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動物たちと寝起きを共にしてきた元調教師として気になるクマとシカの話


ツキノワグマとヒグマはなぜ体の大きさが違うのか

全ての哺乳動物に当てはまるわけではないが南方に暮らしている動物よりも北方に暮らしている動物の方が体が大きい。例えばクマ。マレーグマより北に住んでいるツキノワグマの方が確かに体が大きい。ツキノワグマより北にいるヒグマの方が大きい。さらに北に行けばホッキョクグマは巨大だ。北に住むクマの体表面積が大きいのには理由がある。「寒い」からだ。冷凍庫の中に水を入れたとしよう。小さなコップに入れたものとバケツに入れたもの。どちらが早く凍結してしまうだろうか。大きい方が有利なことがわかる。このような現象を現したのが「ベルグマンの法則」だ。

本当かね〜・・・

マレーグマ、ツキノワグマ、ヒグマ、ホッキョクグマの実物を飼育をしてみたら本当だった〜

ホッキョクグマは肉食性が強いので主食は肉。成獣で一日約30キロの肉をペロリ。他のクマ(マレーグマ、ツキノワグマ、ヒグマ)の主食は「ふかし芋」。リンゴなども与えていた。

クマの調教を外部からも依頼された

比較的小型のヒマラヤグマを同時に4頭だった。クマとの付き合いは素直、非常にむずかし。まだニシキヘビたちの態度の方がまだわかりやすい。馬やラクダ、ライオンなどもとても表情豊かだ。機嫌が悪い、良いが目や耳に出る。

ところが熊は「黒い毛の中に黒い小さなめ目。耳も小さいし表情が読み取りづらかった」さらに動きが敏捷ときている。

クマの一般的な印象はゆっくり、のそのそ動いていると思われている。ところがどっこいとんでもない。野ウサギやシカが森の中を駆け抜けるようなか俊敏な動きに。追いかけられたら到底人間などかなわない速さだ。

哺乳類の記憶

動物の調教や飼育を60年ほどやってきてつくづく思うことは、大型で単独、クマのように母親と子供達のように暮らしている動物達は、個体の記憶力が凄まじいく優れているように思う。

ある年の春、動物園に子熊が保護されてきた。私の担当ではなかったが、あまりにも可愛いらしいので、担当の飼育係に断って遊ばせてもらった。体重が70キロ越えとなって、クマ専用の飼育舎に移っても私が行くとただただ甘えてきた。これとは反対に飼育係でも面白半分で動物達をからかうものがいる(1動物園に一人は残念者がいる)。彼も子熊をからかって遊んでいたが、明らかにイジメにていた。子熊が悲鳴で担当の飼育係からたびたび注意を受けていた。成獣となった熊は彼の姿や声だけで檻に噛みつき攻撃的な動作興奮状態になった。遠路を歩く彼に唸り声をあげて飛びかかった。檻があってよかった〜と彼の独り言を偶然聞いちゃった。そんな彼は一頭のトラからも嫌われていた。幼少期のトラに子熊と同様なことをした(本人の証言)ことが恨まれている。

野生動物はペットではない。

共存なんて無理。チャレンジは無謀

今、直近の重大な問題として「北海道ではヒグマ。本州ではツキノワグマ」の人への被害と場合によっては行政による出現したクマの処分が実施されている。野生動物達にとっても人にとっても不幸だ。生物多様性のスローガンを掲げながら相変わらず開発は止まらない。川や湖、里山から奥山まで人は高圧的に行動圏を拡大している。シカやクマたちの研究者と名乗ってきた大学等の先生方はなりをひそめている。今こそ出番ではないのか。対策はないのか先生諸君。
生身の動物達と寝起きを共にしてきた私にはある。クマも人もどちらも命が奪われない方法が。哺乳動物だからできる対策だ。一例を挙げるとしたら「タコ獲り」。捕獲されたタコ穴が開けば新入りが入る。動物達にとって人気がある場所は決まって居る。我々人間だってそうだ。豊かな食料、魅力的な環境に集まる。自然なこと。クマもそれに近い行動をする。だが、命にかかわる凄まじい怖い思いをした場所には近づかなくなる。殺してはいけない。何故ならばそこで個体を抹殺してしまうと、あいた場所に新たなクマがやってくるからだ。それだけ魅力がある場所は他の個体も狙っている。だが、命に関わる本当に恐ろしい思いをした個体は、クマに限らず同一場所には近づかなくなることがほとんどだ。

