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07. A White Deep Morning

学校の正門前には既に芹沢さんが立っている、セミロングの髪が夏の訪れを感じる爽やかな風で舞い上がると、やはりというか、彼女は左眼にいつものように眼帯はしていなかった、彼女のことを初めてちゃんと見たような気がする。

「おはよう、芹沢さん。今日は眼帯をつけていないんだね、初めて君の素顔を見たと思う」

ニッコリと笑った芹澤さんの左眼には光の宿らない義眼が嵌め込められていてそこにぼくにあるような眼球が存在していないことを改めて気付かされる。

「うん。たぶん人前でこの眼帯をつけなかったのは君が初めてだと思う。今日はその方がいいと思って」

切り出そうか迷った挙句、君を陰惨で陰鬱で悲惨な事件に巻き込んだのはぼくの伯父なのだという事実を伝えようとする。

「ぼくの父は婿養子だからぼくの苗字の佐々木は母方の名前なんだ。そして、父の旧姓は、サイトウっていう。たぶん、このことだよね」

少しだけびっくりした顔をする芹沢さん。

きっと責め立てる口実を先に防御されて戸惑ったのだろう、自分の卑怯な手口に嫌気がさしてしまう。

心臓の音がばくばくと鳴り響いている。

「そうか。佐々木くんのお父さんのお兄さんか。会ったことはあるの?」

戸惑いと震えを抑えるようにして言葉を前に出す、たぶん逃げるという選択肢は目の前にはない気がしている。

「うん、最後にあったのは十歳の時。プロカメラマンとして海外に渡ってとても有名になって、けれど、最後は落ちぶれてお酒や薬でまともな精神状態ではないからって母は接触させるのをとても嫌がっていたから。父は、父だけは伯父と最後まで連絡を取り合っていた肉親なんだ。だから、ぼくも父に連れられて」

「そう。私はね、小さな頃は子役モデルの事務所にいたの。カメラマンとしてはやっぱり超一流だなって当時所属していた社長がよく褒めていたと思う」

芹沢さんの中にあってしかるべき怒りや悲しみやぼくにぶつけるべき感情は覆い隠されているのが左の義眼なのかそれとも置いてきた眼帯にあるのかぼくには何も見えない。

怖くて手が震えそうでぎゅっと両手を握り締める。

「えっと、そう──未来が見えることを恥じることはない、馬鹿どもが過去ばかりを覗いて行き場を失っているだけだ──伯父は父と会いにいくとよくこう言っていた。子供の頃はよくわからない言葉だったし、今もよくわかっていないんだと思う」

ほんの少しだけ空気が汚れて、芹沢さんは左眼に右手の人差し指と親指を差し込んで左の眼球を右手の平に乗せる。

アクリル製の眼球の黒眼がまるでぼくを見つめて追い込もうとしているように感じてしまう。

「チルドレ☆ンって知ってるよね、神人科にいる私たちを作り直した人達。私はね、その人たちと少しだけコンタクトが取れるの。あなたの伯父が私に植えつけた悪魔たちの計画の代償として私に、『聞こえない眼』を与えてくれたんだよ」

まるで予想をしていなかった彼女の答えとぷにぷにと柔らかなそうな眼球にすっかり弛緩してころころと右手の平で転がる義眼につい少しだけ不謹慎な笑顔が溢れてしまう。「え?あの?チルドレ☆ン? 悪魔? 聞こえない眼?」

状況を正確に把握出来ないままぴかりと機械的な青い光と赤い光が交互にアクリルの眼帯で点滅したのを確認してはっと我に帰る。

芹沢さんはそのまま義眼を左の眼孔に戻す。

ぼくはさっきまで強張っていた身体から途端に力が抜けいく。

「例えば、青い信号を渡るとき、右側からブレーキを緩めない大型トラックの存在を知らせる小さな呼吸が見えてしまう、例えば、壊れた人形みたいに空を仰ぐ女の子の姿を何時にどこで見つけることが出来るか聞こえてしまう、例えば、佐々木くんはとても驚いて腰を抜かして地面にへたり込んでしまう」

へなへなと膝の力が抜けてその場に座り込んでしまった時に、はたと気付く。

上を向くと、芹沢さんがにっこりと微笑む。

「『聞こえない眼』。不思議な言葉だけどぼくが思っていたことと全然違う答えで少しだけ安心してしまった」

助けられてしまう前になんとかぼくは脚に力をいれて立ち上がる。

時間はそろそろ七時半になるところでたぶんそろそろ誰か登校してくる時間だ。

「神人科に機械設備室という場所があるの。許可を得た生徒しか入ることが出来ない神人の塔へ入りたい。こんなことを頼める男の子が佐々木君しかいないんだ。お願い! 協力してくれないかな!」

