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1. Somebody else did, and I wound up in here. Bad luck, I guess. It floats around, got to land on somebody. It was my turn, that’s all. I was in the path of the tornado.

しよう。確か、稔はちょうど立川の駐屯基地に在留中のはずだ。女人禁制、男の園へ迷わず入隊して童貞を貫く狐の士官候補生をからかいにいってやるとしよう」

まだ学生気分が抜けきっていないなとインターン先の上司、研究開発部人事課主任である戦極一樹ならばこの腑抜けた顔をみて言い放ちそうであるけれど、あいにく今日は土曜日でやつの嫌味なほど整った顔に何一つ言い返せない正論で一睡もせず自動応答型検索エンジンアプリケーション『ドグラマグラ』の開発していた酷いクマとぴょんと跳ね上がった寝癖に関するとても上等なブラックジョークで隙を突かれる必要もなく、うんざりするような悪夢で目覚めた休日にぴったりのEDMでテンションをあげて、先週立ち寄った高円寺のお気に入りの古着屋で購入したスケートパンクなTシャツを着てGAPのジーンズに脚を通すと、ちょうどいいタイミングでアースガルズが珍しくぼくに気を使って持ってきたアンクルソックスを履き、知り合いの音楽レーベルやインチキアーティスト供のステッカーが貼られた姿鏡でこの一年ほどの慣れない社会人生活のお蔭で十五キロほど痩せてしまったせいか妙にモテ度があがったとしか思えないルックスについついニヤケ笑いを溢してしまいながらも、テレビの脇に置かれた水色のショートヘアの白い天使にキスをしてくたびれた自主ブランドのパーカーを羽織って玄関まで出向いたタイミングでスマートフォンの呼び出し音が鳴り響く。

「今、和人殿は下駄箱の上に乗っている携帯型催淫スプレー『ロンギヌス』を手に取り、スターバックスコーヒーでストロベリードーナツとダークモカフラペチーノを前にして熱心に芥川賞受賞作品『五十四個の雨になる』を読み耽っている小生に対してどのようにすれば隣に座っている孤独でまだ東京に出たばかりの女子大生に声をかけようと思うかを思案中でござろう。生憎だが、小生は今スタバを出たところでござるよ。よほど勘が鈍っていると見えるでござるな」

「自衛官の癖に非番だからってスタバに出入りするような獣人を友達に持った覚えはないけれど、キャラメルマキアートを呑みながらMacBook Airで締め切り間近の作業に追われる女狐系デザイナーに現を抜かしていなくてよかった。『MGS』の連中の面倒は、今日はいいのかい?」

「あはは。小生のしごきに耐えきれずに三人ともさすがに弱音を吐くようになってきたでござるから今日のところは見逃しているでござる。なにしろ皇三門に関しては妙に色気付いてきてまったくつまらないJPopまで口ずさむようにまでなってしまったようでしばらく距離を置く必要があるでござるよ」

「何故だろう。一途でまっすぐな思いを貫く友人のことが酷く阿呆に聞こえてしまう。穴に入って暖まりたいと思うようにはならないのかい?」

「小生がデザインした人生は完璧でござるよ。少なくとも『MGS』の面々に弱音はあっても諦めという言葉は何一つないでござるからな。では、この前と同じ緑町公園のベンチで。四時二十分までに用事を片付けたいので付き合うでござる」

白河稔。ぼく、佐々木和人の数少ない友人の一人であり、七星学園高等部及びJ大理工学部物質生命学科を共に通った同志で、そして何よりも重要なことはきっと彼が身体組織のおよそ八十%以上に渡ってキタキツネの遺伝的構造が融合することで見た目や性格、おそらく思考そのものに影響を与える形で変化をしている獣人と呼ばれる人間の亜種であるという点だろう。

けれど、肝心なところは彼が狐と人間のRNAが現在のように複雑に入り組む形で最初から産まれてきたという訳ではなく、それは当然ながら彼以外にも存在している例えば兎やライオンの獣人だけではなくカブトムシやスズメバチのような昆虫の遺伝子構造を合致させている『キマイラ』といった亜種と同様に、大抵の場合はとある事態を契機として変化を遂げ後天的に狐の姿を与えられているというところなのかもしれない。

