「がはは。あの万事無敗災禍呪怨怨嗟岩窟のゴミ箱であった奴隷人形がこの船を脱走したというのにまたのこのこと舞い戻ってきたらしいぞ。俺様に何度でも勝ちを譲られたいらしい」

『Ｍｒ・Ｆｒｉｄａｙ』の所有する客船の一つである『ニスタグマス』は四階層に分かれた乗客・乗組員合わせて四千人を収容可能な超大型客船として、二〇〇四年に処女航海を始めたいわば、海上を周遊する独立国家である。

彼の資産を１／４を注ぎ込まれた『ニスタグマス』は、完全自主防衛を確立し、いかなる国家の介入も許さない難攻不落の移動要塞で、最新機関部の最底部、乗組員と遊戯場参加者の居住区、ビッフェや各種レクリエーションの備え付けられた客員の定住区、そしていかなる武器の使用、生殺与奪、どのような暴力に関しても認められている『大遊戯場』を始めとして、バー施設や遊戯場への賭博を含めた巨大カジノが併設されているエンターテイメント特区と一部入場制限のかけられた甲板部分から構成されている。

世界各地の港への入港するたびに、その国の経済バランスが傾きかけてしまうほど、絶大な権力を保有したまま海の旅を続ける『ニスタグマス”は、『ガイア』級記録監査船団『オーバードーズ』と並び称される世界二大客船の一つである。

大和入港を祝して開催される『大遊戯祭』の参加者たちは常に居住区への入室を済ませ、各々の戦果への期待を募らせているが、『Ｔｈｅ　Ｒｅｓｉｄｅｎｔｓ』と呼ばれる常駐遊戯者の一人である『団鬼六』は、一ヶ月ほど前に海域パトロール用のエアバイクを利用して『Ｔｈｅ　Ｒｅｓｉｄｅｎｔｓ』から初の逃走者となった『黒蜜夕』の噂をしながらゲラゲラと濁酒を下品に下劣に呑み続けている。恥辱と汚辱を与えるためだけに十三年間生かされ続けた奴隷少女は、『団鬼六』と３７６戦しながら無敗の記録を保持しているが、そのいかなる試合においても『団鬼六』は一切の傷を負うことなく、むしろ勝ち残った『黒蜜夕』は彼の持つ神槍『人間無骨』の餌食となり続けてそのほとんどの対戦において瀕死の重傷を負っての勝利を獲得している。

その絵も言われぬ暴力の余韻を肴に『団鬼六』は、蛇女と花爺の二人に向かって悪態をついている。

「馬鹿馬鹿しい。お前さんの『淫愚離慢垢離(イングリマンゴリ)』で腹私を貫かれて喘ぎ声をあげているあのペチャパイ野郎のどこが面白いんだが。全く女のセンスを疑うよ。谷崎の奴隷の連中ならもっと粋の良いのだっているだろうに」

「ふん。こやつは『ナオミ』には相手もされんし、『チエコ』には一矢すら報いることも出来ん上に、『ミツコ』には訳も分からず舞台上で嬲られっぱなしじゃったからな。あの小童で興を感じる程度しか出来んじゃろうよ」

「バカをいえ。『ユキコ』には辛酸を舐めさせてやったし、『タエコ』にも遅れをとった覚えはないわい。あの化け物二人は別としても『人間無骨』を持ったからには命の一つや二つは惜しくないわい」

『花爺』の頭に咲いた百合から一欠片の花弁が『団鬼六』のお猪口に舞い落ちる。

「それにしても、昨日の夜の『理界奏』と『ナオミ』の試合には肝が冷やされっぱなしじゃったわい。自家用ヘリでやってきた特権階級の連中ばかりの余興とはいえ、誰も唖然として言葉が出んかったからの」

「『花爺』もあれを見て戦意を喪失しないとはまだまだ一花咲かせる気があるってことかい？　私の身体を見て欲情一つしないままの癖にそれじゃあいくら花と蛇が美しくても誰も客が踊りゃしないよ」

