見出し画像

09. Describing Bodies

長いストレートの黒髪、茶色いふわふわパーマ、頭をお団子に結いた女の子が三人、際どい角度のレオタードに青、赤、緑のタイツと、同じ色の仮面をつけてぼくらの目の前に現れる。こんな場所にまったく似つかわしくない三人組の登場にぼくらは呆気にとられる。

いきなり灰色の世界の法則性の外側からやってきた彼女たちもどうやらイドの中で色を失わずに存在できるらしい。

「やっとみつけたぜ、キモオタデブ!」

「私たちをまいちゃうなんて!」

「ふてぇやろうダゼ!」

「──だから私たちはお前の夢の中にダイブした! OZの魔法使いはどこにいる? ──」

絶体絶命のピンチに現れたどこかの喫茶店で働いていそうな三人組はまるでほんとうにアニメの世界に来たような台詞でぼくらを挑発する。

ほんとうになにをしに来たんだ、こいつらは。

「もしかして横尾先輩の『スリーアクターズ』とかいう。タオさん、イオさん、リオさんでしたっけ? そもそも何をしに来たんですか」

あまりにも空気にそぐわない三人の登場に若干キレ気味でぼくは問いかける。

そんなくだらな過ぎる三人のくだらなさすぎる登場に関するぼくの質問の答えが返ってくるより前に、体育倉庫の奥の方、真っ暗で何も見えない空間から黒く長い髪を特に気を使うことなくぼさぼさにしてぶつぶつ忌み深い言葉になる前の言葉を吐きながら廓井芒里が姿を現わす。

「あぁ。かったるい、本当にかったるい。お前たちの欲望は惨め極まりなくて本当につまらなくて餌にも贄にもならんからあの迷い込んできた二人に現世の色気違いどもの脳を思念体ごと植えつけてやった、しばらくは向こうで霊体となって彷徨って快楽の渦に呑まれたまま帰ってくるまい。百舌はお前たちを好きにしてよいと言っていた、あぁけれどとにかくかったるい、かったるい、めんどうで、めんどうで、本当に今直ぐにでも呪い殺してやりたくなるわい」

体育倉庫の奥の暗闇から突然現れたぼさぼさ頭のおよそ女性とは思えない他者からの視線にまったく気を使わない身なりの廓井芒里にその場にいたぼくらは釘付けになる。

「でたよ。エロスの大魔王がきちゃってるよ、うっざ!」

タオは廓井芒里に暴言を吐きレオタード姿で露わになっている自分とのプロポーションの違いを見せつけた後にイオのほうを向く。

「うん。あのね、女の子は可愛くあるべき。そんな基本原則を無視するおばさんは私たちも無視するわ」

イオは軽くリオの肩を叩き、タオと目を合わせる。

「いいなー、そんな生き方。今日も決め決めでお団子作ってきた私がバカみたいじゃん。まぁ、そういうことでバイバイ、おばさん!」

嵐のようにぼくらの命の危険が迫る場面を荒らしていったかと思うとそのまま体育倉庫を出て行こうとする。

「あ。ついでにあの頭の中がおちんこのことばっかりでとっても暗い女子高生からこれ奪っておいたよ。あとは自分たちでなんとかしな!」

イオはそんな風にぼくに話し掛けると赤い液体が入ったガラスの小瓶を放り投げてくる。危なく地面に落としそうになってしまったぼくがなんとかガラス瓶を手に収めている隙に三人は体育倉庫を出て行ってしまった。

