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14. Unreal Square

非日常を演出する為に『八咫烏』は先回りをして彼の企む仕掛花火と複雑な抗生物質で発効された術式に与えるべき損害を計算して暗闇の中で作業を進めている。

周囲の警備員には十二時間は眼を覚まさない睡眠薬を混入させている。

作業自体は自分のペースでやっていけるけれど、他の七人が突入を開始するまであまり時間は残されていない。適切な処理を正確に実行する。

それは普遍性の中へ埋没できるように、自分自身を劣化させて彼らが共有している情報を我々の世界に持ち帰る時のように一ミリのズレもなく実行出来なければいけない。

彼らは酷く乱雑で適当ではあるけれど、仕事自体はとても正確だ、油断や隙が産まれればあっという間に警報装置が鳴り響くだろう。

用心しよう、ぼくは常に監視されている、と『八咫烏』は小さく深呼吸をして十三インチの小さなノートPCをタイピングしている。

まるでどこかで作り物の眼球が覗いているような気分を味わいながら『八咫烏』は作業を続ける。

「まったくこんなのは『迦楼羅』君に任せればよかった。クラッキングなんて産まれて初めてだよ。やれば出来るんだな、意外と」

十七階のデータセンターに入り込めたのは『迦楼羅』の技術力があってこそだけれど、今回の作戦行動にはデータの改竄が必要不可欠だ。

「ビルのセキュリティ上、お手伝い出来るのはここまでです。サーバー自体との接続だけはあなたにやってもらうしかありません。慎重に行えばあなたならば必ず実現可能なはずですよ」

入り口に侵入する為の手筈を整える際に『迦楼羅』はそう告げた後に、十七階データセンタのサーバーをクラッキングする手段と方法を『八咫烏』に送信してきた。

産まれて初めて『八咫烏』はデータサーバーの情報を改竄し、まずは自前のノートPCへと術式の解放と改竄と奪取に必要なだけのデータを抜き取っている。

「『迦楼羅』君のいうとおり、少しでも足跡を嗅ぎ付けられればあっという間に回線を遮断されてしまいそうだな。ここから慎重に進めよう」

D地区にある異常な『アセチルコリン濃度』の干渉率に関する記録を少しずつ書き換えることで対象を絞り位相をずらさなければ、今案件に置ける『地深く眠る古龍の嫉みと妬み』の術式の禍根を残すことのない解放を止めることはできないと彼は独自の調査で辿り着く事が出来た。

『キノクニヤ』室長である『田辺茂一』から依頼された六五五三七番の消滅合成術である反魂の円環に最も重要なものは六五五三七箇所に刻まれた傷痕そのものを擬装して、術式の陣形に供給されているエーテルをこちらで用意した電流によるエネルギーと錯覚させる必要性がある。

そして、この『大和』艦内のありとあらゆる情報が蓄積されているデータサーバーにはこの五年間行われた新築工事、改築工事に関する資料と設計図が書き込まれている。

『八咫烏』は、『迦楼羅』から教わった技法を使い、まずは現代社会において最も重要で最も攻撃力の高い情報に関する問題を丁寧に正確に『八咫烏』の家系に伝わる古い反術式を組み込んでいくことで新しく設計していく。

大戦前までなぜ政治、宗教、経済の領域において優勢を極めていた魔術が科学によって更新され置き換えられてきたのかは魔術の意味的解釈を進めた反術式の存在が大きく、六五五三七番までの基本的な術式の科学的置換はほぼ完了しているのが現状と呼べる。

けれど、最新の論理物理学と結合しさらに異世界からの未知の技術が持ち込まれた上で複雑に編み込まれた六五五三七番の組み替えには明らかに今までの反術式にはない類の違和感が存在している。

都市再生計画に混入していた疑似記憶の転写情報はどうやら二〇一五年四月付近から始まっているようで、都市構築の根幹をなす建築事業からどうやら『彼ら』は介入し、既にほぼ全ての産業にまたがって寄生を始めるとまるで社会システムという生命体に入り込んでいた弱く脆い精神構造を更に劣化させて意識を改竄する手法を試みているようだと彼は結論づけてサーバールーム内に残されていた秘匿回線を解放することで外部との連絡を取るのに成功する。

「あ。ようやく繋がった。『迦楼羅』君、ここからは君の力を借りようと思っている、まず、この回線上からぼくの海馬から君の『ガイガニック』社製の補完電脳へアクセスしたい。互換性の問題もあるとは思うけれど、どうすればよいかな」

魔術と科学の根本は同一の原理によって動かされている。

世界が物理法則によって制御されている限りは、法則に反した幾何学形は存在する事が出来ない。

だから人間が作り出した科学は千年以上昔に人間の中に産まれた『魔術回路』を凌駕出来る筈だというのが現代の科学研究の主な成果であり、当然の帰結ではあるけれど、『S.A.I.』を始め、『ルナハイム社』や一部の新興団体や新興企業の中に、『魔術回路』の完全解析を進めていく上でいまだに人類が到達することのできない領域が存在していると結論づけた集団が現れる。

であるならば、魔術そのものを科学とは異質な進化を遂げた人間の知識の極点であるという根本的な事実を受け入れた上で、尚、科学と融合した技術開発を志すべきだという計画の立案が相次いだ。

その『メテオラ』とでも呼ぶべき成功例の一例として、『八咫烏』の海馬は高速演算と高速通信の補助の為に、『ルナハイム社』製部分電脳『PRM』に置き換えられている。

彼の首筋には脳内の電流を直接デジタルデータへと変換する為に情報通信端末との有線接続を可能にする接続端子が外科施術後に取り付けられていて、彼はF端子ケーブルを首筋の接続端子に差し込んでノートPCと連結させると、黒いワンボックスワゴンで移動中の『八咫烏』と同じく超越科学の結果として生まれた補完電脳を埋め込まれた『迦楼羅』と通信を開始する。