ふん、まったく口惜しいわいとぼやきながら渋い顔をして『団鬼六』は、奴隷商人、『谷崎潤一郎』の十一人の子飼いの少女の一人、遊戯場の参加者たちによって『キル・ビル』と名付けられた、『ナオミ』と、そんなロリータたちの天国に三ヶ月前にいつの間にか『ニスタグマス』に舞い降りた『理界奏』という物理法則から解放された超越者の逸脱した幾何学形が繰り広げた前人未到の戦場の光景を思い出し身体中を微かに震えさせながら、お猪口の酒をグイッと呑み干している。

「こちら側に現界してきてから君はまるで水を得た魚のように生き生きとしている。人間の器の中に思念というほぼ無制限な領域を確定させてしまうこと自体、君たちからしてもあまり前例がないことだと黄泉平坂は言っていた。混沌なんてものに出会すことが出来たのは大事に隠れた小事が光によって埋め尽くされていたからだとすれば、やはりぼくの計算に狂いはなかったと言える」

昨晩の夜、三宿駐屯地経由で自衛隊機であるＵＨ-６０Ｊに搭乗して、『大遊戯祭』より一日だけ早く『スタンドプレイ』と呼ばれる男が『ニスタグマス』へと乗り込んできている。

それは、死者たちの霊魂がすまう黄泉の国のさらに深淵なる領域に人が人であるという形を、生命が生命であるという理由を、物質が連続した個体であるという使命を捨てて、思念という実態を方程式によって規定することが出来ず、感覚器官によって捉えることが叶わない幾何学形が意志を持ち相互関係を確定し、有限と無限に関する問題を一切に渡って放棄した狭間の世界。

魔界と呼ばれ、あらゆる科学的事象の介入を許さない人智の向こう側。

『理界奏』という現象は『手塚崇人』という精密性の極点としての普遍性と出会うことで、鏡像化した実態を生成することになったということを神の悪戯との邂逅によって定義付けを完了することが出来た。

「お前たちを理解するのには自由という演繹された現実の肯定から学ぶことが一番だということだ。およそ、弱肉強食という生物の根本原理に逆らい続ける生命体はおそらく、お前たち人間だけだとこの船に乗ればよくわかる。まるで理性が本能を疑い続けているんだ」

「意識が産まれたということを他の生物から人間を特殊な状態へと移行させた因果だとすれば、この船はそれを最も分かりやすい形で具象化している。なぜミームという文化圏を我々は産み出すことが出来たのかは感染経路という通信回路によって集団を分離することで自衛権を獲得してきたからだ。君たちにとっては最も無意味なシステムの一つであるけれど」

「まだ俺たちを誤解しているな。無機物と有機物程度の差異しかないのだとお前は考えているようにこちらは受け取る。とはいえ、完全に自主独立した思念などという幻想に関する問題を軸に考えればお前も俺もそれほど代わり映えはしない」

「理解という前提を放棄する以外にあなたとのコミュニケーションを有意義に過ごすことが出来そうになかったといえばいいのかな。あはは。これじゃあまるで話すことすら無意味だって言っているに過ぎないか」

「やはりお前は悟りと呼ばれる状態に対して俯瞰的な視点を抱えているのか。絶対者は常に世界を観測し続けている」

『パン』には病がなかった。

『ライス』には嘘が必要とされなかった。

『コーヒー』は夢など見捨てて構わなかった。

『アイス』には自然が恐怖へと変換されていた。

『アニマル』は本能を除去して『フッシュ』は理性によって制御された。

『マシン』は愛を覚えたまま生き続け『ピアノ』は変化を嫌い続けた。

『スクエア』が個性から脱却して『ボックス』は過去と未来を分解した。

『カー』が掃き溜めだけを正義として『バイシクル』は進化という極点を権威の象徴へとすり替えた。

それでも彼らは、法則によってがんじがらめの自分自身と自己の模造品を嫌悪した。

だから、悪意によって凌辱されて歪んだ意識を補正する強靭な精神の行く末が故意という必然性を選択してしまう中心点にいる女の子に『パン』を与え決して石に変わることのない作為を神の全能性の一端として見守ることにした。