半開きの体育倉庫の扉から小柄な女の子が中を覗いている。

「水恩寺か。まだこんなところを、うろついている。さっさと消えてしまえ、あの忌々しい豚どもメ。あぁかったるい、かったるい」

ぼくは渡された赤い液体の入ったガラスの瓶を三人で回し飲みして、身体中に浸透するのを確認する。

「うう。わかった。じゃあ、もう帰るよ。でも廓井さん大丈夫? 私今暇だよ」

水恩寺は構って欲しそうな目つきで廓井芒里に話し掛ける。

ぼくらの身体中を埋め尽くそうとしていた黒いシミがゆっくりと元に戻り始めるのを確認すると、ぼくはなんとかここから逃げ出す算段を考えようとする。

「と、その前に、お前があの二人をここに連れてきたのでござるか? 二人はいったいどこへ? この世界からはどうやったら抜け出せるデござるか?」

ぼくの当たり前過ぎる質問に心底気怠そうに反応した後に、はぁぁと息を吐くと大量の得体の知れない形をした蟲が廓井芒理の口から飛び出して彼女の周囲を取り囲む。

「あぁ、そうさ。わたしがやつらを引きずりこんだんだ。ここでならやつらは欲望のままに振る舞える。人様の戯言なんザ全く気にする必要がないからなぁ」

現世ではおよそお目にかかれない形をした羽虫ばかりが廓井芒里の命令を待つようにして彼女の周囲を飛び回っている。

「もしもし。大河くん? 聞こえてるかなー? おーい、早く助けにきてよー」

巡音はどうやら術式がなぜか無効化されているスマートフォンを使ってどうにかして外の世界と通信を取ろうとしているらしい。

「だからどうやってここから出るデござるか! どうにかする手段があるデござろう!」

いつの間にか白河君に引きずられて侍キャラになったまま質問をするぼくを無視する廓井芒里に対して威圧的な態度で接しようとすると、彼女は急に表情を変えまるで吸血鬼のようにぴぎゃぁと八重歯を剥き出しにする。

「私を舐めおって。私の固有エーテルで再構成したペスト菌のワクチンはその程度では足らんよ。ほれ、見てみろ。その小僧はもうあと少しで死におるわい」

白河君がぐったりと生気をなくして死にそうな顔をしてうずくまっている。

自分のことばかりに夢中になりすぎてすっかり彼のことを忘れていた。

「し、白河君。ど、どうしたの? ちゃんとさっきの液体飲んだよね? まだちゃんと効いてないのかな。」

「うう。心なしか小生だけ量が少なかったような。寒気がしてきたでござる」

「あ。ごめん。ちょっと飲みすぎちゃった。ねぇ、ちょっと大河聞いてる? ここエーテル量が尋常じゃないよ、思ったよりずっと」

飲みすぎちゃった、テヘペロとはあまりにも悲壮感が漂わなさ過ぎてこちらが危うく雰囲気に呑まれそうになる。

この女はこの状況がわかっているのかと思わず自分のことを棚に上げそうになる。

「ううう。巡音殿。小生の最期の願いを聞いてくれはしまいか。たしか魔術師は契約者と血の盟約を交わすことで自身の魔術能力を数段あげる秘術があったでござろう。時田と宝生院の件で小生は色々と調べたでござる。ぐぼっ」

白河君はお腹を抑えながらとても辛そうな顔をして巡音の方をまっすぐ見つめると口から真っ暗な粘液性の液体を吐き出して本当に今にも死にそうな顔をしている。

「おい! 魔法少女! なんとか答えろ、このままじゃ白河君がほんとにやばいんだよ!」

「は? なに? 今忙しいんだけど。契約?誰が?」

「小生がしたいんでござる。このままでは小生は完全に犬死。もう時間がない、今小生に思い浮かぶ秘策はそれぐらいしか見当たらないでござる。なんとか血の盟約を結んではくれないでござるか。」

「な、何を言ってるのよ、死のエーテルとの契約は七度の焦熱と七度の極寒を伴う死、もしくは八十パーセント以上の獣人化なんだよ? 契約者になろうとすること自体が狂気そのものなのにさ!」

「そうでござる。おそらく小生の推測ではこの世界でも死という事象そのものの効力は存在している。だからあの女の言う通り小生は後数分足らずで生命を失う。ならばコソ、この空間でも契約自体は発効されるはず。我々が否、小生がこの場から生きて抜け出す方法はそれしかござらん」

「ちょっとまって、大河また後で電話するから! で、本気なの、君? 確率はたぶん三分の二、三分の一は本当にバットエンドなんだけど。私、嫌だよ、君の命背負うの」

「心頭滅却すれば火もまたスズシ、でござる。小生は巡音殿の剣になるために死を享受できるのならば本望。もう時間がないんでござる」

白河くんが切羽詰まっている様子が伝わってくる。

彼のまるで理屈の通らない口説き文句にぼくも正直戸惑っている。

「けらけらけらけらけら。命にすがって不様を曝す様をみれるのは愉快、愉快。蟲供で幻覚でもみせたまま井戸に放り込んだままにしてやろうとも思ったがそんなことせずとも楽しめそうだわ。あの二人よりはずっと現世に未練があるとみえる」