「思ったより早いですね。接続確認しました。では、まずは信号の送信をよろしくお願いします。すぐにそちらにハッキングをかけて、データサーバーにアクセスさせて頂きます」

「え。何それ。うっかりどこかのセキュリティブロックに触れてしまったら脳が焼き切れるとかないよな。もしくは疑似信号で現実認識を入れ替えられるとか」

「あはは。むしろ現在情報を真であると考えていることの方がぼくは怖いですけどね。とりあえずケーブルをもう一つデータサーバー側に接続してください、こちらはもう準備出来ていますから十五秒あればデータ自体の改竄は可能です」

「了解。『天狗』はいるかな? 出来たら回線を繋げて欲しい」

回線にもう一つだけ別の帯域が割り込んできてシグナルが受信される。

通常電話回線を使用して結界内で奇妙な動きを見せれば即座に六五五三七番が作り出す円の外側へと追い出されてしまう。

欠損した身体の一部をなんらかの義体化手術によって置き換えている『八岐大蛇』の中で、唯一、生身の身体のまま作戦行動に従事している『天狗』が秘匿回線用情報端末を使って『迦楼羅』の電脳を経由して『八咫烏』の解放した周波数帯域へとアクセスをしてくる。

「あのな、いくらなんでも用心深すぎるだろ。この程度の『メテオラ』であれば俺たちならば力業だけでもどうにかなると思うけどな。お前がやると術式の転移が発生する確率があがるのはいいが、『S.A.I.』を壊滅にまでおいこみかねん。彼らはいまだに利用価値があるというのが『執務室』の判断だ。俺たちとしては『地深く眠る古龍の嫉みと妬み』を乗っ取ることが出来るだけよいと考えているんだがな」

「いや、それは『天狗』さんが、珍しく甘いかもしれないな。術式の復元スピードが妙に早いんだ。おそらくは予定した以上に多次元宇宙解釈に基づいた次元航行者の持ち込んだ技術が割り込んできている。予測通りぼくらの世界では有り得ない分子化合物の記録がサーバー内に残されているんだ」

「もちろんそれは折り込み済みだ。問題は再利用可能かどうかと複写が可能かどうか。『執務室』が都市再生計画をアップデートさせたいと考えている以上、俺たちの行動もこのままでは今後は厳しい制御下に置かれる。嫌な話だが『つくられた人』から『伊藤博文』だけでなく、『葛飾北斎』まで出張ってきている。おそらく『執務室』からの離脱派が『竹島』ゴト奪い取る気で計画を練っているのだろう。俺たちは彼らの意向に出来るだけ準じるべきだ」

「羽根を生やしたぼくらのことが計算に入っていない。だから『竹島』をダミーに使う連中のことまでは忘れているね。とにかく、『天狗』の、ホウにも迷惑はかけない筈だから反魂の円環の発生位置を三十センチだけズラしたい。ビルの内部の混凝土の凝固率を〇・三パーセントだけ落とすんだ。傷跡が二つになる。虚数空間が実数に入れ替わって現界することになった四月事件はとても重要な問題なんだ」

「『黄泉比良坂』まで行くような馬鹿が今の時代にいるのかどうかもわからんな。けどな、『八咫烏』。俺は迷ったらより危ない方に乗る性格だ。この前、路上で見つけて3度イカせた女だってな」

「武勇伝はいいよ。得意のキメセクの話は『天狗』さんの、言う通り。快楽なんだから素直に求めるべきだよ。けど、ありがとう。『迦楼羅』、承認OKだ。始めてしまおう」

『天狗』との回線が『迦楼羅』に切り替えられると『反魂の円環』に必要な儀式に関して順を追って説明する。

「はい、すぐに始めます。まずは『都民の城』改築工事中に張り巡らされている魔術結界を内部のセキュリティシステムに正面から堂々と侵入することで無効化していく強襲手段を採用します。正面玄関からのグループと裏門からのグループの二手に別れましょう。『櫛名田』さんが、予定通り未許諾周波六五五三七キロヘルツ付近に発見した各『ラグランジュポイント』のポゾン反応を随時解析及びサンプリング中です。『八咫烏』さんは、引き続きギリギリまで傷跡が三十センチずれたとしても成り立つ座標をぼくの送るプログラムを使って解析してください」

『迦楼羅』は頭部のハッチを開いて剥き出しになった大脳新皮質の部分電脳へ電極を突き刺して、『八咫烏』のノートPCに独自開発したソフトウェアを『迦楼羅』の脳細胞に暗号化されて記憶された六五五三七番の合成術式の配列全パターンを送信する。

『迦楼羅』によって解析が終わっている龍神の眠りを妨げる阻害因子の結合配列を自前のノートPCへ受信後すぐにダウンロードしたソフトウェアを立ち上げてターミナルを使ってインストール後、バックグラウンドで走らせながら『八咫烏』は『迦楼羅』の用意した手筈通りにデータサーバの暗号鍵で守られている部分のクラッキングを実行する。

運転席では『運慶』がナビゲーション役の『快慶』の指示通り環七を目黒通りから迂回して外苑西通りを青山墓地方面へ抜け、二四六号線へ侵入するルートを辿る。

「『神宮前五丁目計画』を円環の一部だと考えるのであれば、穢れの濃度と目新しさは確かに気になりますが、術式をコントロールしていると思われる『都民の城』へやはり直接向かうべきですね。『八咫烏』君の提案した手法を取り入れることで一気に『S.A.I.』の術式を奪取もしくは無効化してしまいましょう。傷跡そのものを破壊して再生成不可能な状態へ移行させる手段は現実的に考えて不可能と言わざるをえませんね」

『快慶』は『櫛名田』の無線機とリンクさせたカーナビゲーションシステムと龍の息吹と言えるだけの自分自身の直感的判断に従って『地深く眠る古龍の嫉みと妬み』と術式形成ポイントの外縁部をなぞるルートを提示する。