「あら。おはよう。今日も相変わらず女っけのない格好で出掛けるのね。卒業してもう半年。いい加減もう少し気配りが上手にならないとさ」

「管理人さん。ぼくにその問いかけはまるで無意味ですよ。何故ならば、ぼくにはもう付き合って二年になる最愛の天使が傍にいる。少なくともあなたなんかよりよっぽどぼくのことを────」

「あーはい、はい。妄想彼女どころか血の通っていない、触れ合ったという実感すら湧いてこないような作り物を愛してしまうなんてなんて嘆かわしいことでしょう」

「作り物とは失礼な。彼女はぼくが迎えに行くのをただ待っているだけですよ。いつの日か必ず────」

「まったくその熱意を少しでも周りの女の子に使ってあげるだけでいいのにね。君は本当に女心ってものがわかっていないのね────」

まあ、それはたぶんその通りなんだろうなとそれ以上は言い返すことが出来ずに口籠もり、マンションの管理人としてちょうど一年ほど前から入居してきた三ツ谷凍子に無理矢理作った笑顔を見せてぼくはさりげなく右手で行ってきますと合図をした後になんだかぼくの気持ちが感染してしまったのか妙に寂しそうな顔をして気持ちを伺おうとする彼女の優しさのようなものをついうっかり拾ってしまわないようにして距離を取るようにしてポケットの中にいれていたスマートフォンの画面を確認すると通知が届いているメールやらSNSの内容を確認する。

【戦極@悪いが週明けから急遽出張に出かけてもらうことになりそうだ。休日だというのにこんなメールで済まないが、これも社会人としての通過儀礼だと思ってくれ。一週間ほどの予定だから相応の準備をしておいてもらえると助かる。詳しいことはまた後で。あ、それとぼくの大学時代の後輩が向こうで研究室にいる。君と同じ生粋のエンジニアだ。よろしく頼む】

相変わらずの人使いの荒さが滲み出てくるようなメールにイラっとしながらも細部まで気遣おうとする心配りが憎らしい株式会社ネクストエレクトロニクス研究開発部人事課主任からのメールを開いて週明けからの予定が無理矢理決定させられてしまったことに天を仰ぎみる。

【佐々木@了解しました。一樹さんもご同行されるのですか? 例の新規プロジェクトの件ならば一応ぼくも研究データ持参します。エンジニアとはまたむさ苦しいですね。なんだか正規入社の前にへこたれてしまいそうです】

うっかり先輩風を威勢よく吹いてくれるいつもながら頼り甲斐のある元エンジニアでありながら部下の面倒まできっちりとみようとする双剣使いに弱音を零してしまったことに我ながら社会人生活の巧妙さに慣れ親しんできたなぁと感心していると、土曜日だというのに後輩のぼくにまでストレスを一切かけようとしない迅速な返信メールが届き、一抹の不安をあっという間に払拭してしまう。

【戦極@残念だが後輩は女性エンジニアでしかもとびっきりの美人だ。まぁ、性格はアレなところはあるが悪いやつじゃない。今回、俺は同行することは出来ないが仕事の大部分はお前に任せることになるだろう。推測の通り『新型メテオドライブ』に関して本社及び提携先との情報共有が目的だ。インターンとはいえ、我が社の名前を背負っていくことになる。だからしっかり気を抜いてきちんと楽しんでこい】

またしても隙のなさすぎるやり取りに薄く曇りがかった気持ちがすっかりと追い払われてしまい、タイムマシン理論を開発した赤毛のツンデレヒロインのことなどを思い浮かべながらつい口元が緩んでいることにひそひそと噂話をしながら靖国通りを歩いているピンク色の髪の女の子ととても生意気そうな表情で何もかも見通しているような女の子の二人組に気付かされて正面の新宿堂時計店のほうを見てみると、青信号が点滅していたので立ち止まり、黒いNX−Rが急ブレーキをかけた音が交差点に響くと張り詰めた緊張感のようなものを取り戻す。

「あかん。あんたは死相がでてるわ。ほんの少しでも脚を踏み外したらそのまま真っ逆さまや」

彼女はぼくの目の前で黒いヘルメットを脱いで顔を見せて聞き覚えのあるイントネーションで語りかけてくる。

西田死織はぼくの高校時代の先輩であり、在学中は彼女の名前を知らない生徒などいなかったと断言できるほど、とある理由で超がつく有名人ではあるけれど、目の前の黒いライダースーツに身を包んだ彼女に瓜二つの女性はトレードマークである赤髪ではなく黒髪をなびかせている。