神人たちは神の思考と呼ばれるようなものをインストールされたいわば神の生き写しといってもいい存在。

うん、もしかしたら神様っていうのは本当にいるのかもしれない。

ぼくが選択した運命にはところどころで神様たちが笑っているような気がする。

「もちろん! 芹沢さんのお願いなら喜んで! 神人の塔へはたしか理事長の許可がいるんだよね。管理棟にいってみるかい?」

「ありがとう。授業が始まる前だけど大丈夫かな。私は主治医の先生の許可があるからすんなり入れると思う。後は佐々木君の随伴の許可が得られるかどうかかな」

正門から見て左側、第一グラウンドの右脇にある三階建の管理棟に『七星学園』理事長"七星倫太郎"の理事長室がある。

普段ぼくらが彼の顔を見るのは年に一度の『どうとくのじかん』で、拝見できるぐらいのものだろう。

一代にしてこの学園を築きあげ、普通科だけではなく神人科、魔術科双方にとっても理想的な学園を作り上げた手腕はもはや伝説と化している。

「とにかく管理棟に行ってみよう。理事長にはぼくからも頼んでみるよ」

管理棟の入り口の自動ドアから入ると観葉植物で囲まれた右手に談笑スペースがありその奥には学園に関する各種手続きをする窓口がある。

正面のエレベーターに乗って三階を押して滅多に行くことのない理事長室へ向かう。

芹沢さんの左側に立つと眼帯をしていない左眼が見えて作り物の眼球が少しだけぼくに不安を与える。

「今日は理事長ももう学校に来ていると思う」

エレベーターを出ると木製の立派な扉がありコンコンと芹沢さんはノックする。

「どうぞ。入りなさい」

扉を開けて理事長室に入ると中は三十畳ほどの大きな部屋で奥の机の向こうの椅子に腰掛けた五十代ほどの理事長の姿が目に入る。

「御茶ノ水医大の安倍先生から神人科棟への入場願い届けを渡されました。入場許可を頂きたいです」

芹沢さんは理事長のところまで歩いていき、白いA4の用紙を手渡す。

理事長は手渡された紙に文章に目を通して芹沢さんの方を向いた後にちらりとぼくの方にも目を向ける。

「わかりました。神人棟へは生徒番号の登録が必要です。お昼までには済ませておきましょう。一階の窓口に生徒証を提示してください。それでそちらの生徒は?」

芹沢さんは後ろを振り向いてぼくの顔を確認してから再び前を向き理事長の質問に答える。

「はい、機械設備室に行きたいのですが、神人棟は普段立ち入ることのない場所の上、初めてのことなので随伴をお願いしたいと思います。ご了承頂けませんか?」

理事長は目を細めてぼくをみて──そういうことか、君はこんな先まで見通していたのだな──と独り言を呟くと、顎をさすり少しだけ沈黙すると、ゆっくりと口を開く。

「本来ならば許可出来ることではありませんが、今回は安倍先生の願届けも受領しています。特例として入場を許可しましょう。二人とも生徒証の他に識別番号も準備していますか?」

識別番号とは『大和』居住区に在住している個体識別番号。

一応、学生証に加えてI.D.カードを持ち歩いているので問題はなさそうだ。

「問題ありません。ありがとうございます。ではよろしくお願いします」

芹沢さんは理事長にお辞儀をしてその場を立ち去ろうと後ろを振り向き、ぼくに目配せをする。

「あぁ。そういえば今週は3-C、西田死織が神人棟で身体測定を受けているはずです。特に問題はないはずだが、一応耳に入れておいてください」

ぼくは学園でもっとも有名な生徒の名前を耳にし、思わず口を開ける。

「西田死織?」

理事長は少しだけ難しい顔をしてぼくに説明をしてくれる。

「普通科一年生にしてチルドレ☆ンに選抜された異例中の異例、そして史上初めてチルドレ☆ンから帰還した特例中の特例、それが彼女、西田死織です。おそらく彼女がチルドレ☆ンで見てきた悪夢とも呼ぶべき体験は、我々が想像できうる限り領域を遥かに超えているのでしょう。彼女がこの学園で入学当初持っていた瞳の光は最初に私たちが見たものとは全く異質なものに変わってしまった。彼女は、もう──ヒト──とは呼べなくなってしまったのかもしれない。もちろん、うちの学園の大切な生徒の一人であることに変わりはないですが。つい余計な話をしてしまいましたね」