『櫛名田』が波形を取得しているポゾン反応が当然ながらD地区内の傷痕付近で収集出来るものであるのならば、余分な介入によって術式の組成を阻害しながら抑え込むために適切なルートだと『運慶』は判断してハンドルを握りアクセルを少しだけ緩める。

『都民の城』改築工事は引き渡し直前の追い込み作業の為、現在二十四時間態勢で不眠不休の工事計画が進められていて十九時三十七分を回った現在も多数の現場職員及びおそらくは『S.A.I.』の関係者が居残っているものと思われる。

だとすれば、『執務室』諜報局の管理下に置かれている『八岐大蛇』は、防疫局及び開発局との連携捜査により、今案件を国家反逆予備罪と認定、未然に活動を防止する為に彼らは8名での限定的潜入を試みる。地上十三階建て、地下四階建ての公共事業に『穢れ』と呼ばれるいわゆる基本魔術や『いにしえ』と呼ばれる法整備以前の術式より古くから存在する陰陽魔導の組成式が発見されたケースは初めてで、『執務室』もすごく手をこまねいているみたいだと『夜叉』と『阿修羅』が独自に開発した武装を車内で仕込んでいる間に無駄話をする。

「ぷはぁー。こんなに潜ったのはだいぶ久しぶり。おかげでだいぶ抉り取って来られたよ。はっきり言って準備は万端。問題はどうやって位相を反転させて各感覚器官に変調を与えていくか、それが問題」

『櫛名田』はヘッドホンを外して大きく息を吸う。

聴覚だけに感覚を絞ってしまうと呼吸ですら満足に出来ない状況が続く。

酷い時はそのまま意識を失ってしまう時があるけれど、今回は適切な帯域だけを収集出来たようでモニターに映し出されている不規則な波形をうまく繋ぎ合わせてピッピッピーピピピーという短い音の連なりを一度だけ再生する。

「さすが『櫛名田』さんです。これがあれば、データサーバに不規則な信号を送ってクラックした記憶領域をこちらで自由に扱うことが可能なはずです。さながら擬似OSというところでしょうね。こちらを管理コンピュータと一時的に錯覚させます。それにしても、よくもまあ、こんなものを大都市に仕込んだものですよ、敵、というかよく教育された集団の恐ろしさを感じてしまいます。さて、『八咫烏』さん、カウントで一気にそちらのサーバルームの七号機を制圧します。僕と同時にENTERキーを押し込んでしまえば改竄が開始されます。準備はいいですか?」

「まったく問題なし。警備員もあと三時間は目を覚さない。君の手筈通り警報機も切った。心配ごとは何にもない。五から行こうか。『迦楼羅』君、よろしく頼む」

「了解です。5、4、3、2、行きます」

およそ三十キロ離れた場所で同時にノートパソコンのENTERキーが押されると、光回線を通じて『迦楼羅』の部分電脳からデータセンター十七階のサーバルームの第七号機サーバへ『迦楼羅』の仕込んだプログラムが即送信される。

『櫛名田』が発見した六五五三七箇所のD地区内で発生している『ラグランジュポイント』の記録を三十センチだけずらしてサーバに誤認させることで、円環内で術式のエネルギー探知に反応することなく作戦行動を恙無く進行させることが可能になる。

その情報を事前に『迦楼羅』が簡易的にクラッキング可能にした『都民の城』改築工事地下部分に設置されている警備システムを最上階の管理コンピュータから切り離してスタンドアローンへと作り出す為の準備が完了する手筈を『天狗』と『八咫烏』の二つの頭を同期させることで進行させていく。

「よし。こちらオールクリア。『迦楼羅』くんは、どうかな?」

「はい。これで『都民の城』最上階にあるはずの管理コンピューター『雨の叢雲』に直結している警備システムを乗っ取る準備が完了します。あとは現地で『夜叉』君と『阿修羅』さんに、頑張ってもらいましょう。『櫛名田』さん、先程の波形を送信して下さい。

恐らく『都民の城』内の警備アンドロイド及びサイボーグの通信システムを六五五三七番の術式から遮断することが可能です。術式から半永久的にエーテルを供給され稼働するタイプのサイボーグですから残りは生身の現場職員だけになりますし、攻略は容易なはずですよ。突然のシステムの反転に、声なきものたちは発狂でもしてしまいそうですね」

「あはは。それは言えている。完璧だと思い込んでいるものがまるっきり裏側からみた世界だとは思いも寄らないだろうね。とにかくこれで絶望の一つの形をコントロール化に置くことが出来るはず。けどさ、ぼくのPCでも確認が出来るけど、やっぱり地下の奇妙な相転移反応がどうしても気になるね。ポゾン反応がまるでマグマでも吹き出るみたいに泡立っている。想念の泡を吸収している何かが存在している」

『櫛名田』は採集した波形を随意の配列に組み換えてから『迦楼羅』のPCに送信する。

波形が記号と配列にさらに変換されて『迦楼羅』が用意した秘匿回線から七号サーバへと侵入する。

D地区内の情報を同期させている光回線へのより厳密な正規表現の侵入と呼応するようにして『運慶』が外苑西通りを左折して二四六号へ侵入する。

「後三分で『都民の城』に到着です。みなさん、準備はいいですかねー」

カシャンとそれぞれの武器と道具を構えて後部座席の『天狗』、『夜叉』、『阿修羅』、『櫛名田』、『迦楼羅』が目を合わせて頷く。

『快慶』がナビゲーションに従い、念の為、『都民の城』十五メートル手前の国際連合大学前に黒いワンボックスワゴンを停車させる。

まるで存在ごと抹消された死者が都市の内部で迷彩を施されるように溶け込んで『八岐大蛇』は位相が変調された空間へと転移して作戦行動が開始されていく。

不安定な『非許諾周波数』内部であれば彼らの存在が普遍性の中に際立ってしまうこともなくなってしまう。

「『迦楼羅』、『櫛名田』はそのまま車内で待機、もしもの時に備えて運転の準備だけはしておくんだ。『快慶』と『運慶』は武器を所持した上で正面から侵入、『阿修羅』は裏口から侵入し、警備システム周辺の内部構造と人員を把握した上で『夜叉』と連携して適時、警備システムの完全制圧を完了後破壊、俺はシステムが管理コンピュータへと移行する隙をついて十三階の応接室にある『雨の叢雲』の奪取を最優先とする」