「こんばんは。いつの間にか四ヶ月も経っている。私の身体がすごく欲しかったっていうそういう眼をしているな」

芹沢美沙は黒い眼帯で塞がれた左の義眼が光なんて捉えてないことをとても和やかな笑顔で目の前でチタン製の杖を持っている盲目の男を出迎える。

斎藤誠は彼女の挑発をそのまま受け入れて熱くて重苦しい情念で芹沢美沙の右手を掴まえる。

「ありがとう。嘘をつかずにいられる時間が少しでも多いことをぼくが望んでいるのは確かだ。君と手を繋いでいるってことももしかしたらその一つかもしれないな」

『ニスタグマス』の入り口で、ブルーのドレスを来て歯車の刺繍の施された黒い眼帯をした芹沢美沙とブラックタキシードと赤い蝶ネクタイの斎藤誠が右腕と左腕を組んで大遊戯祭へと入っていく。

「ほら、光が出迎えてくれるのを感じられるでしょう。それは目蓋の裏に映るあの不確かな灯りのことじゃなくて、こうやって傍に寄った時だけに分かるはずの」

芹沢美沙が何か言葉を話そうとするのを斎藤誠は右手に持った杖で前方を確かめながら脚を前に踏み出して『ニスタグマス』のエンターテイメント特区へと入っていく。

「出来たら、君の言葉でどんなものがあり、どんな人がいて、どんな表情でどんなドレスを着ているのかを教えて欲しい。ぼくは右耳を塞いで余計な会話が入ってこない努力をしよう」

斎藤誠が欲しがっているものを与えられるかどうか少しだけ不安になりそんな感情を打ち消すように息を呑んで芹沢美沙は入り口で待ち構えていたクロークの二人に名前と斎藤誠に手渡された三ミリほどの厚さで縦に十センチに横に五センチほどの生きた人間から剥がされて鞣された皮膚を見せて入場の許可を得る。

「ＩＤ.３-５３１２-５３ＡＲ-４２８Ｘ　李海花奏及び、ＩＤ.３-４３１６-８２ＩＪ-７５６Ｄ　初芝尚美の殺害記録を確認しました。ご入場を許可します。今宵の宴でぜひ深淵と境界をあなたの持ち合わせている眼球へと補完してください」

李海花奏は、池袋西口丸井交差点前の地下鉄入り口のエスカレーターで上がってきたところを斎藤誠が手に持った『リトルガール』で無意味に何の感慨もなく喉仏を一突きして、二十三歳の短い生涯を奪い取った。

初芝尚美は早稲田大学附属高等学校近くの雑居ビルで屋上の柵を越えて学校帰りに恋人と別れた後に突然人生に嫌気がさした彼女を目前で一眼レフカメラを構えた芹沢美沙は一切の助けの言葉や動作も与えずにそのまま地上へと落下していく様子を眺めて十八年間しか生きることの出来なかった彼女の皮膚をまだ死体が発見される前の現場で丁寧に切り取って芹沢美沙は孤独に関する問題を乗り越えるためのチケットを手に入れる。

「この扉の向こう側は法という整備された枠組みは存在していない。人間がなぜ他の動物とは違うのかということを十二分に理解するために用意されたなんていう人もいるけれど、私たちはただ素直にありのままに受け入れればいいって思う。せっーので中に脚を踏み入れよう」