彼女の名前をこの学園にいて知らないものは一人もいない。それほどに彼女の存在は普通科、魔術科共々に際立っている。

なぜ彼女が帰還出来たのかも分からず彼女自身も決して口を割らないそうだ。

ぼくも軽くお辞儀をしてそのまま芹沢さんと二人で理事長室を出る。

エレベーターに乗り一階の窓口で、理事長に言われたように手続きをし、芹沢さんと一緒に2-Bの教室へ戻る。

「これでお昼休みには神人棟に入れるようになっていると思う。付き合わせちゃってごめんね。今度何かお礼させて」

そういってお互いの席に着く頃には始業のチャイムがなり、朝起きたことと伯父のこと、芹沢さんの小学生の時のこと、眼帯をしていない芹沢さんにクラスメイトが向ける視線のことなどを考えていたら、一限目も二時限目も三時限目もあっという間に終わり授業の内容はほとんど聞いていなかった。

四時限目の国語の授業で担当の梶川が上の空であることを注意するまでぼくはまるで現実の外側にいるような気分で過ごし、四限終業のチャイムがなってやっと目が覚めて芹沢さんが振り向く顔をみて頭が回り始めた。

「よし。それじゃあさっそく神人棟へ行こうか。お腹は空いている?」

芹沢さんお手製のサンドイッチにはタマゴとハムが丁寧に挟んである。

ぼくは一つ取ってそのまま口の中に放り込む。

「うぐ。いごう」

口の中に放り込んだサンドイッチの味、一生忘れるもんかと誓って席を立つ。

神人棟へは普通科棟一階、北西の入り口から入場することになる。

「とにかくまずはクリーンルーム。隅々まで見られちゃうらしいよ」

芹沢さんが気恥ずかしそうに笑う。

クリーンルームでは全裸になり全身をくまなく消毒される。

それほどまでに神人棟への入場は厳重で徹底的に管理されている。

一階の階段を降りたところで芹沢さんがもう一つサンドイッチを手渡してくれる。

次はツナサンドのようだ。

「左眼から楽しいお知らせ。私たちの入場を歓迎するって。まるで吸血鬼のお城に入るみたいでドキドキするね」

何が聞こえたのかそれとも得体の知れない何かが見えたのか芹沢さんの不思議なメッセージはぼくにまたしても新しい世界の到来を告げる。

『聞こえない眼』、まるで遠い宇宙の彼方からやってきた天使のように感じてしまう。

──ニンシキバンゴウヲ ニュウリョク シテクダサイ──

機械的な音声がデジタル制御された扉から聞こえてくる。

芹沢さんの手元には数字を一つ一つ打刻する為の制御盤のようなものがあり、携帯に届いているはずの認識番号を入力し、ぼくも後に続いて入力する。

機械的な扉を縁どるように電気的な光が走り回りガスが抜けるような音とともに扉が開いていく。

──ダンセイハ ヒダリニ。ジョセイハ ミギニススミ ガイダンスニ シタガイ ゼンシンショウドクヲ カンリョウシテクダサイ──

デジタル音声に案内されるように更衣室のような空間に辿り着くと、着衣を脱ぎ指定の場所に置くように指示をされる。

速やかに上下の制服と下着を脱いで簡単に畳んで引き出しのような場所に置くと壁の中にしまい込まれる。

ぼくはそのまま全裸になり、脱衣室と思しき空間を出て真っ白で何一つ余分なものがないクリーンルームへ入場すると、壁からはシャワー装置のようなものが現れて、全身を適切な温度のシャワーに含まれる消毒液でくまなく洗浄される。

クリーンルームには同時にカメラが何台か配置されているようで、シャワー装置と一緒に現れるとまるで生き物のように動き回りぼくの様子を隅々まで監視しているようだ。

洗浄とカメラによるチェックを徹底的に終えるとクリーンルームを抜けてみると、また更衣室のような空間に辿り着き先程脱いだ制服が今度は綺麗に折り畳まれて用意されているので全裸の状態をいち早く脱する為に急いで着衣を実行する。

入ってきた脱衣室とは違うおそらく神人棟側の脱衣室で準備を終えると前方の壁付近についていたランプが赤から緑へと変わり、自動ドアの扉が解錠されたのでぼくは脱衣室を退場する。

扉の向こう側に抜けると芹沢さんもほぼ同じタイミングで出てきたようで軽く“やあ”と挨拶をすると、ぼくらの前方に神人棟の厳重さが伺えるような次の扉があり、クリーンルームに入る前と同じようにして認証番号をお互いに入力し初めて訪れる”チルドレン”の学び舎へ入場する。