廓井はまるで蝶々と戯れる少女のような顔つきで気色の悪い蟲たちを飼い慣らしている。白河君の侵食が進み、このままでは黒河君になってしまうと思った矢先に白河君は限界を感じたのかそのまま体育倉庫の床に倒れこむ。

「頼む、巡音殿。小生と契約を。血の盟約を。ぐへぇぇぇ」

「ああぁ! わかった、わかった! 契約を認めます! アリアロスバルレトリーネッ!」

白河君の身体が完全に黒く覆われてしまう寸前で、巡音花音は右手をあげ、どこかで聞いたような呪文を唱えると、黒く輝いた右手の人差し指で左手首を軽くなぞって一筋の切り口をいれると左手首から黒く光る液体状の光が流れ出して白河君の口に巡音の黒いエーテルが注がれていく。

「あとは、彼の運次第。だと思う。って、これちゃんと間に合ったのかな」

白河くんの喉元をみるとちゃんと巡音のエーテルを呑み込んでいるようだけれど、彼が最期の一滴を飲み干した瞬間にちょうど全身に合成された病原菌が身体に廻りつくしてしまったのか真っ黒に変色し、そのままがくりと項垂れて息絶えてしまったように力が抜ける。

「え? うそ? なんで? 白河君、白河君ってば。冗談でしょ、起きてよ、白河君、しらかわぁ! しらかわぁぁ!」

全身から絞り出すような声で叫びながら白河君の身体を揺らす、けれどまったく反応がない、血の盟約とやらは失敗? なんでいきなりこんなことに? 状況がまったく呑み込めずに、あやうくパニック状態になるところで『類』が呼び止める。

──心配はない。彼女の言う通り確率は確かに三分の二だが血の盟約にもっとも必要なのは術者に対する忠誠心だ。彼ならば必ず呼び戻される。そんなことよりやばいぞ、あれは。腹の中が毒素で満たされている──

白河君が真っ黒になって目を覚まさないのをみたからか、廓井さんの目つきが淀み始めている。

怒りのようなもので廓井さんの表情が覆われていくのを目の当たりにする。

「おまえはせっかくの餌に血を与えたのか。私たちが最も忌み嫌う術式で餌を台無しにしおった。あぁぁぁぁぁ。──殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺して殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺して殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺して殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺して殺してやる──」

まるで殺意に身体中を侵し尽くされたような廓井ははぁぁとさらに大きく呼吸をして二酸化炭素を吐き出すと得体の知れない蟲がさらに大量に出現する。

大昔、腹の中で毒虫を飼い毒耐性を作り出すことで医術を施したという薬師の蠱毒がそうであったように、グロテスクな見た目の蟲たちが体育倉庫にいっぱいになっていく。

ぼくと巡音をまるで威嚇するようにぶぅんと音を立てて何匹かの蟲が近寄ってきて耳元を通り過ぎるので手で払ってパンっと両手で叩き殺すけれど、なにせ量が多くて手に負えない。

おそらく毒のようなものを体内に保有している蟲のようだけれど血液が混ざり合わなければ効果はなさそうだ。

それに蟲たちはまるで廓井さんの合図を待っているかのように直接こちらを攻撃してくる様子がみられない。

異常に手懐けられて従順な蟲が逆にぼくら二人の不安を煽る。

「ところで潤。この子を知っておるか。おまえのことをずっとつけさせてもらった。否、おまえの味が格別で血を吸うのが堪らなくて離れることができなかったようだわ。『エーレンシュタイン』はおまえの使い物にならないエーテルで腹がいっぱいだわ」

巡音花音は廓井芒理の不自然かつ不可解な問い掛けに緩みきった表情を引き締めて答える。

「『沗蜂』。別名──複眼の同棲相手──。ペットの名前が可愛らしいのは先輩が策士だからですかね。まぁ、飼い馴らせばマーキングした対象の行動を追いかけられる。エーテルの匂いに敏感で半径50キロメートル圏内であれば迷わず対象を見つけちゃう。特に固有エーテル持ちに効果的面。主に魔術犯罪対策の犯人探しに使われることが多い魔法蟲」