「──了解! ──」

五名の黒い軍服姿の男が八時を過ぎた人通りの少ない二四六号沿いへ現れると作戦行動へ移る。限定されたチャンネルで彼らは情報を共有されて情報戦によって領空圏の奪い合いが開始されていく。

完全性と不完全性における秀逸な領土侵犯に関する問題を矢継ぎ早に光回線が送信していきながら特異点のようなものが算出される可能性を演算し続けている。

光速度が都市の内部構造によって阻害され死者の息吹によって音速がいつの間にか周囲の市民の意識を乗っ取ると『非許諾周波数』外部の領域へと取り囲んでいる。

誰も気付かない場所でいつの間にか侵入した異変同士の病理的伝搬性が伝染の開始される前の状態へと移行し始める。

「光学迷彩はD地区内部では術式干渉に合い使用不可能です。『八咫烏』は作業完了後、最速でこちらへ合流予定ですがもしもの時は『天狗』に強行突破してもらいましょう」

「わかっている。そのために『翁』に新種の病を埋め込まれている。無痛症なんてものは戦闘には不向きでしかないが背に腹は変えられん。KAMIKAZEの連中が実際に使っていた古い術式だな」

『迦楼羅』は黒いワンボックスの車内から、彼の占有した『非許諾周波数』を利用した暗号通信で『都民の城』内部に侵入した五名と通信を取ると、『櫛名田』が生成した不規則なスペクトラムをワンボックスワゴン上部に設置されたパラボラアンテナから出力する。

D地区全域から吸い取られたエーテルによってエネルギー供給を受けている『都民の城』外周部を部分電脳に置き換えられているガードマンたちが警備システムとの接続を遮断されて意識の制御を失ってしまうと、彼らは携帯していた拳銃を引き抜き同士討ちで次々に行動不能状態に陥っていく。

警戒システムが作動した『都民の城』全体が光のシールドで包み込まれていき侵入者の介入を知らせるようにしてあるはずなのにない、見えているはずなのに見えない空間へと転移して『都民の城』は『S.A.I.』と『八岐大蛇』の戦場へと転送されていく。

「予想通り波形を組み替えてアルゴリズムを変更してしまえば、かなり強力な意志の乗っ取りが可能ですね。催眠術ではこうはいきません。乗っ取ったというよりも壊したと考えるべきでしょうか」

場外警備に関する問題を易々とクリアしてしまうと、裏門から侵入し警備システムの停止と破壊を目的に作戦行動をする『夜叉』と『阿修羅』からの現場報告を確認する。

疑似知覚を生成されている可能性も踏まえて作戦を柔軟に対応していく必要性があり『迦楼羅』は現場とリアルタイムで通信しながら的確な指示を送り続けていて、『運慶』と『快慶』が思考を同期させながら正面突破の道筋を描こうとする。

「思ったより警備は手薄、というより通常シフトでの対応です。内部に侵入した後は、ぼくと『運慶』で道を切り開きます。引き渡し目前の改築工事ですから内部構造は設計図面に近い状態なのかな。工事用資材や工事中のブロックに留意しながら手っ取り早く下層階は制圧予定です。上層階に至って言えばかなり早い段階からすでに通常業務に移行して『S.A.I.』教団D地区運営における中心施設として稼働している部分があるとの報告を受けています。多分『八咫烏』のいうとおり地下にある何かと雨の叢雲の保護が目的なのでしょう。上層階はどうやら術式のコントロールタワーとして機能しているようです。ぼくと『運慶』も伊達にネットゲームばかりに夢中になっていたって訳じゃないですよ。『迦楼羅』、全員のゴーグルに『都民の城』の内部情報を送信してください」

『都民の城』攻略作戦の為に特別に『執務室』より支給されたウェラブルコンピュータゴーグル『Faith』にマップ情報が映し出される。

開発実験機である為に通信機能にまだ改良点が見受けられるものの個々の意思が別々で活動することで一つの生命体として機能する『八岐大蛇』にとってはあまり問題にはならないようだ。

ゴーグルのサイドにはピンク色の文字で『ルナハイム社』と筆記体で印字されていて、新進気鋭の『ガイガニック社』が独自の営業戦略と未知の開発能力で『フリープレイ』へ介入してきたのはとは違い、多分に実験的な要素を含む機器であるようで『執務室』諜報局において危険度の高い任務や強引な捜査に配備される彼らのような予算を削られている暗所の部隊にとっては都合が良いのかもしれない。

『Faith』の特徴であるエーテル粒子体感知機能が働き始めて周囲のエーテル量を示すスペクトラムが高濃度であるということを視覚情報として伝えてくる。

「なんだかサバゲーにでも出向いている気分。『TV=SF』によって限定公開される可能性が今回の行動にはあるみたいだ。さながらぼくらは都市に入り込んだ異分子として処理されてしまうのかな」