「初めてきたよ、芹沢さん。どうやら目の前にいるのが彼ら『コピーズ』らしい。神人たちは皆同じ顔をしている。寸分違わぬ姿、寸分違わぬ顔、何かの夢を見ているようだよ」

入場した棟にはまるでぼくらが来るのを知っていたかのように前髪を綺麗に整えられた詰襟の男子高校生が複数名いて皆全く同じ顔と全く同じ姿をしている。

彼らはぼくらが入場した瞬間に一斉にこちらを見つめてくる。

今まで感じたことのないような恐怖感が全身を巡りぞくぞくっとした寒気が襲う。

けれど当然ながら攻撃的意志のようなものは感じられない。

「新しい人が来たって騒いでいる。聞こえてきたのはこの人たちの声かな。ちょっと違う気がする。とにかく機械設備室だね。二階の中央、たぶん軌道エレベータの入り口付近にあると思う」

軌道エレベータ、つまり『大和』艦内から宇宙空間まで貫いてチルドレ☆ンの住んでいる宇宙船から直接艦内に降りてくることが出来るぼくらが神人の塔と呼ぶもの。

だから普段は神人たちと接触する機会はないけれど、実際に神人たちが『大和』艦内へ降りてきているのだと視認することが出来るという意味で、ぼくらは『神』と呼ばれる古代に旧世代の人類が産み出した抽象的概念が具現化された形を視認することが出来るのだと言える。

まさに奇跡そのものをぼくらは神人の塔を見て実感することが出来るのだ。

そして、この学園に神人として降りてきているのはヒューマノイドインターフェースにインストールされたチルドレ☆ンの思念体『コピーズ』であるとぼくらは学園規範によって先生たちからは教えられている。

つまりは、実際に宇宙空間に存在しているであろう『神』がどんな形をしているのかまでは、やはりぼくらと同じ形であるのかを知る由もないのだ。

「移動も動く歩道、上階へもエレベーターのみ。この棟はぼくらが通う棟とは何もかもが違うのだね。芹沢さんも初めて?」

コンクリートではなく特別な金属製で出来た神人棟校舎内をあちこち眺めながらエレベータ前まで続いているベルトコンベア式の歩道を使って移動する。

棟内のあちらこちらで機械的なノイズがまるで息づくように不規則に鳴り響いている。

機械で出来た灰色の壁に光のようなものが点滅する。

「うん。私も初めて。でも見たことはあると思う」

意味深にぼくの質問に答える芹沢さんとの距離を少しだけ遠く感じてしまった。

エレベータの前で停止した動く歩道を降り上階への移動するボタンを押すとエレベーター内部の光が点灯しぼくらを歓迎する。

エレベータ内部からウィィーンとカメラが飛び出てくるとぼくら二人の動きを見つめ始めレンズ下の緑色のランプが赤く点灯する。

まるで神人棟全体が一つの意志に基づいて生物のように蠢いている気がする。

「左側が軌道エレベータの入り口、こっちには、私たちは用がないかな。右側が機械設備室だからプリブノーボックスがあると思うんだけど。おかしいな、全然何も聞こえない」

機械設備室の扉の右側には神人棟入り口で登録した指紋と虹彩による認証ロックがかけられている。

「念の為、ぼくの左眼と右手も登録しておいて良かった、中に入ろう。左眼しか登録出来ないなんて何かの意地悪をぼくたちにしたいのかな。神人たちは」

あ。

と気付いたぼくは何気なく芹沢さんの左眼が義眼であるということにさりげなく触れてしまっていた。

彼女はどんな風に感じたんだろう。

とにかく急いで中に入る為にぼくは左眼と右手を扉に備え付けられた機器へとかざすと目の前の扉からまた音声が聞こえる。

今度はさっきよりもっと人間的な言葉を話すけれど、やはり体温の宿らない声から機械が話していると理解できる。

『識別番号10359864及び10405656、佐々木和人、芹沢美沙を確認。入場を許可します』

扉上方に設置された機器から赤いレーザー光線が出力される。

ぼくら二人の身体を象るようにして全身をレーザー光線によってスキャニングされると目の前の壁に光が走り回りプシュッーというガスが抜ける音がして扉が開く。

「芹沢さん、ぼくらはアニメの中にでも迎え入れられたのだろうか。まるで見たことのない機器で埋め尽くされているよ」

ピッ、ピッ、ジジジ、とあちこちで何かを測定するようにグラフや計測機器のようなものが動いている。

ぼくらが入ると同時に機器たちが騒ぎ始めるように慌ただしく何かの数値を記録しているようできっと機械たちにとってとても珍しい現象が起きているのかもしれない。

室内の正面中央に巨大なモニターがあり、明るく発光するモニターの目の前には、すらりと細身で長身に赤く染められたシャギーがかったショートヘアの女性が立っている。

「誰だろう。先にここへ来ている人がいたみたい。それにプリブノーボックスも見当たらないね」

芹沢さんは機械たちに導かれるようにぼくを案内したけれど目的の装置が見当たらない為か、少しだけ不安を漏らす。

中央には周期的に色の変わる球体が表示されたモニターの前で、『七星学園』高等部3-C、出席番号二十七番、西田死織が青いチェックのスカート、紺のソックス、薄いピンクのワイシャツを着て立っている。