扉の前の儀礼服に身を包んだ赤い髪の男と青い髪の男が木製の二メートル半ほどの扉を開けて『ニスタグマス』の世界へと招き入れる。

穏やかな人々の会話と透き通るようなピアノとぶつかり合うグラスの音が響きあって光り輝く舞踏会の幕が挙げられているのを告げてくる。

異世界に迷い込んだアリスとチェシャ猫みたいな気分で網膜と鼓膜に二人は神経を注いで降り注ぐ紛い物の希望の欠片を分け合って、コアラの顔をした獣人や、百五十キログラムを悠に超える巨漢や、六十センチほどの老人夫婦や、手足が機械で置き換えられたサイボーグが思い思いの時間を堪能しているけれど、まるで完璧に制御された歯車みたいに自分たちだけに与えられた役割を全うして会場の雰囲気をこの日の為だけの風景へと作り替えている。戦争という機械が人と獣と自然に与える希望の頻度と略奪に関する予感めいた図形や、人間の感覚器官がいかにして共有不可能な私的産物であるかと伝える為の星の降る夜や、普遍的な日常へ詳細度を上げたまま時間を停止させ永遠に立脚する人間の行為そのものへと変換する風景や、何故人間は色と記号を選びキャンバスに思考そのものを描き続けてきたのかと伝えようとする月の女が超強化ガラスによって防御された床面に訪れた人々は立って酒を呑み談笑をし、夜が深まるのを待っている。

立食用のテーブルには色鮮やかなオードブルが用意されて、入り口の二人と同じ儀礼服に身を包んだ給士たちが出来るだけゲストを退屈させないように銀色のトレイを片手にワインやシャンパンや新鮮なオレンジジュースを配って回り、羽の生えた普通の女の子と誠実そうな男の子がワイングラスを床に落としてしまったとしても一切誰にも悟られないように魔法でも使うみたいに向こう側へと追いやって、ピアノに追いつこうとやってきたドラムの音と同期したまま『ニスタグマス』は狂気と正気が揺れ動くバランスの上でダンスをする爪先立ちの死体たちをあざけ笑おうとして十メートルほどの高さの天井の巨大なホールに大歓声を響かせる。

「奥の魔術楽団の伝えてくるこんな場所に似つかわしくない攻撃的で破滅的な音色も気になるけれど、やはり一番は反対側の大遊技場のはずだね。二人で一緒に行ってみよう、何が起きているかは君の右眼で捉えた景色をそのまま伝えてくれるだけで構わない」

作法に準じるってことはとても重要な仕掛けの一つなんだと、ネイビーのワンピースを着て赤いハイヒールを履いた黒髪の女性が犬の顔をした従者を引き連れて給士の手渡した赤ワインに口をつけている。

芹沢美沙は斎藤誠の左手を右手で掴み取ると、抑えようとしても高揚してしまう気分がマナーから外れないように気をつけながら湧き上がる声のする方へ人混みを掻き分けながらちょっとだけ早足になって歩いていく。

「あなたはこの匂いが好きだったよね。私はやっぱりまだすこし慣れることが出来ない。強制的に大人の階段を登らされているような気がして疎ましく感じてしまう。はみ出てしまうことを恐れなくなってしまったら、きっと世界の半分は私のものじゃなくなるに決まっているわ」

客船の最後尾に位置する円形の闘技場の周りには三階建ての客席がぐるりと囲み、正面のガラス窓の席には、光の加減ではっきりと顔が見えないけれど、おそらくこの船の所有者である『Ｍｒ・Ｆｒｉｄａｙ』と彼の長年に渡るパートナーである『ＬｏｖＥ』氏がむせ返るように鮮やかな宝石と真っ赤なドレスを着て座って現在中央の闘技場で行われている口蓋を拘束された革製の黒いマスクをきた黒髪の背の小さな男と、胸元で御印を組んでいる周期的に色の変化する光る翼を生やし鋲付きのベルトを巻き黒いロングスカートを履いた女性が破壊された闘技場の上で睨み合っている。

リング上には、お団子頭で赤いレオタードと黒いストッキングの女の子が息を切らしている二人との間を距離を取るようにマイクを持って実況中継をしている。

「青コーナー！　『テクノマイスター≒知野川琳』選手がまるで銀河系から星を呼び込むような『ファンタスティックプラネット』の術式をいとも簡単に弾き返しています！　『谷崎グループ』の九番目の奴隷戦士、前回チャンピオンである『ミツコ』はこのまま初戦で敗退してしまうのか！」