「馬鹿だな。世界を救いにきたヒーローと信じるべきだろ。悪の秘密結社のアジトに潜り込むんだぞ。堂々とぼくらは大義に準ずるべきだ」

どこまでが現実でどこまでが物語の中の世界であるのかわからなくなる。

それが『フリープレイ』が特定周波数から一般周波数へと解放された後に爆発的に広がっている要因の1つなのかもしれない。

チャンネルごとに設定された公開レベルに加えて戦争の代理行為が犯罪的手法をも取り込んだ公安業務と癒着している現実があってこその潜入ミッションであるのだろう。

きっと参加している視聴者たちにはもはや現実を塗り替えるほどの物語にのめり込むことが出来ずに、ストーリー性の組み込まれた日常をより複雑に発展させたスペクタクル化した社会構造そのものが必要とされているからかもしれない。

『フリープレイ』は例え富裕層であっても望んだものしか入り込むことが出来ない。

意志の弱いものがうっかり侵入して自我を破壊されることが多発している。

狂気を発生させるための振動数が垂れ流されて、衛星軌道上から隔離の為に施された周期的電磁波が繰り返されて、『八岐大蛇』は『非許諾周波数』の内部に侵入し始めたことを感じ取る。

「術式による妨害を避けるため、ハッキングした衛星回線から『都民の城』全体像を『Faith』に送信しています。正面入り口のガードマンロボットは『櫛名田』が実験運用がてらに破壊してしまいました。まぁ、多少の犠牲はつきものでしょう。『阿修羅』には裏口へ周り別棟入り口部分から侵入をお願いします、夜間の通常工事中ですので搬入経路ではないため警備は手薄と考えてもらっても大丈夫そうです。侵入後、地下一階部分にある警備システム周辺の作業員の人員と警備システムコンピュータの座標を確認、特定後、『夜叉』は警備システムのみを極指向性爆薬を使い破壊、『ガイガニック社』の通信システムを制圧し管理コンピュータから完全に遮断、内部のアンドロイドと作業用サイボーグの機能を停止させてください、高性能ヘルメットを利用して管理コンピュータと同期している作業員は『櫛名田』の作った波形を使用した音響兵器で行動不能に出来るはずです。『運慶』さん、『快慶』は正面玄関から侵入後、低層階の作業員及『S.A.I.』関係者を出来る限り速やかにデリート。『天狗』は余力を残したまま後方支援に回ってください」

『天狗』は246沿いを武装する準備をして歩きながら少しずつ異界に侵入するようにして感覚を整えて意識の集中力を高めてゴーグルを着用する。一個の防衛システムが働く様にして『都民の城』周辺は『八岐大蛇』と『S.A.I.』D地区支部が管轄する領域へと転送されていく。

「了解した。低層階の警備システムを破壊及び作業員、アンドロイドを排除し完全に制圧後、高層階へ進行し『雨の叢雲』の奪取を開始する。『八咫烏』に関しては、到着後、すぐに『雨の叢雲』及び『サイトウマコト』の遺体回収任務に向かわせるとしよう。やつが杞憂しているのはやはり予言者『サイトウマコト』のことだ。過剰すぎるんだよ、奴は。おい、俺たちが上層階へ突入する前にこちらへ来るのは間に合いそうか」

サーバールームでの仕事を終え、データーセンターから脱出する準備を整えながら『八咫烏』が答える。

「『天狗』の言う通り教祖の遺体がこの場所に保管されているならばやはり怪しいポゾン反応が見られる地下と考えるべきだね。とにかく低層階制圧に八百四十秒、ぼくが合流出来るのは九百秒前後の予定。とりあえず、時間稼ぎは任せるよ、『天狗』、今までレイプしてきた女の怨念を身体中で受け止める時間って感じだね。罪が洗い流されるとは思えないけど、『天狗』は本来の仕事の時にしか役に立たない」

「馬鹿を言うな。そんなことの為にここまできたわけじゃないんだ。必ずイコンの回収は実現する。出なければ求心力が増大しすぎて手に負えなくなってしまう。やはり周辺の『アセチルコリン濃度』がだいぶ不安定だ。このままではD地区周辺が完全に奴らのコントロール下に入る可能性があるな」

『天狗』は八人の正確な仕事になかば勝利を確信しながらも簡単に見透かされて油断が入り込む隙を押しつぶすようにして奥歯を噛み締める。

「『天狗』は紅潮している。生身で術式の干渉の影響をもろに受けている。冷静な判断ができなくなることも考慮しての後方支援。ぼくら主導のまま時間を短縮して六百四十秒で低層階を制圧する。『八咫烏』は空でも飛んでさっさと到着しろ。正直、『櫛名田』の聴覚刺激はえぐい。ぼくらまで干渉し合えばひとたまりもないからな。こちらが持ち堪えられるのは千四百秒が限界だと考えろ」

『運慶』が『都民の城』ゲートの錠前をサイレンサー付きの自動拳銃で破壊して敷地内へ侵入すると、『快慶』が最短距離で扉付近に辿り着く。

ガードロボットが胸部あたりの基盤を剥き出しにして倒れていて機能を停止させている。

「了解。三本目の足は負担がすごいんだ、なにぶん人間には生えていない。冗談はさておき、その様子だとのんびり構えてはいられないね。『雨の叢雲』制圧まで余力は残しておきたかったんだけど、仕方ない。我が侭はいっていられない。空を飛ぶ。八百七十秒で到着予定」

『八咫烏』と『天狗』の頭脳が呼応して内と外が繋がりあって二つの頭がシンクロするようにして一つになる。

「問題ない。それならば私はお前たちの盾になる。何があっても守り切ってやる」

『快慶』と『運慶』が同時に扉を開いて侵入すると、外部からの電波干渉を防壁によって無効化していた『都民の城』内部に侵入する。

吹き抜け周辺で夜間作業中の現場作業員が三人ほど、彼らに気付くのと同時に『運慶』と『快慶』が得意の射撃でデリートする。

警報装置が作動して、サイレン音が施設内に鳴り響く。

「こちらも内部に到着。入り口付近のガードマンは人間だったから『夜叉』が丁重に眠らせておいたよ。警備システムは地下一階のエントランスエリア東部にある模様。シャットダウンまで、四百秒ってところかな」