姿形もさることながら、彼女の赤いシャギーかかったショートヘアはとても印象的に映る。

巨大なモニターのサイドから触手のような配線が伸びてくるとまるで生き物のように動き回り彼女の頭部を取り囲むようにして包み込む。

『コンタクト。識別番号1110101。確認。a10神経接続開始』

何か見知らぬ言語でも話すようにして巨大モニターに映し出された三次元の球体が不規則に形を変えたり色を変えたりして西田死織を照らし出している。

彼女はモニターに映し出された映像が再び薄いブルーの球体へと戻るのを確認すると話し始める。

「ガイア周辺の古代種を壊滅させたんやからこっちに戻ってきたっていうに、古代種はうちらの抜け殻やったってわけか。天使に捕まらんよーに帰ってきてくれって言われてもうちはもうそっちのI.D.は取り除いてしまっとる。『ガイア』に戻る為の約束やったからな。簡単には帰ってこい言われても困るわ」

西田死織が話し終わると、今度は巨大モニターに『七星学園』をおそらく衛星軌道上から撮影したと思われる衛星写真と『大和』を宇宙空間上で記録撮影したと思しき映像が始まりだす。

しばらくフォールド級艦大和が航行する姿が表示された後、白い大きな光が画面いっぱいを包みこんでモニターは一瞬だけホワイトアウトするけれど、すぐに元に戻りまた宇宙船の様子が映し出されると、画面上に白い閃光が稲妻のように走り、映像はそこでランダムに崩れて途切れてしまう。

「『ガイア』を宇宙から見られることなんて滅多にないよね。私たちは宇宙空間を本当に旅している」

「そう。アポロは月に辿りついていないってことだね、きっと」

さりげなく芹沢さんと話ができていること自体がぼくにはまるで奇跡みたいに感じられてしまうけれど、うっかり調子に乗ってしまわないように自分を律する。

「珍しいこともあるもんや。『白い閃光』が遠宇宙やなく艦隊周辺にもどってきているようやな。まぁ、でもこっちでもその影響は確認出来とる。深愛だけやなく、何人かはその変化にも気付イとるはずや。そうやろ、モノアイ」

そうやって、西田がモニターに向かって話し終わると、急にぼくたちの方を振り返り、彼女の視線の先にある芹沢さんの姿を確認する。

「あなたが西田死織さん。理事長と、それから安倍先生からもお話を伺っています」

巨大なモニターは巨大な眼球を映し出しギョロギョロと空間内を見渡した後にぴったりと芹沢さんの義眼である左眼に照準を合わせるようにして止まる。

ぼくは物語の外側にいるのかそれとも芹沢さんの傍でナイトになり損ねているのかわからないけれど、この空間の異様さと西田死織の雰囲気に圧倒されて震えが止まらなくなりそうでぐいっと歯を噛み締めてぎゅっと拳を握り締める。

芹沢さんが質問に答えるように軽く頷くと西田死織はまた巨大モニターのほうを向き直る。

「そうゆうことや。あんたらが心配しとることはおきへんやろうし、もしかしたらいっちゃン欲しがっとった"進化の可能性"なんてけったいなものを記録出来るかもしれへんで」

巨大なモニターは触手のような黒い配線で西田死織の全身を包み込むと、黄色く淡い光を帯びて彼女のいる周辺を照らし出す。

モニターには『S.A.I.』と黒い画面に白い文字で表示され、微細なノイズで画面が接触不良を起こしたように乱れている。

また一面が黒く染まり乱数配列が加速度的に表示され画面に羅列されるとゆっくりと触手は光を失いながら西田死織から離れ出してモニターの裏側にしまい込まれる。

『信号を確認します。識別子に異常なし。コンタクト解除』

モニターは冷たい温度のない声を発するとプツンッと通信を解除して電源が自動的に切れてしまう。

空間の機器の騒めきもおさまっていき、ピッー、ピッー、ピッー、と電子変調されていない純粋なサイン音が鳴り響いている。

西田死織はパキパキと肩をまわして骨を鳴らすと後ろを振り返ってぼくら二人をまっすぐ見つめる。

「神人の塔に君らみたいな普通のやつが来るいうのは珍しいなぁ。ここはうち、みたいなやつしかけーへん。100/1秒の空間。そういう時間の中を過ごす奴らの場所やってことがワカットルのやったらええんとちゃうかなぁ、『モノアイ』」