「そうだ。そして私はこの『沗蜂』、『エーレンシュタイン』に改良を加えて人間の記憶を司る部位に影響を与える特殊な毒を生成出来るようにした。つまり、狙いを定めたエーテルを持つ人間の脳内に擬似的な信号を作り出して偽の記憶を植え付けることが出来るのだよ」

「一応、『優性人種保護法』では記憶の改竄などの人体に直接悪影響を及ぼす魔術は禁止対象、つまり犯罪ってことになっていますね」

「その通りだ。『イド』の中であれば特に問題にするものもおるまいがバレたら退学どころの騒ぎではないな」

「まぁ、そもそもあれは大戦後、私たちの保護という名目の元、魔術人類の能力を抑制する為に作られたものですからね、お気持ちはわかりますよー。お兄ちゃんのため、ですか?」

「『白銀のアルキメデス』は『エーレンシュタイン』で私がしっかりと目を盗み、たっぷりお灸を据えさせてもらったよ、悠宇魔殿の障害になるにはまだちぃとばかり憎しみがたらんようじゃ」

「あは。お兄ちゃんは常に強いやつと戦いにいく人ですからね」

「そう、それが悠宇魔殿だよ。ともかく、白銀が視覚で捉え脳内で受信した情報が、実は『エーレンシュタイン』の合成蠱毒によって犯された視覚野で生成された擬似信号が作り出した現実の続きであるとはやつが後々気付いた時の事を考えると笑いが止まらん。今頃はすっかり夢の中にでもいるのではないのかな。毒が全身を廻り切っておれば無限のエーテル放出によって大魔法使い気分であろうな」

「大丈夫。大河なら今、私のこと彼女だと思っています」

「何をいっておる。あやつは魔術物理室で実験の最中に『エーレンシュタイン』の餌食になっておる。見えないはずの現実を視認した挙句、引き出せるはずのない失った力に溺れた

て、お前をこんな所までわざわざ落としてきたのであろう」

「先輩が私をみていたのは知っていますよ。お兄ちゃんの仕業かなと思ったけど、その様子を見ると先輩の独断ですね」

「やはり『死んだ魔術回路』とはいえ、巡音家か。『沗蜂』の羽音は通常の人間の聴覚や嗅覚では捉えられん。どうやって『エーレンシュタイン』を見つけた」

巡音はスカートのポケットからスマートフォンを出して画面を廓井にみせる。

「私、この子の言葉がわかるんですよ。『沗蜂』って機械に近いのかな、ウィルスなんかと一緒? だから、たぶん仲間意識を感じて見つけちゃったらしいです。そうでしょ?」

『ご名答。ちなみに大河さんとはまだ連絡取れず。位相の問題かな。スピーカー音量は最大にしていますデス』

「白銀の『受け継がれた歌の崩れない意志』ならば、この子が邪魔しておるはずだ」

「『蝶電波』。じゃ、私とこの子の仲は引き裂けない。本人です、スマートフォンの──ヤジロベエ──です」

白河君はいっこうに目を覚まさず永遠と廓井と巡音の理解出来ないどころか痛々しくて見ていられない会話が繰り広げられている。

魔術科とはこんなにもひどいのか。

人が死んでいるかもしれない状況でスマートフォンにつけた名前を教えている。巡音、お前と契約した白河君は浮かばれないよ。

──だからたぶん彼は死なんよ。それより式神使いとはね。三百年ぶりだ──

『類』が相変わらず頭の中で独り言を言っている。

廓井芒里は大声で笑い飛ばして巡音を侮蔑する。

「スマートフォンとは恐れ入った。機械と喋れるとでもいうのか。悠宇魔殿が聞いたら泣いてしまうな。魔術家系きっての名家はどこにいった」

ふぅぅと溜息をつき、巡音は鋭くまっすぐ前をみる。

「そう。『死のエーテル』。無機物、特に人間が作り出した機械と呼ばれる人間の模造品の意志を抽出出来る。ちなみにお兄ちゃんはこのことを知らないと思う。そしてお陰で私の肺は死んでいる、一つ目は使えないの」