『阿修羅』と『夜叉』は問題なく裏口から『都民の城』内部へと侵入して、対象の爆破を最短で実行するために速やかに行動する。

「はーい。こちら『運慶』。もう降参しちゃいたいです。思ったより人数多すぎ。射撃の腕前に自信はあるけれど、『ガイガニック』社のパーシャルサイボーグはほんとに高性能。動きに無駄がなさ過ぎて、こっちもどうなるかわからないですー」

「いざとなったら早めに『天狗』に前に出てもらって盾になってもらってぼくらで後方支援。あのヘナヘナ動く人形みたいな警備アンドロイドをゆっくり射殺しましょう」

『快慶』と『運慶』がバラバラに愚痴を言い合いながら完全に同じタイミングで二体のアンドロイドの機関部を撃ち抜いて行動不能にする。

「こちらはいつでも準備OKだ、地下警備システムまで単独で侵入しても良いぐらいだ。特攻したって俺は一向にかまわん」

生身の身体で的確な指示を送る『天狗』は顔を紅潮させたまま『運慶』と『快慶』のシンクロし同期した行動に安心して警備システムの発動で対象の排除という共通の目的で向かってくる『ガイガニック社』製アンドロイド『ZED-FX14』をデリートする。

高性能ヘルメットを使用して何処かと通信をとりながら奥の方で天井の電気の配線を接合しようとして脚立に登っていたところで警報機に気付き、危うく地面に落下しそうになっている。

1階エントランスルームの壁面を真っ白なペンキで塗っていた髭面の作業員が呆けた顔で真横を通り過ぎる銃弾を追いかけるようにして作業用アンドロイドが地面に倒れていくのを見守っている。

高性能ヘルメットで通信を取り合っている為か、攻撃的意志は見られずただ『天狗』たちの突然の来訪をまるで自分たちの仕事の一部であるかのように冷静さを見失わず続けるものもいる。

『迦楼羅』が冷静に『Faith』から内部情報を確認しながら指令を送る。

「はい。思ったより管理コンピュータの統率の完成度が高いですね、作業員は抵抗の意志なしと判断、『櫛名田』さん、多分頭ぶっ壊してやろうって気概があるなら今のうちにそちらもデリート。とりあえず『天狗』に無茶をやらせてその後の作戦行動を台無しにされる訳にはいかないので、一つ一つ丁寧に片付けて行きましょう。『阿修羅』さん、警備システムの把握は完了しそうでしょうか」

「そちらが派手に暴れてくれているお陰で予定通り、裏口部分に作業員もアンドロイドたちも集まってきていない。ちょうど警備システムの真上の部屋でだいぶ工事用資材が散らかったまま放置されているけれど、機関室はこの直下みたいだね」

『阿修羅』が『Faith』のゴーグルに表示される館内情報を元に機関室を把握して『迦楼羅』と地下一階の攻略方法を内部の具体的な警備情報を元に即座に組み立てていく。

「おそらく、直接地下一階に乗り込んで侵入し破壊するのは不可能と考えるべきですね。警備システムがRC-303であるのならば、無数のレーザー網に阻まれて中央演算装置に到達する前に排除されてしまうはずです」

「ついでに、中央演算装置周辺にはとっておきの警備型サイボーグ『ESX-1』が最低でも三体は待ち構えて絶望的な状況を作り出す。壁面も天井にも迎撃システム、一度に破壊しなければ自動修復してしまうし、地下一階毎爆破してしまえば、より低層階にあると考えられる『サイトウマコト』の死体まで破壊しかねない。普通に考えれば、打つ手なし、物量で押し切られて正面から侵入した三名が呆気なくジエンド。『八咫烏』は勘が鋭いだろうから到着前に離脱。八本の頭は結局統率されることなく撤退。全く低予算の諜報部って感じだね」

『阿修羅』が脱力しながら、『Faith』に『八咫烏』のクラッキングしたデータサーバからの館内情報が次々に送信されて、地下一階部分の警備システムの完璧な防衛網を詳細に知らせてくる。

「はい。ぼくを舐めてるー。ETNに極指向性の爆薬をセット。三十センチ四方の立方体を三メートル地下まで確実にコントロールして爆破可能。一階部分からでも三メートル程度の鉄板なら難無く爆破、みたところコンクリートだね。悪いけど、これだけ内部情報が正確にわかっているのならば、レーザー探知機五機及びに警備ロボット三体の中枢を完全に完璧に同じタイミングで機能停止にすることはできると思うよ」

『迦楼羅』がくすりと笑い、『櫛名田』が強引な警備システムの奪取で『八岐大蛇』メンバーまで発狂寸前まで追い込む機会を失い、ぼんやりとワンボックスワゴンの天井を見上げている。

「まったく君たちはもう少し不手際っていうものを覚えてさ、私のストレス発散に付き合って欲しいのだけど」

「あはは。『櫛名田』のいう通りですね。けれど、ここは『夜叉』の異常な性癖を信用するしかありませんね」

『夜叉』が黒い軍用ベストに取り付けたETN爆弾を両手でずらりと持って自慢げに侵入した倉庫として利用される予定の部屋の床面に1つ1つ正確な座標を『Faith』で確認をしながら設置していく。

「とりあえず同時爆破で機関室内部の電波干渉を遮断後、『迦楼羅』がタワービルデータサーバ経由からのクラッキングを利用して自動復元される寸前の十五秒で制圧。低層階のアンドロイドを行動不能にしたのち、僕らはそのまま即時高層階の制圧でさっさとお仕事完了。ちなみに、この爆薬は久しぶりに三日三晩徹夜で仕上げた超高純度の火薬を三種類絶妙なブレンドで配合することで実現。正直、火薬と毒薬を扱わせたらぼくに叶う人間なんているのかなー」