まるでぼくら二人がここに来るのをわかっていたように白々しく西田死織は話しかけると、そのまま部屋を出て行こうとぼくには見向きをせず通り過ぎる。

「そや。プリブノーボックスは機械設備室やなくて三階の機械開発室や。神人棟は魔術科棟の井戸の水が溢れかえりそうでフル稼働中、大忙しみたいやで。まぁ、みんな同じ顔やけどナ」

そういうと、西田死織は後ろ向きで手をあげて別れの挨拶を告げると機械設備室から出て姿を消してしまう。

彼女が異例中の異例、特例中の特例と言われる訳がなんとなく分かった気がしてしまった。

「ここじゃなかったみたいだね。けど、私がすべきこともちゃんと分かったような気がする。西田先輩の言う通りなら時間も余裕がありそう。三階に行こう」

芹沢さんの後をついていくしかないぼくはそのまま彼女と一緒に機械設備室を出ると、まるでどこか遠い世界の秘密基地のような神人棟内部を移動して再びエレベーターへと向かう。

途中、すれ違う生徒はいるけれど、やはりみな同じ顔をしていて、平坦で特徴もない見た目の男性型ヒューマノイドインターフェースは笑顔ひとつ溢すことなく神人棟を構成する部品のように動きながらベルトコンベア式の歩道を移動している。

機械設備室から機械開発室へ向かう途中で芹沢さんは自分の少女時代に起きたこととこの建物の関係性を丁寧に話し始めた。

「私にはこの神人棟を動かしているシステムのようなものとコンタクトが出来るみたいなんだ。たぶんそれがこの左眼の視力と呼んでもいいのかもしれない」

「ぼくには確かにその情報を聞くことが出来ないってことだね。けれど、たしかにこの棟全体が一つの生き物のように統一した意志で動いているように感じる」

「私のことを手術した外科医さんがこの義眼を作ったのだと思う。銀髪のカメラマン、つまり君の伯父さんからレイプをされて大きな手術をして、気が付いたら私の左眼は"聞こえない眼"になっていた。どうやって何もかもを起きたことを受け入れていいのかわからなかったけれど、私の世界は確かに変わってしまっていたんだ」

彼女の率直で起きたことをありのまま話す態度にぼくはどう反応していいのかわかわらない。

ここには同情も恋慕もまったく入る余地がないんだとピー、ピー、ピーと規則的に鳴る機械音にそんな風に思い込まされる。

同じ顔をした神人が少しだけ表情を崩したような気がした。

三階でエレベーターを降りた時に見かけた神人はぼくらなど気にもかけない。

二階とほぼ同じ作りの三階を移動して機械開発室の前でまた同じようにスキャニングされた後にぼくらは内部へとゆっくりと脚を踏み入れる。

「ここが機械開発室かな。ぼくの左眼と右手が役に立てて嬉しいよ、芹沢さん」

機械開発室は一面を液体呼吸溶液で満たされた水槽のようなもので囲まれている。

水槽の内部にはさっきベルトコンベア式の歩道ですれ違った神人棟と同じ形の人型が何体も何十体も液体の中で心地よさそうな眠りにつくように浮いていてその光景をみて思わずぼくら二人は息を呑んで固まってしまう。

ぶくぶくと口元から泡が出ているということは、彼らは生命活動を維持しているということだろうか。

「神人。神の人。ぼくらより優れた人間。けれどすべて同じ形をしている。彼らには思念体がインストールされていないのかな」

「そう。彼らはたぶん休眠状態。だけど声は小さいけれど聞こえるの。はやく外に出たいって。システムの一部になりたがっている、そんな感じがする」

「だとすると個体それぞれにもきちんと意識のようなものは機能していて夢を見ているような状態かな」

「きっと宇宙を飛ぶ夢かな。宇宙船に住んでいるチルドレ☆ンの思念体に早く迎えに来てって伝えているのかもしれない」

そんなことを話しながら開発室を見渡した後に部屋の中央に目を向けると大きな円柱型の水槽があり何も入っていないけれどオレンジ色の液体の底の方がぶくぶくと泡を立てている。