大理石で構成された円形の闘技場はすでに『ファンタスティックプラネット』と呼ばれる孔雀の羽を持った古代種と地上の民が交配した結果である『有翼種』、『ミツコ』の『銀河の彼方で行われる青い食物連鎖』の影響で三十パーセント程度が破壊されている。

けれど、目の前で息切れ一つ起こさずに拘束マスクをした『知野川琳』は自分からは一切攻撃をせず、相手の出方を窺うようにして睨みつけ何かを数えるようにして呪詛のようなものを誰にも聞こえることのない音量で唱え続けている。

「喜仙か。ようやく連絡が取れた。貴様が赤い星に出向いてバイオノイドの試作機を購入している間に、光太郎の奴が欲しがっていたやつを見つけたぞ。俺の目に間違いはない。昨日の夜みた光景に嘘偽りはない。見えない腕で何もかも薙ぎ倒す。光太郎も十二分に満足するはずだ、後は余興でも楽しんで明日にはそちらに向かうさ」

肩まで伸びる真っ直ぐで疑いようのない長髪の男が衛星回線を使った長距離通信機能を内蔵したスマートフォンで円形闘技場の三階、最上階席に座ってまるでＳＦ映画のような現実離れした闘技場の様子を見下ろしている。

凛々しく聡明そうな顔の男の周りの観客席には人がいないせいか普段なら陰に隠れてしまい、見えることのない男の姿がくっきりと浮かび上がっている。

赤いワイシャツをきて窮屈そうなネクタイと第二ボタンまで外して電話をしている男には一階席や二階席で御前試合に夢中になっている観客たちには興味がなさそうだ。

円形闘技場の中央の『知野川琳』の右手に機械仕掛けの魔術によって漆黒の超重力源と周りを囲む梵字が産み出されると、彼の手をゆっくり離れて空中に浮かび上がり超過したエネルギーが幾重にも電流となって球体状の重力源の周囲で暴れ回りながら停止する。

「お前の力は分かったぞ。俺が牙を見せる必要はない。さようならだ。地球人の怨念は塵へと変えてやる」

額に垂れた前髪と拘束された口蓋と細く華奢な身体を覆う真っ黒なボディースーツとクタクタのカンフーシューズの『知野川琳』が右手を振って合図を送ると、音速を飛び越えた漆黒の球体が御印を結んでようやく相手の力量を完全に理解した『ミツコ』の元へ飛んでいき、彼女の身体を歪曲した重力場の空間へと引き摺り込んでしまうと、一切の痕跡を残さずに孔雀の光る翼を持った『ミツコ』を完全に消滅させてしまう。

「勝者！　青コーナー！　『テクノマイスター≒知野川琳』！」

呆気にとられた観客席が数十秒間の沈黙に包まれると、一斉に拍手が鳴り響き、狂宴が始まったのだということを理解させる。

『ニスタグマス』最後部方面に配置されたガラス窓のＶＩＰルームの上部の電光掲示板に勝者の名を挙げる文字が走り回り、敗者の名が痕跡ごと消されてしまうと、開幕の合図を告げる演出とともに会場全体の照明が落とされて、ガラス窓のＶＩＰルームだけにスポットライトが当てられる。

顔の判別できない男がすっと立ち上がり、会場全体を覆う割れんばかりの歓声に応えるように両手をあげると、隣の『ＬｏｖＥ』氏も隣に並び投げキッスを送るようにしてさらに湧き上がる観客の熱気を煽ろうとする。

「今宵は私の所有する『ニスタグマス』における最大の催しともいえる大遊戯祭にお越し頂き大変な名誉を感じる。一切合切の縛りや規則や法則や規律の類を捨て去り、人間が人間たる理由をぜひ証明してみせてくれたまえ！　我々、理性に準ずるものたちに最大限の栄光を！」

電光掲示板に『Ｍｒ・Ｆｒｉｄａｙ』という名前と『ＬｏｖＥ』という言葉が表示され、会場を七色のエーテル粒子体が飛び回り、スポットライトが今度は円形闘技場中央に立っている勝者である知野川琳に当てられると、大歓声の渦とともに再び『ニスタグマス』の照明が再び元の明るさに戻っていく。