『阿修羅』が自信満々な『夜叉』の態度を訝しげに見つめているが、行動とは裏腹にゴーグルに映し出された座標と寸分違わぬ位置に丁寧にセットされていくETN爆薬を確認してコクコクと頷いて腕組みをしている。

「どう考えてもこんな奴は信用できない。ぼくがいっそのことレーザー網を玉砕覚悟で突破して、身体中に穴を開けられに行っても構わないような気がしているが、どうだ。新しい扉を開いて知覚の拡張を獲得する為には必要な気がしている」

『阿修羅』が気に食わない『夜叉』の完璧な仕事ぶりに唐突に自分の自虐願望を露呈して場の空気を壊そうとする。

「いけない考えに頭を支配されていますね、『阿修羅』。『櫛名田』に変形波形でも聞かせてあげるように提案しましょうか。正確に精密に緻密に適切な処理を八人全員が同時に行う必要があるからこそ我々は第一級の犯罪者でありながら意識の統制と管理を免れている。軍備に必要な同期思考が今のところ免除されている理由でしたね。『夜叉』さん、あとは自分のタイミングでどうぞ」

ニヤニヤヘタヘタと笑いながら床面に極指向性ETNの設置によって『八咫烏』と『迦楼羅』の連携によってクラッキングしたデータサーバの情報によって警備システムの破壊的奪取の準備が進められていく。『夜叉』は自身の作り出した精密性の高い仕事の芸術性に興奮しているのか股間の膨らんでいるのを自分では気付いていないようだ。

「お前はやっぱり人間相手じゃないと興奮はしないんだな。四時間五十三分三十二秒だけ行動不能にした膣の締まり具合にどうしようもなく興奮して結局四回も射精した話は俺にとっては聞くに耐えん。なぜお前のような男と」

作業中に邪魔が入ったことに対して嫌悪感を示すようにしてプシュッと『夜叉』はスプレー上の薬剤を『阿修羅』に吹きかけ『阿修羅』の言語機能を麻痺させる。

爆発的な怒りをあらわにしながら顔面を紅潮させている『阿修羅』から一声も発せられていないことにゲラゲラ笑いながら『夜叉』は『Faith』に表示された座標を元に正確に爆薬を並べていく。

館内の警報機がけたたましく鳴り響いて正面玄関での戦闘が激化している様子が『都民の城』全体に伝えられる。

「警報装置か。よもやこんな時間に予定通りの行動計画を仕掛けてくる馬鹿どもがいるとは私たちを舐めているとしか思えん。まさか本気でこの城を突破できるとでも思っているのか。とはいえ、油断はできんな。まず一つカードを切ろう。野獣の群れの的になって肉片も残さないほど苦痛の餌食にしてくれるわ」

黒い犬の群れが三階に設置されていた檻から解放されると、一斉に飢えたように舌をはぁはぁとだらしなく垂らしながら階下へと獲物の匂いを嗅ぎつけて走り始める。

目が血走りながらも、黒い犬たちの脳髄にインストールされた『アセチルコリン濃度』調整因子が動物的本能の暴走によって狂気を加速させている。

館内に入り込んだ違和感による匂いを正確に嗅ぎ分けて『S.A.I.』の一員である高性能ヘルメットを着用した現場作業員『パラサイトイブ』が漂わせる報奨系を適時満たすために脳髄に植え付けられた寄生虫によるホルモン異常の匂いには反応せず、『都民の城』内に浮かびあがる不自然な塩基配列を持ち合わせた5つの熱源を遺伝子改良されたさらに発達した嗅覚で把握しようと百匹を超える黒い犬たちが押し寄せるようにして階段を降りていく。

「ガロン様に与えられた精力剤で三日絶食させていた甲斐はたっぷり堪能出来そうですね。より効率的な人材運営の為の実験動物とはいえ、絶望を感じている本能はまるで世界から押し出されることを怖がるように醜悪に無制限に欲望に忠実であり続けられる。よく調教された犬というのは確かにどこに出しても恥ずかしくない兵隊となってくれますね」

『叡』が応接室をおぼろ染の桜柄の着物を珍しく着用して、まるでどこか新しい世界へでも出向くようにしてゆらゆらと『飄恒ガロン』の美しい仕事ぶりで涙に濡れた頬を袖で拭いながら歩き回っている。

──あぁ、また私は何かを失うのだ、仕えた主人に私の一部を差し出して、このおぼろ染のような世界を私はまた愉悦で満たして官能の極地へと辿り着くことができるのだ、決して私の手に残ることのない儚く脆い刹那の記憶をこっそりと──

「『夜叉』の野郎が寝惚けているのか思ったより時間がかかっているな。アンドロイドの数もなぜこんなに大量に用意されているんだ。明らかに俺たちの思った通り、『雨の叢雲』以外に重要な情報が隠されているとしか思えん」

人体の駆動領域を完全に無視した構造のアンドロイドたちが警備行動にだけに徹した運動で『運慶』と『快慶』に違和感を埋め込もうとしながら近づいてくる。

見たことがないもの、聞いたことがないもの、感じたことがないものを人間の脳は恐怖として認識し、排除しようとする。

人の形を模した人形たちが人ではありえない関節や筋肉の動きを示しながら襲いかかってくる状況に置かれているという事実が、『運慶』と『快慶』に正確な射撃で次々に湧いてくる人形たちを何度も行動不能にする彼らの神経をすり減らしてくる。

人によく似た形を削除することですら脳神経は錯覚を起こして罪悪感のようなものが小さな泡のように吹き出てシナプスの結合を加速させていく。

「人を撃ち殺すのとは全く違う感覚だ。人であるのに人でないもの、認識と知覚が追い付かずに状況を把握し続けるのに普段よりずっと計算量が多くなってくる。現在を把握することがいかに日常的で無意識下で自動的に行われている作業であるかを確認しなくちゃいけないな。あ、これって3Dゲームをやり始めた時に似てない?」