ぼくらは円柱型の水槽に近づいて下部にある金属感知盤を発見する。

金属感知盤には10405656と刻印されている。

神人棟に入る際に入力したはずの芹沢さんの個体識別番号が刻まれている。

「やっぱり私を呼んでいたのはここなんだ」

芹沢さんは左の義眼を左の眼孔から外し右手の平に乗せると、彼女は金属感知盤に左手を合わせると円柱内部で何かの機械の作動する音が始まりだして、水槽の下部からオレンジ色のクッション素材で出来た台座のようなものが現れると、その上に芹沢さんはまるで予めそうすべきであることを知っていたようにして左眼の義眼をそっと置く。

台座が元に戻ると水槽下部に羽状の蓋がされていてゆっくりと開くと十センチほどの黒い穴から義眼が水槽中央まで浮き始め三十センチほど上昇すると、ぶくぶくと供給される泡の量が増え始めて水槽内を特殊な気体で満たしていく。

ゆっくりと細かい泡が義眼の周りを包み始めていくと、オレンジ色の液体を浮いているアクリル製の義眼から触手のような神経組織が復元し始める。

「私の眼! 生きているね! ちゃんと動いている!」

芹沢さんは円柱状の水槽に張り付くようにして義眼の進化と呼ぶべき変化を確認するとパッとぼくの方を振り向いて本当に嬉しそうな笑顔で僕の方をみる。

こんな時どんな顔をして彼女の気持ちに応えてあげればいいのかわからない。

時間が気になりスマートフォンで時計を確認してみると、十二時十六分。

体感時間としては着いてから四十分ほどは立っているはずだが、やはり100/1時間というのは本当のようで、神人棟内部と外の世界では時間の進み方が違うらしい。

けれど、長居は無用だ、時間感覚の歪みは肉体的負荷や他の副次的効果だってあるはずだ。

何もかも都合よくぼくらに合わせてこの神人棟が動いてくれるとは思わない。

「芹沢さんの一部が彼らと融合しようとしているんだね。機械生命論という言葉を思い出したよ。無機物と有機物の本質的な違いなんて確かに神様にしかきっと分からない」

うねうねと動き回る視神経と呼ぶべきおそらく人工的な回路はそのまま眼球の中に吸収されるように吸い込まれて外見上は元のアクリル製の義眼へと変化する。

オレンジ色の液体の中で呼吸する義眼は自分の還るべき場所を探すようにして芹沢さんの方を向いてしばらくじっと動かず見つめ合っている。

「これからも一緒に世界を見つめてくれるんだね。私が受け入れるべき未来。もうちゃんと決めたよ」

そう芹沢さんが呟くと急激にオレンジ色の液体呼吸溶液内に酸素量が増加して細やかな気泡で水槽が満たされる。

同時にゆっくりと円柱内の水位が減っていき、芹沢さんの義眼はそのまま水槽下部の黒い穴の中へと吸い込まれていく。

『識別番号10405656に『ゼロシステム』を発動。『モノアイ』起動します』

円柱下部から台座が引き出されると芹沢さんの生まれ変わった義眼が見えてくる。

まるで子宮から産まれ出てきた胎児のようにしてぼくたちに新しい姿を披露する。

「おはよう。やっと会えたね」

芹沢さんは右手で新しく産まれた眼球を受け取ると優しくキスをして、左手の人差し指と親指で左の眼孔に義眼を埋め込む。

「この為にぼくを連れてきたんだね。よく似合っていると思う、なんて言っていいかはわからないけれど、本当にそう思う」

たぶん、芹沢さん自身もぼく自身も初めて見せ合う優しい笑顔で向かい合う。

スマートフォンの時間は十二時十七分になっている、100/1の時間はぼくら二人の溜息になって機械開発室という空間に溶け込んでいく。

周囲を囲んでいる液体呼吸溶液で浮かんでいる皆同じ顔をしている素体たちが一斉に目を覚ましてぼくらを見つめ始めた。

「さぁ、先を急ごう。私たちはここに長居してはいけないんだと思う。教室へ帰ろう!」

芹沢さんは右手をぼくに突き出す。

ぼくはしっかりと握り締め返す。

そのまま二人で機械開発室を出る。

ベルトコンベア式で動く歩道にはもう誰もいなくなっていて機械たちは寝静まってしまったみたいだ。

ゴム製の床が地面を滑り続ける工場のような音だけが響き渡る。

ぼくら二人は何も言わずにただ黙って少しだけ残っている不安感をどうにかして誤魔化そうと手を繋いでベルトコンベア式の歩道に乗りエレベーターで一階まで降りていくと静けさを維持していた神人棟の機器に光が走り回る。