まるで特別な魔法でも使われたように破壊された闘技場は元の美しい大理石で出来た円形の舞台へと戻っていて、電光掲示板には第二試合の出場者の名前が表示される。

三階席の上部には来賓者用のＶＩＰルームが中央の『Ｍｒ・Ｆｒｉｄａｙ』の場所を取り囲むように設置されていて、中央左に手術痕だらけの上半身を露わにした二メートルを超す大男と美しい茶色い神と巫女装束をまとった女が現れると会場内にどよめきが訪れて不安のようなものが横切るようにして観客席の周囲をぐるりと走り回る。

「さぁ、『黒炎リリー』。最弱の勝者であったあなたが適切な情報と作為的な過負荷によって合成魔術の直感性を出来る限り排除した形を私に見せてくれるかしら。最高度の純然たる刺激に包まれた瞬間に訪れる暗闇だけがお祖母様の呪いを癒すのに必要な『一縷の希望』となるのよ。待っているわ」

西野ひかりは獣人や狂人や人外や妖魔や痴態を愛す平和主義者や困惑を嗜めるリベラリストや根源に取り憑かれた無神論者の間に混じって観客席でとても自信たっぷりに脚を組んで闘技場を眺めている。彼女の左手の薬指は赤く今までにないぐらい明るく光が灯っていて、きっと彼女に残されている『魔術回路』の欠片だけがエーテルの痕跡によって『パートナー』に『一縷の希望』を与えている。

天井のライトが明るく光り始めて純粋理性が絶対者として空間を支配し始める。

「こちら『ブラヴォーワン』でござる。『ロイ』を回収したでござる。『ウェス』で索敵状況を確認後、『ポール』へと離脱開始するでござる」

東京湾上空五千メートル付近をステルス迷彩を施したＡＨ-６４Ｅが旋回しながら埠頭付近の様子を伺っている。

少しでもレーダーの範囲内まで降下すれば、警報装置がなり始めて東京湾に停泊する移動要塞の攻撃圏内に入り込んでしまう。

機内では、同じくステルス迷彩仕様のボディスーツを着た『グミ』、『チョコレート』、『パイナップル』の三人組と『ヘルツホルム』からやってきたいと遠き人、七色の羽の妖精『アンダーソン』が降下作戦の準備を始めている。

「『ゼロリパブリック』ってさ、基礎魔術は全く使えないのにそういうことに同情させるような態度を全く取らないんだよ、普通の人間でもエーテル持ちとも違うんだけど、あいつは人間全部を機械だと思っているみたいにいつも自分だけは変わらないって顔をしている」

グラマラスな身体のラインが丸わかりの特殊なペイントが施されたステルス迷彩仕様のボディースーツを着た『パイナップル』が降下作戦を終えて気を落ち着けようと細長い煙草に火を付ける。『アンダーソン』が煙たそうな顔をして手で払い除けケホケホッと咳き込んでいる。

「そんなことより大丈夫なのか！　さっきの爆発のおかげで私のお着替えが全部燃えちゃったんだぞ！　お前たちだって侵入するのに必要なものとかあったんだろ。それに、『レ・ミゼラブル』だってもう」

三人組は顔を見合わせた後に、それぞれ必要な道具だけは肌身離さず持っているということを『アンダーソン』に見せびらかすように両手で自分専用の武器と道具を胸元に広げて見せる。

「『レ・ミゼラブル』は勝手に再構成されて、俺たちのいく場所で待っていてくれるさ。あいつはそういうマシンなんだ。特殊ＩＰＳ細胞を利用した自律思考型乗用車両。六十億近い金が注ぎ込まれている化け物マシンってことだ。ルノー社のベストセラー、シトロエンに命が吹き込まれたんだ」