かっと目を見開き、はっと息を呑むとバサバサと廓井芒里の周辺を飛び回っていた蟲たちが騒ぎ回っている。

「珍しく蟲供が本性を曝け出しておるな。我々が間違っていたということか。ニンゲンと手を組めと。お前のエーテルはそう囁くのか」

「とにかく、あの時、『太陽の吐息』にこっそりと科学が得意な友達に作ってもらった惚れ薬を混ぜておいたんです。『死のエーテル』と相性はぴったり。私の周りをちらちら飛ぶから沗蜂はその匂いに引きつられて体内に成分を吸収。そのまま大河に注入。私に恋してそのまま突入。イケメン彼氏が出来て私も発情。そう、ラッピングしてます」

白河君が心なしかビクッと動いた気がした。契約が成功したのだろうか。

「私の『沗蜂』が白銀に擬似記憶を植えつけると知っていて用意したのか。科学と融合させて『エーレンシュタイン』の作り出す蟲毒の分子結合式を書き換えるとは。似非魔法しか使えぬくせに生意気な小娘メ」

「高度の毒素であればあるほど、複雑な分子式が必要になるんでしょ、だから私はその隙をついてシンプルなラッピングで対抗したの。あなたこそ私を舐めている。太陽の吐息は冷たくていいの! 知識だけでいえば私はお兄ちゃんにも引けをとった覚えはないの!」

「くくくくっ、くくくくっ、あははは、はははっ! まったくお前のいう通りだ。ここはひいてやろう。巡音家の子女としての才華しかとみせてもらった。行き先はそいつがしっておろう」

廓井に指を刺され、ぼくはビクンとなりつい身構えてしまう。

どうやら二人の決着がついたと同時に白河君に体温が戻り始めているようだ。

「あー。そーいうことか。じゃあ次は中央図書館だよ、時田と宝生院がいるはずだ。死者を蘇らせるとか、生者を簡単に殺してしまうとか、人の命なんだと思っているんだ!」

廓井は彼女の周りを飛ぶ魔法蟲と戯れながら笑っている

「案外白銀も侮れぬか。宝生院には五十四ヶ所の呪いをかけて救いを与えた。それが彼女の望みだ。百舌の早贄にならぬよう気をつけるのだな」

そういうと大量の蟲たちが彼女を黒く埋め尽くしていき、徐々に小さくなりとうとうサッカーボール状の黒い球体になったかと思うと廓井芒里の姿は体育倉庫から消えていた。

「四十八個目の呪いで宝生院は乱れに乱れて死が欲しい欲しいと懇願しておったぞ。お前たちもいずれそうなるであろうな」

ぼくらしかいなくなってしまった体育倉庫に廓井芒里の声だけが虚しく鳴り響く。

「なんとか撃退。あの人は頭がいいから無駄な争いはしないんだよ、お兄ちゃんを敬愛しているしね。そ、私はお兄ちゃんの親友でなぜか留年中の百舌さんを探しに来たんだよ。で、次は図書館ね」

ぼくは白河君の両手をいつのまにか握りしめて汗がべっとりとしている。

「わかった。彼は心配はいらないんだね」

「うーん、バットエンドじゃなかったにしても全身にエーテルが回りきるまで後三十分ってところかな、しばらくは安静にしておいたほうがよいよ。精霊のご加護を受けるならば降りてきてくれた場所から動かすべきではないと思う。初めてのことだけど、私が知っていることはそれぐらい」

精霊が降りてくる。

クォークの電荷領域に関する問題だろうか。

獣人化こそ我々が解明することの出来ていない最大の謎、どうやって被契約者の外皮と骨格が他の生物の遺伝子を組み込んでテラフォーミングされてしまうのか未だに判明が出来ていない。

もちろん契約者のエーテル量が増大する、もしくは新しい肺が誕生するといった契約に付随する契約者本人の利益に関する問題も解明されているとは言い難い。

エーテルには、まさかアカシックレコードと呼ばれる統合情報思念のようなものから引き出された真理の一部が混入していて、エーテルを利用した血の盟約を通じて回路を持たない人間にも脳髄に新しいシナプス結合を誕生させてしまうのだろうか。

人と獣が交わる、現在の科学の領域をはるかに凌駕した難題である。

とにかくぼくはそのまま立ち上がり白川君の胸に耳を当て命に別状がない事を確認して、ぼくらは灰色の空間を出る手がかりを見つける為に体育倉庫を出て中央図書館に向かう。

白河君すまない、なんとかまた『チェリブロ』で熱い戦いを繰り広げよう! それまで頑張ってくれ!

