんて急いでも何も見つけられんダロ」

「あはは。確かに言う通りだ。けど、俺は『真実のエーテル』を吐き出せる。嘘なんてつけないぞ」

「まぁ、これを飲め。硝子瓶に入った俺のしょうべんだ」

気付くと『真金』の持っていた煙草は路上でびしょびしょになって解けている。

右手には『紫色のカバ』が手渡した硝子ビンが握られている。

たぶん、彼は飲みたい訳ではなかった。

飲もうとしていた訳ではないけれど、彼は『真理』を知りたいと考えて硝子瓶に入った透明な液体を言われる通りに飲み干した。

『真金』は産まれて初めて涙を流した。

涙を流している自分が心底嫌になった。

好意の対象を向けられはずの自分なんてとっくの昔に消えていたはずなのに心の底から自分が嫌いになりそうだってつい思い込んでしまったのは渡された液体の味が今まで知り得たことのない事実と情報の価値を『真金』に理解させようとしてきたからだ。

「どうだ、おめえ。不味いだろ。おめえが『バカ』だってわかったか」

『真金』は着替える時にカモフラージュパンツの後ろのポケットにいれた『カッターナイフ』を取り出して紫色のカバに向けてとても純粋で見事に研ぎ澄まされた殺意を見せることにした。

「俺が持っているのはこれだけだ。金が欲しくてもお前には渡せない。水の代金ならこれで赦せ」

「いいか。大切なのはそいつを持っていることを忘れないことだ。傘でもナイフでもなくお前はずっとそれをポケットにいれて持ち歩いている。忘れないのなら傘をやる。濡れてなんて帰らんでええぞ」

『真金』は『カッターナイフ』をしまう。

鋭く純粋な殺意は剥き出しにしたまま綺麗に隠して『紫色のカバ』から透明なビニール傘を受け取る。

『真実のエーテル』は二つ目の肺で彼は若くて血気盛んでやる気に満ち溢れていた頃には確かに嘘を見破ることの出来る能力を持ち合わせていたようだ。

『紫色のカバ』はいつのまにか地上から姿を消している。

口の中に残った苦い味で思い出を剥ぎ取られそうだったので、『真金』はその場に蹲って『紫色のカバ』から受け取った硝子瓶の液体を残さず飲み干したのは──あなたの全てが欲しかっただけなんです──って大昔に恋をした時のことを思い出して殺意の出所を一生懸命に伝えようとする。

彼の身体と心は雨水でドロドロに溶け出して二十一グラムの魂だけが『一縷の希望』として『真金』に残される。

「ねぇ、もし、君から永遠に視力を奪い去ったとしたら、君は今までと同じように聴力だけに頼って生きようとするのかな」

先週の日曜日に久しぶりのデートをしたせいか妙に透き通るように怪しい声が愛おしく感じられ、『蜂』に二十三時を回るというのに電話をかけている芹沢美沙はセロトニンの抑制から解放されて少しだけ気分が昂り始めて自分からロマン主義を崩壊させる一言を切り出している。

「たぶん、そうね、そうしたら、確かにあなたの声だけを聴いて生きていくのもいいのかもしれない。私は音という現象をそういう風に捉えているわ」

電話の向こうからまるで呼吸を正確にコントロールするような吐息が聞こえてきて鼓膜の振動数を自分が求めていたものだと芹沢美沙ははっきり感じとる。

「レズビアン。世間の人は私たちのことをそう呼ぶのかな」

「そうね、もし私が過去にレイプを経験して自意識が破壊されていたらそう感じるかもしれない」

「意地悪な言い方。『カッターナイフ』を背中から突きつけられた経験なんて確かに誰にでもある訳じゃない」

「そう。私の気持ちを知ろうなんてあなたはしてこない。だからとても心地がよい」

もちろん、電話でオーガズムを感じ取る為に『蜂』との関係性を深めようとした訳ではなく、例えば私が感じている見えない声と聞こえない眼の関係性を伝えようとするのならば、『metaphysics』が演奏をしている空間に私たちが留まり続けることで、今、電話の声を通じて起きている感覚の増幅という現象をどのように表現するのだろうということを聞いてみたかったからだ。

もし、『パノプティコン』から抜け出せないのであればきっと私は全天球を視認する眼球を神様たちの贈り物として手に入れる必要性があるのかもしれない。

「わかってくれるのね。永遠というのは牢獄の名前を意味しているの。けれどジャイルブレイクを求めて解放を手にしようとするのであれば私たちはあなたの役に立てるかもしれないわ」

誰かの魂がどこかで途切れた瞬間に訪れる一万キロヘルツの純粋な正弦波が〇・三秒ほど持続して聴覚を刺激する。

とても繊細で精微な時間が芹沢美沙を支配して束縛を始める。

正確に脳髄の死への希求を司る部位を刺激されたせいか記憶と感覚に関する情報が書き換えられているような気がして、一つの可能性が失われていく瞬間が『蜂』の形而上に存在している透明な声を媒介にして0と1のデータへと切り替わっていくことを芹沢美沙は素直に受け止める。

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