デウスエクスマキナの人格化。

神の見えざる手によって物理法則をねじ曲げてしまう、遅れてきた世界最後の正義の味方、彼女を彩る謳い文句は数多いけれど、やはりまとっている雰囲気からしてぼくらのような一般人との違いを感じてしまう。


「あの。西田先輩ですよね。こんなところでどうしたんですか? それにぼくに死相? 縁起でもないけれどなぜそんなことを言うのですか?」

「死織ちゃうで。うちは忌野蘭魔。よー似とるって昔から言われるやけどな。あいつは今関西や。来週の火曜日がうちらの親の命日やからな。まーなんでもえーねんけど、君はどーみても普通の子や。危ない橋は渡らんほーが身の為やで」

そういうと、忌野蘭魔はもう一度黒いヘルメットを被り、アクセルを握りしめると、信号が青になった途端に黒いNX−Rを急発進させて四谷方面へと走り去っていってしまった。

死相?

夢が現実になって襲いかかって来るとでも言うんだろうか。

いきなり舞い降りた不吉な予言にしどろもどろと嫌な予感ばかりが頭をよぎってしまうけれど、よく分からない占いに心を掻き乱されている場合ではないと踏み止まり、新宿御苑駅の入り口を下ってホーム階へと急ぐ。

『絵巻物を思い通りに書き換えてしまうチルドレ☆ンオブチル☆ドレンではなく、『パン』の分身か。同位体が存在しているのであれば『鍵』の一つだろうな。気付いたか、奴はお前を掻き消そうとしていたぞ』

ぼくの頭の中で声がする。

『類』と呼ばれる魔術師の末裔がぼくに新しい物語が迎えに来たという事実を告げに語りかけて来る。

『しばらく眠っていたと思ったのに、もう一人で牢獄に閉じ込められたままでいることに飽きたのか。『鍵』っていうのは例のお前が外の世界に旅立つ為の装置みたいなもののことか』

大きく溜息のようなものが聞こえてきて、『類』は自分自身が望んだ未来とは違う結果が訪れようとしていることに覚悟を決めてすっかりいついてしまったぼくの脳内と別れの時が来ていることを自由と引き換えに手に入れることになるのだとゆっくりと口を開き始める。

『つまりお前が七星学園の地下に幽閉されていた俺に会いに来たのは偶然ではなかったということだ。お前は確かに運命の歯車に選ばれていずれこの結果が訪れるのだということを何処かでわかっていたし、俺も最初からそうであったと確信をしているよ。まるで『パン』の掌で踊らされているような気分にすらなってくる。だが、紛れもなくこれは俺自身が自分の力で決めたことだ』

『けれど、それじゃあ大切なのは『ヒダリメ』ってことになるじゃないか。ツガイが予め決められていたけれど、ぼくには手に入れられなかったって聞こえてしまう』

『それはおいおい知ることになる。どちらにせよ、物語は約束の場所で収束していた。最初に出会ったあの時と同じようにな。破壊神が現れたことで俺も不安になるとはヤキが回ったものだな』

彼はぼくら人類が科学とは違う法則性が支配していた中世において、最初に魔術と呼ばれる原理を手に入れた最初の人間であり、ほぼ不老不死に近い命と引き換えに七星学園高等部の地下に両手両足を拘束されまま左眼を禍々しい呪術が記された包帯によって封じ込められたれっきとした元人間であり、ぼくとはこうやって『類』が現在使用することの出来る数少ない通信系魔術によって意志の疎通を行っている偉大な魔術師の生き残りだ。

錬金術の研究によって芽生え、発明王によって切り開かれた近代科学は現代人の知識と技術によって繁栄を極めて、ぼくらはその恩恵を十二分に受けることで天才たちが遺した財産を共有することで今現在も発展を続けている人類と呼ばれる哺乳類サル目ヒト科の生物ではあるけれど、ヒト科に属する種族の中におよそ三十%ほどの割合で発症する肺胞疾患『PEPS』がもたらすエーテル粒子体によって、科学法則ではいまだ解明することの出来ない『魔術』と呼ばれる言語を使用する人々が全世界で同時多発的に誕生し始めた。