『チョコレート』の言っている意味がよくわからないという顔で『アンダーソン』が不安な状態を現したけれど、『パイナップル』が緑色のサンダルと、彼女の身体に合わせた小さな黒いワンピースを見せたことで明るい顔になり、大切そうに抱えると自分専用の小さなリュックに詰め込んで『ヘルツホルム』の妖精らしい歌声で降下作戦前の三人組を安心させる。

「どちらにせよ、我々の目的は三つ。『八咫鏡』の奪取、Ｍｏｏｎ　Ｗｏｍａｎの強奪、そして『桜珊瑚』をこの手に納める。そのどれもが『アンダーソン』と利害が一致している。一つたりとも逃してしまったら『ＭＤＭＡ』の名が捨てるってことよ。パイロットさん、こちらの準備は整いましたぜ」

三人は円陣を組んで掌を重ね合わせて『アンダーソン』がその上に乗り、掛け声を合わせて気合を入れて息をぴったりシンクロさせていく。

「地上、海上、海底、それぞれＭ・Ｇ・Ｓの準備に一切のぬかりはないでござる。我々は全力を持って貴様たちを援護するでござるが、あの移動要塞に侵入出来るかどうかは時の運でござるよ。生命の一つや二つは捨てる覚悟でいくでござるよ」

『アンダーソン』はパタパタと羽を羽ばたかせて狐顔の獣人のパイロットのふさふさとした黄金の毛並みを持つ耳元まで飛んでいき、こっそり耳打ちをして何か特別な言葉を囁いている。

伝えられた言葉は二人しかわからない秘密の暗号のようなものだけれど、パイロットはニヤリと笑顔を浮かべて急旋回すると降下ポイントまでアパッチ戦闘ヘリＡＨ-６４Ｅを向かわせる。

「ねえ、お兄ちゃん。十三はこんな時まで仕事だってさ。『ネクスト』の中でもずば抜けて戦闘能力が高いってことが幸せであるかどうかぼくにはわからなくなってきたよ」

ｌｕｎａｈｅｉｍ.ｃｏとピンク色の筆記体で書かれたスケボーでガラス製の床面を滑って人混みをすり抜けていく東條カヲルは先を歩いているタキシード姿の東條渚の背中越しに話しかけるとくるりと振り返って少しだけ怒った表情で弟のことを嗜める。

「カヲル。こんなところで乗り回すものじゃないことぐらいわかってるだろ。ランドセルが嫌ならヘッドギアにでも変形させてしまえば、こんな場所なら誰もおかしいとは思わないよ」

渚の忠告に珍しく素直に応じてスケボーを降りて周囲を見渡して、仮面をしたドレス姿の女性や、ライオンの顔をした獣人や金色の身体のアンドロイドの姿を見て納得して右腕に巻いている腕時計のボタンを押し込んでスケボーをフルフェイスヘルメットに変形させる。

「けど、さすがは独立国家とも対等に渡り合うことの出来るほどの経済力を持った『Ｍｒ・Ｆｒｉｄａｙ』の船だね。集まっている面々も錚々たるメンバーだ。こんな場所の護衛任務につくなんて十三も気苦労が耐えないね。あいつなら誰が近づいてきても蜂の巣に変えちゃうだろうけど、せっかく身体を与えられたんだ。今日はあいつの分まで楽しむことにするよ」

カヲルは十メートル近い天井に吊り下げられたシャンデリアの灯りを見上げると、ウサギの耳と尻尾の生えた本物のバニーガールの持っている銀色のトレイからオレンジジュースを手に取って渚の後を追う。

『ニスタグマス』船首方向に用意されたステージに、眼球が振盪して腹私の抉り取られても尚、生命活動を維持する弦楽器へと再構成された少女『テクネー』が現れて渚は思わず人形と人間の違いを履き違えそうになり、息を呑んで立ち止まる。

もし人形が意志を持ってしまったとしたら、狂気が支配する人工楽園で狂宴に集う歯車たちとの違いを見つけることは難しいのかもしれないって正確無比な殺人機械へと成り果てた三番目の兄弟のことを思い浮かべながら肩に乗せた梟型自律思考ＡＩ『キリコ』と哲学的命題について話し合いをしようとする。