──ご主人様ぁ、わたしもうだめれすぅ。ここすごいですぅ。うぅ。このままじゃエラーだしちゃいます──

と、体育倉庫を出た途端、突然、『少女地獄』はますます当初ぼくが設計したツンデレ属性とはかけ離れた裏コードを続出している。

こんなはしたない言葉を連呼するなんて深愛先輩の仕業に違いない。どんな仕組みを組み込んだのか想像すらつかない。

「わかった、『少女地獄』。今は何時だ」

──えーわたしよくわかんないぃーはやく二人きりになりましょうよぉぉー──

「十六時四十五分だ、『少女地獄』。中央図書館の時計が元に戻っていてよかった。ちなみにぼくは未だ童貞だ、機械と合体してしまうほど夢は捨ててない。先を急ごう」

青い炎が灯された時計は通常の形に戻って取り付けられていて、その中央図書館の屋上には、長身長髪の男と赤、青、黄のレオタードの女の子三人組が向かい合っている。

「見つけたぜ!」

「逃げられないぜ!」

「ここまでだぜ!」

「──OZの魔法使い! ──」

タオ、イオ、リオの三人は長身長髪の男をそのまま三方向から取り囲む。

「すこし誤っていました。あなたたちはここで欲望の糧となって頂きましょう」

空は灰色のままで夏の始めの夕暮れ時だというのにまったく気分は暗いまま。

白河君の決死の嘆願を雑に扱う性悪女と魔術科棟の中庭でお互いを刺殺し合って絶命したはずの二人に会いに図書館に行く。

なんというハードなシチュエーションだろうか。

西側の中央図書館入り口のガラス扉の前で白河君の不在を独り言のように嘆きながら──どうせ巡音はなんとも思わないだろうけれど──図書館のドアをあける。

一階は司書室と受付カウンターで当然ながら図書館の内部には誰もいない。新刊図書コーナーの充実している様子はこの学園の自慢の一つではあるけれど、誰も借りにくる事もない夢の世界では寂しそうに本棚に立てかけられているだけで役に立ちそうにはない。

たぶん、ぼくの夢に出てきた二人は二階の文学棚周辺にいるはずだ。

巡音はどうやらスマートフォンで外の世界と通信を取るのを諦めたらしく大人しくぼくの後をついてくる。

「誰もいないじゃんかー。そういえばさ、宝生院って子は、うちと同じぐらいの名家の子でさ、すんごくプライド高かったから時田って普通の子? と一緒にいたのがよくわかんなくて。回路ある子はやっぱりそういうことをすごく気にするから」

「そうだろうね。悪気はないけれど、ぼくらもそういう風に感じながら育っている。心のどこかで君たちを同じ人間なんかじゃない、そう思っているから」

「君は正直でまっすぐだね。そーいうのは女の子に人気出ると思う。けど、私の回路は君たちにすごく近い。そもそも一般的な魔術はほとんど使えないし。だから、何って感じかな?」

「どうだろう。才能という言葉で君たちの能力を置き換えてしまえば、ぼくはやはり歴史上の偉人になろうと思ったことはないと思うし、ぼくはぼくの出来る事をするだけだと思っている。物心ついた時にはそうではないんだと知ってしまうから。君たちがいると余計にね」

「確かにね。ないからといって、持ってないからといって、私も私のことを恨んで憎んで壊してしイオうとは思わない、心の奥の方できっとそう思っているけれど、私はやはり肺が死んでいる、魔術科は私にとってそういう場所」