『俺たちは今も田上梨園の言葉だけを信じて研究を続けている。夢のようなものはまだ掴み取れていないけれど、彼女の遺した方法だけが魔術と科学を必ず適切なやり方で縫合出来るはずだと現代視覚研究部の五人はわかっているはずなんだ。だからさ、『類』。信じるんだ。お前がやってきたことは間違いじゃなかったんだ。俺が必ずお前の自由をこの手で手に入れてやる』

脳味噌の隅っこにこびりついていた嫌な予感を塗り替えるようにして遥か遠くの地下室に閉じ込められている『類』の朗らかな笑い声で置き換えられていく。

どうにかしてまだ夢の形すら曖昧だった頃の淡い恋の思い出が握り潰された陰惨な記憶の向こう側で蘇り始めて、ぼくにほんの僅かな希望と一緒に小さな光を灯して頭の中で鳴り響く『類』の声が再び薄れて聞こえなくなっていこうとする。


*


「いやじゃ! いきたくなかい! わたしはずっとここにいるんじゃ! 出雲なんてかえっても、ひまなだけじゃ!」

「だめだ。アンダーソン。アマテラスが君の歌が必要だと言っている。美沙と一緒に帰ろう。しばらく休んだっていい」

新宿御苑の庭園のユリノキにしがみついているのは身長が十五センチにも満たない小さな身体に水色でレースのついたワンピースを素肌にまとい、虹色に輝く透明な羽が背中に生えた女の子の妖精で、彼女を説き伏せようとしているのはとても誠実そうで嘘をつくことを人生において不要なことだと硬く胸に刻み込んでいるような黒い短髪の男性で、アンダーソンと呼ばれる妖精が我が侭に振る舞うことを呆れながらもとても真摯な態度でいずれ乗り越えなければいけない坂道が目の前に迫っているのだということを伝えようとしている。

「やっぱり私の分身は勇気が出ないんですね。今すぐにこの広くて閉じられた空間から飛び出して新しい世界を手に入れることを怖がっているんだ。君は本当に私そっくりだね、アンダーソン」

左目に黒い眼帯と銀色の歯車が刺繍された二十代前半の女性がシャボン玉を青い空と陽の光を輝かせて広がっている芝生の上に吹き飛ばしてキラキラと虹色の模様を反射させている。

「美沙は何もわかっとらん。此処から飛び出す必要なんてないんじゃぞ。みてみろ、私たちにはこれで十分じゃろーが。いつまでも此処で遊んでいようといっているだけじゃ!」

「お日様に雲が掛からないのならそれでもいい。雲がやがて黒く濁って雨を降らせないのならきっと大丈夫。稲光が空を切り裂いて何処にも逃げ場のない風を呼んだりしないのなら何も問題はないと私もそう思うよ」

芹沢美沙は首からぶら下げたEOS Kiss X7を構えて、ずっとこの場所で静かに息をしていたユリノキから退去を命じられているアンダーソンの口惜しそうな顔をファインダー越しに0と1のデータに変換されてファイルの中に閉じ込めてしまう。

「『イオリア+』が嫌がらせのようにキーを使ってモールス信号を送ってきている。今日中に出発しないのなら、美沙だけでも出雲に連れていく気でいるそうだ」

二人の女性をナビゲートするために現れた蒼井真司が右手に持った車のキーを振り回しながら、意固地に御苑の樹にしがみついているアンダーソンを挑発するようにして、『Kode S』によって発動された出雲への帰還命令が出されているのだと言うことを小さな身体の妖精に忠告している。

「美沙も行ってしまうのか。ここの樹や鳥や虫達と戯れてそいつの中に閉じ込めてしまうだけでよいと思っとったのに。駄目なのか。なぜアマテラスなどに従うんじゃ」

「彼女は私と同じ顔をして、何も奪われないままあの場所に縛られている人だから。お願い、アンダーソン。八咫の鏡と草薙剣と八尺瓊勾玉は新しい形を手に入れなければいけないの。このままでは永遠にヒダリメが覆い隠されてしまうわ」

とても残念なしょんぼりとした顔をしてアンダーソンは渋々ユリノキから離れて虹色に輝く羽を羽ばたかせてふらふらと芹沢美沙の元まで飛んでいって抵抗するのに疲れ切った様子で彼女の胸元に飛び込んでいく。

「ようやく折れてくれたね。きっとぼくたちの旅は『イオリア+』が安全で快適でだけど刺激に満ちた冒険を提供してくれるはずだ。何も心配することはない。ぼくが君たちの騎士になって必ず出雲まで送り届けることを約束するよ」

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