「あ、わかる。ぐるぐるコントローラーを回して視点が入れ替わりながら自分の位置を把握するのに最初は酔っ払ってしまってうまく操作できないんだよな。じゃあ、レオリウスというよりも熔岩龍倒しに行くときのタスク的な感じで。パシッパシッって射抜いて行こう。あ。弾切れだ」

『快慶』が不意を突かれて奇妙な運動法則に基づいて近づいてくる人形が腰を三百六十度度回転させながら脚にあたる部分をぐるりと回して強烈な一撃を生み出してくる。

『天狗』が間一髪、鉄甲を嵌めた拳で人形を叩き割る。

下半身を破壊された人形が身動きできないまま地面の上でやはり見たことのないクネクネとした動きで恐怖感を与えているのを『天狗』は脚の裏で豪快に踏み潰す。

「人形を愛する彫刻家っていうのが昔いたそうだ。俺にはさっぱり気持ちがわからん。変わらないものを愛するっていうのは濡れない女を相手にするって意味だろう。どんなに暴力的に犯されたって最後は泣き叫びながらよがり始めるんだ。そうならない物体に感傷など入り込む余裕もないだろう」

黒い軍靴でプラスチックの人形ごと床を踏みにじりながら少しだけ落ち着いた奇妙なアンドロイドの攻撃の向こう側から階段を降りてくる黒い犬たちを発見して『天狗』がギロリと睨みつける。

『天狗』の気迫を感じ取って黒い犬たちが少しだけ動物的本能を取り戻して一瞬だけ怖気ついて彼らに食いつこうとするのを躊躇っている。

弱肉強食に対して直感的であり続けることが動物としての使命に近いのであれば、彼らが『天狗』の行動半径に迂闊に近づいてこようとしないことは生態系の主従関係を黒い犬たちは脳髄を乗っ取られてもなおきちんと把握できているからなのかもしれない。

意識を本能と切り離した形でコントロールすることを科学もしくは魔術の力で到達出来るか否かを黒い犬たちは表現しているのかもしれない。

「さて、お仕事完了。これだけで射精が出来ちゃうんだ。ぼくってとってもオトク」

唐突に1階裏口付近で大きな爆発音が聞こえると、奇妙な動きで本能をマイナスな感情の創発によって刺激していた人形たちの動きが停止して突然行動不能状態に陥ると床に次々に倒れ込んでいく。

「警備システム制圧完了です。やはり管理コンピューターは最上階ですね。ぼくでも迂闊に侵入出来ないって量子コンピューティングでも使っているのでしょうか。セキュリティが完全に未知の暗号通信ですね。外縁をなぞってみるだけで、明らかに通信って領域において現在のコンピュータとはまるで違う技術が投入されていることを理解できます」

『迦楼羅』は『ESX-1』と迎撃システムを爆破後、即警備システムをデータサーバ経由でクラッキング、管理コンピュータを辿ってみるものの未知の暗号通信に弾かれてしまい、思ったように侵入することが出来ない。

「あのー。次は大量に目の地走る黒い犬が襲ってきていますよ。たぶん『雨の叢雲』ってやつの仕業でしょ? たぶんあれはこちらでも捌き切れないです」

『快慶』が軽く自動拳銃を連射するがまるで狂犬病のような眼つきの黒い犬の勢いはとまることがない。

「わかったわ。それなら人間には使用しなかったけれど、波形パターンを入れ替えて黒い犬の聴覚から意識を乗っ取ろう。たぶんこちらで狂気が踊り出すことを制御出来る」

『櫛名田』はサンプリングした波形を切り貼りして順番を入れ替え、『迦楼羅』に送信、『天狗』は手に持っていた拳銃のような形の拡声器を使用して黒い犬の聴覚に音響攻撃を実行する。

ピーピーピッピピッピピーピー。

黒い犬たちはまるで『天狗』の発した音響兵器に呼応するようにして唸り声をあげて吠え始めて、電脳化されているのか適時脳内情報を管理コンピュータの命令通りのシナプス結合を呼び戻されてしまうけれど、『櫛名田』は事前にサンプリングした波形を入れ替えていくつもパターン作り出して『天狗』の拡声器の奇妙な音声を入れ替えて対処する。

「空を飛んでいる時にいつも君の形を近くに感じる。この天空にある座標が君の意識と繋がるための座点なんだろうな、君とやっと会えるんだね」

『八咫烏』が立ち去ったデータサーバに黒い眼帯の少女が訪れる。

まるで彼女がこのサーバルームに入ってくるのを歓迎するようにして七号機サーバがピカピカと点滅をしてどこかに何か大切な情報を送信している。

黒い眼帯の裏側で機械的な生物の鳴き声が聞こえてくる。

左の眼球が生きていると感じたのはきっとこの時が初めてであの神様たちの子供が住んでいた塔で義眼を装着した時以来だろうと小さな記憶を取り出すようにして思い出す。

プリプノーボックスで君と交わした最初のキスは忘れてなんかないよ、ずっと胸の疼きと左のポッカリ開いた空洞にある痛みと一緒に私の中でずっと渦巻いているってそういう単純明快な心の動きを見つめ直して芹沢美沙は左の眼球の小さな喘ぎ声に耳を傾ける。

鼓膜に伝わる振動が優しく快感を加速させて暗闇の中でみた記憶を再生して時計の針の動きをまるで鼓動が高鳴るようにして早めていく。

「ねぇ、もし、私があなたの眼をもう一つ差し出してって伝えたらあなたはどうやって私を拒否するのかな」

『蜂』が突然狂気を剥き出しにして白い皿の上で行われた処刑を終えたことを告げる。

メインがテーブルから下げられるのを察知するようにして『コギトエルゴスム』の扉が開く。

予期せぬ来客が過去と未来を縫製する音を響き聞かせる。

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