「また急に機械が動き出したみたいだね、西田先輩の言っていた井戸のこととなにか関係があるのかな」

そうぼくはなんとなく呟くと芹沢さんはぼくの手を離して蹲る。

左眼を抑えて少しだけ辛そうだ。

もしかしたらまだ彼女の左眼はまだしっかりと身体に馴染んでいないのかもしれない。

「ごめん。佐々木君、外に出るのはちょっと待ってもらってもいいかな。とても大きな声がするんだ。左眼の奥がとても熱くて何か変な感じ」

「大丈夫かな、芹沢さん。たぶん時間にはまだだいぶ余裕もあるから気にしないで。まだ左眼が慣れていないんだよ」

「ううん。誰かが呼んでいる気がするんだよ。大きな声で"聞こえない眼"に直接話しかけてくる。神人棟の教室からかな。同じ顔をした素体たちが私を捕まえる気なのかもしれない」

ぼくはあたりを見回してみるけれど神人棟の教室はまるで誰もいないみたいに静まり返っていて光だけが走り回っている。

芹沢さんはぼくには聞こえない声を掴み取ろうとして表情を

「違う。地下から声がする。ついてきて!」

動く歩道の手摺を飛び越えて反対側に芹沢さんは移動すると足早にエレベーターの方へ向かう。ぼくも後を追い、二人で今度は下の階を案内するボタンを押す。

エレベーターの階数ボタンには3F、2F、1F、B1F、B2FがあるけれどB2Fは押しても点灯せずB1Fが点灯する。

「どんな風に呼んでいるの?」

「早く来てって。天使が来てしまうからって」

エレベーターを降りるとB1Fはサーバーが大量に保管されていてたくさんのデータを処理している。

芹沢さんの導くままにサーバールームへ移動するとエレベーターから向かって右奥に灰色の扉があり、その両側に風神と雷神を模した像が鎮座している。

「たぶんあそこだ。彼らの向こうから声がする」

扉の近くまで行くと起動音がして風神と雷神の目が光りだす。

──お前たちはここに何をしに来た──

「私のことを呼んでいます」

──では得るものはなんだ──

「既に手渡されています」

──ではどう使う──

「記録し保存して拡散します」

──私たちはお前を敬うことはない。ゆめゆめ覚悟のこと、邂逅しろ──

扉は上部に吸い込まれて収納されて部屋の中に入れるようになる。

二人でゆっくりと脚を進めると中には高電圧の電流で閉鎖された空間があり手脚を拘束され口腔部と左顔面を覆われた人間と思しきものが見える。

「君だね、私たちのことを呼んでいたのは。彼に用があるんだね?」

え? と一瞬だけ戸惑うけれど、芹沢さんは彼に近づくように目で合図をする。

──オマエは月を詠み続ける必要がある。オマエは太陽を崇め続ける必要がある。オマエは決して手を離してはいけない──

「君は誰なんだい。どうしてぼくのことを知っているんだ」

──ワタシは『類』だ。オマエが原型を作る手助けをしよう──

そう、頭の中に声が聞こえてきた瞬間に電流がぼくを襲い全身を包む。

鋭い痛みが走り回ってぼくは蹲る。

「佐々木君!」

芹沢さんの声がうっすらと聞こえる中で意識が遮断され暗闇に包まれる。

──零肆玖再起動します。『スサノオ』をダウンロード。ブレインフォーミング開始』

──ぼくは夢を見ている。遠い宇宙の何処かで迫りくる脅威とぼくはコクピットのようなものに乗り込み戦っている──

「佐々木君! 佐々木君! 目を覚ましてよ! 佐々木君!」

「ううう。芹沢さん?」

──これからはオマエの中でワタシは世界を作ろう──

頭の中で声がする。

目の前の拘束された人型は目を瞑って先程と変わりはない。

「よかった! 佐々木君! 目が覚めたんだね、私のせいでこんなことに! 本当にごめんね!」

「えっと、うん。たぶん大丈夫だと思う。ちょっと気を失ってしまっただけだよ。ここにきた理由はちゃんとあったみたい」

ぶるぶると頭を振って目を覚ましなんとか自分の力で立ち上がる。

「よかった、二十分近くも目を覚まさなかったんだよ。ここの時間の流れが外とは違うっていっても、もうそろそろお昼休みも終わっちゃう。急いで戻ろう!」

『類』の部屋から抜け出してサーバールームからエレベーターに乗り一階へ出て、神人棟から普通科棟に戻る出口へベルトコンベア式の歩道を走って戻る。

出口近くに辿り着くとぼくの頭の中で『類』の声がする。

──ありがとう。ここから出られる機会を作ってくれたようだ。これからはお前の剣となろう、いつでも呼び出すがいい──

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