「弱音。ぼくも一人きりの家の玄関で、誰もいない教室で、トイレの便器の上で、たまに吐き出す。だからといってトイレのドアの開けた世界は何一つ変わっていない」

「うっざ! でも、まぁ、そういうのはかっこよいよ。時田って子と宝生院は何を思ってこんなところにきちゃったんだろうね。彼らは二階かな。二人で一緒に階段をあがろう」

二階への階段をあがって両隣を本棚に挟まれた二階中央付近に辿り着くと、左側に科学関係に関する本がずらっと並び右側の本棚には芸術関係の本が並べられている。

時田と宝生院はその本棚の中央のスペースに手を繋いで立っていてまるでぼくらが来る時間がわかっていたように出迎える。

「夢で伝えた通りぼくらはあなたに渡す本を用意してここで待っていました」

時田学は自信に満ちた表情で確信をもってぼくに伝える。

「あなたたちが既に伝えられているように私と彼は自分で選択してこの場所にいます。歯車の動きに一分の乱れも引き起こさないように」

それではまるで死ぬ為に生まれてきたみたいじゃないかって言葉を呑み込んでぼくはどうにもなりそうにない気持ちを伝える。

「あなたにかけられた五十四個の呪いを解いて生きる道もあったのではないですか? ここは自由だというけれど、やはり二度と同じ場所には戻れないという理由でぼくにはあなたたちの言葉が理解出来ない」

生と死は等価値なんだっていう戯言が頭を巡って嘘と本当の区別をなくしてしまう。頭の中が死という言葉で埋め尽くされて考えを放棄して脱け出せなくなりまるで邪魔なブロックを崩して消えていくように中央図書館の二階はドロドロに溶け出てしまうと、ぼくらの視界が魔術科棟の中庭へと変化していく。

「ぼくは彼女にすべての痛みを消すことのできる魔術を刻印されました」

「私はかれの傷みをすべて快楽に変える術式を与えられました」

「──上腕を切り裂く時、優しさを取り除かれ、脇腹を突き刺す時、怒りを爆発させ、首筋を切り裂く時、心の在り処を問われるのです──」

「いっていることがわからない。すべて何もかも負う必要のない傷みじゃないですか」

彼ら二人の姿が最後に見た姿と同じく真っ赤に染まっていて中庭の煉瓦で敷き詰められた地面はべたべたと彼らの血液で濡らされている。

拭い取れそうにない血だらけの制服と一緒に彼らは抱きしめ合うと魔術科棟の中庭で──まるで完璧な形を求め合うような死体──は形を定着させないまま溶けてしまうと、今度は中庭の風景が誰もいない教室へと変化していく。

目の前には2-C出席番号十三番、芹沢美沙がひとりきりで『物質と記憶』という本を読んでいる。

巡音とはいつのまにかはぐれてしまったのか誰もいない教室に立つ透明なぼくは芹沢美沙の姿を覗いているもう一人のぼくの姿を扉の向こう側で発見する。

「答えが出ない問いを投げ掛けて、永遠を彷徨ってしまう処世術ならば既に捨ててきたと思う。ここにはもうぼくはいない。さっきもそう伝えたはずだ」

会いたかったはずの、手に入れたかったはずの、欲しかったはずの扉はもう既に見つけられないのだろう。

そうやって頭の中で考えると再びぼくの認識上の世界は知覚と同一化して灰色に包まれた中央図書館の二階の一室に切り替わる。

「あなたたちが探しているのは存在しないはずの出席番号。であるならば。もうあなたは既に答えを見つけているはずです」

時田学は率直に素直な、意見をぼくに述べる。宝生院真那は黙ったまま何も告げない。

「私たちの生きた欠片を参照してみて下さい。あなたたちがまだ旅を続けるつもりであれば然るべき手段が与えられるはずです」

ピピッー。

スマートフォンから通知音が届く。

ポケットからスマートフォンを取り出すと『少女地獄』を立ち上げてメッセージを確認する。

──エラー修正完了です! アップデートも問題ありません! マウスマントラ充電開始しちゃいます! ──

「きもちわる。なんでスマフォとおしゃべりしてんの」

隣で『少女地獄』の機械的な音声を聞いていた巡音花音がぼくに嫌悪感を露わにした表情で話し掛けてくる。

さっきより少しだけ距離が縮まったような気がしてドキドキする。

「たぶんすぐに登校拒否児には出会えると思うよ。 ちょっとだけ嫌な予感はするんだけどさ」

「あっそ。『イド』の中での夢の試練はたぶん大河がいった通りかな。つつがなく君も突破ね、階段を登る前に確かめておいて正解だったかな」

どうやら巡音もはぐれている間に同じような認識と知覚を周遊していたらしい。

「どうやら死んだ二人の出席番号は合わせると必ず54になっている。百舌という男はトランプでも裏返しにして神経衰弱でもやるつもりかな」

「何それ、ただの偶然。そういう訳じゃアなさそうだね」

けれど、本当に、唯の偶然の結果として、彼らに与えられた出席番号のせいで、彼らはこのCRASSと呼ばれる世界に編入してきたのだろうか。

何故、彼らが二人揃って死を享受する羽目になったのか、どうして百舌の夢の世界であるイドの中で彼らの姿がそっくりそのまま蘇りぼくの目の前に現れているのか、まるで神様の悪戯みたいにたまたま出席番号が素数であったという理由だけで彼らは誰かの生贄になり、この場所でぼくの進むべき道を教えようとしてくれた。

与えられた課題の重さから逃げる為の言い訳を探しながら一つ一つ順を追って紐解くようにして時田学と宝生院真那の出席番号を頭の中で数え上げる。

ぼくの中を駆け巡る血液が熱く燃えたぎるのを感じる。

「『少女地獄』、23と31を二進法で変換してみてくれ」

「10111と11111です」

「そうか。じゃあ日本の図書館分類法101と111に相当するカテゴリーはなんだい」

「哲学理論と形而上学です」

「では中央図書館にある哲学理論と形而上学の本棚はどこになる」

「三階へあがった階段から見て左奥、窓際の奥から二つ目、ちょうど貴重文献保管庫入り口が見えるあたりです」

「わかった。巡音、三階だ。彼はそこにいる、早くここから出よう、後のことはそこで考えるしかない」

ぼくら二人は階段へと戻り、三階へとあがる。

「どうして彼らの指している場所が三階にあるとわかったの?」

「二進法に変換してみたのはただの勘。後はこの場所にある数字の羅列が当てはまる可能性を類推してみただけだよ。図書館のような公的な場所はほとんどの場合数字によって管理されている。彼らが素数であったという事実だけでなんとか推測する事まで辿り着くことは出来たけれど本の内容まではわからないよ、確かに」

「魔術組成式は完璧に記憶しているけれど数学は実は結構苦手。もっと感情的に生きていたいなって思ってしまうから。まあ、けど、いてもらってよかったわ」

三階にあがり、『少女地獄』が案内した本棚へ行き、まずは哲学理論。101の本棚にある十一番目の本を見つける。

「──Gilles Deleuze=襞──。まずはこの本だね。この本は目次だけよんですぐ閉じたよ」

本棚から『襞』を引っ張り出して手に取る。

図書分類法上の11というカテゴリーである形而上学は二つ隣の本棚のようだ。

巡音に『襞』を手渡して、ぼくは形而上学の分類の中から十一番目の本を見つける。

運命を疎ましく感じた時に見たいと思う本だとタイトルをみてそう思った。

「──純粋理性批判 カント-マンガで読破──、つぎはこれだ。暇つぶしに一度読んだよ。全く何を言っているのか理解出来なかった」

二人で一つずつの本を手に持って示し合わせたように同じことを考えているのを察知してほとんど同時に思っていたことを伝える。

『五十四ページ目を開こう!』

そうやって巡音とぼくはそれぞれの本の五十四ページ目を開くと二人の本は光り輝きだしてぼくらの手から離れて光の塊になると、一つつの小さな鍵になる。

ぼくはその鍵を手にしてそれがどこの鍵であるのかを直感的に判断する。

「『貴重文献保管庫』。つまり君たち魔術科の人間たちにとって『いにしえ』と呼ばれる術式が記録された文献が数多く保管されている場所だったね。

中に入ろう。ここから出る手段もあるはずだ」

そうやってぼくと巡音は貴重文献保管庫の扉に先ほど手に入れた鍵を突き刺して中に入る。

ギギギィっと木製の扉がゆっくり開いてぼくらを中に導くと灰色の空間はぼくらが見ている景色ごと完全な暗闇に突然包まれてしまう。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?