来たことでとんでもない思い(半端なものではダメ)をすれば足は遠のく。高等哺乳動物の学習行動とはそういうものだ。

現実を直視し具体的な対策に向けて国家が本気で動き対策予算の裏付けが必要。現状では共に不幸な運命となる。クマとの共存なんて夢物。相手もそんな事(聞いては無いが)望んでない。

隠れないで先生達

私はかつて国内で知られたある自然保護団体の理事を務めていた。当時、シカの保護の名目で特定場所での餌付けが行われていた。行政が管理する山の施設でも同様なことが行われていた。

「餌付けすることは互いに不幸になるからやめてほしい」と言い続けたが。一向に振り向いてはくれなかった。行政担当にも再三中止を求めたが、適当にあしらわれているのを感じた日々。行政は〇〇大学の肩書きに言いなりだった。餌付けの中心となっていたのはA大学、N大学、T大学の学生達。リーダーはN大学の当時助教授。

「特定な大型草食獣を増やしてしまう。やめてほしい」繰り返す私に「神保さんはシカがかわいそうとはおもわないのですか?」。「え・・・・」一瞬言葉を失ってしまった。

学生達は助教授に言われるままに、毎週末は当然、平日もシカの餌付けようの食物をトラックの荷台いっぱいに積み込んで山の広場にまいていた。行政機関での餌付けに対しては該当の県知事宛に餌付けの禁止を職員に指導して欲しい旨を伝えると共に2回ほど直接あってお願いし、名目上は中止になったが、職員達は餌付けを辞めることはなく、施設周辺には常にシカ達が群がっていた。

シカの食害による植物の消失で食草をえられなった昆虫の減少。隠れ場所を失ったノウサギやヤマドリたちはクマタカなどの天敵から発見されやすい。一時的に豊かな食料を得られることで、肉食性の動物の繁殖率が向上する。だが、増えすぎた為に獲物不足となり肉食性の動物達も不幸な運命となるかも知れない。

現在のシカによる農林業の被害問題の全てが関係大学が何十年も絶やすことなく行ってきた大量の餌付けだけによるものではないと思うが・・。だがかなりの部分で特定地域のシカの生息数に影響を与えたと思う。腹が立つのはあれだけもっともらしいく学生達を洗脳し餌付けを先導した連中が現在のシカ問題になりを潜め知らんぷりだということ。

10歳から始めた飼育係の僕は今71歳

自宅の動物達

小学校4年生で初めての飼育係を経験。鶏、ハト、ウサギ、カメ達の世話。初めてハトを両手で抱えた熱い感動。ハトの体の鼓動の感触はかれこれ60年以上たった今でもよみがえる。70歳を超えた現在も馬に乗ってはしゃぎ小学校の時と同じようなことをやっている自分は幸せ者である。

振り返れば小学校4年生以来ズ〜と動物達との付き合いが続いている。学生時代のバイトも動物関係。日当の給与がよかったので飛びついた。

オスジカの角切り

ある神社で30頭ほどのニホンジカを飼育していた。秋はシカの繁殖期。オス同士の小競り合いが日常となる。各自、自分の角をこの日の為にしっかりと研いできた強者達だ。

角切りは5名で行った。オスジカだけをテニスコート程の広さの運動場に全員で追い込む。シカを一定方向に円を描くように追い手(セコ)3人が静かに追う(強く追い過ぎると、興奮したシカが180センチの柵を飛び越えてしまうか ら)。2名はロープを投げ縄状にして、一定方向に走っているシカの角を目掛けてロープを叩きつけるように投げる。ロープが掛かったシカは頭を地面に擦り付けながらジャンプしながら暴れまくる。投げ縄をかけた人間はそんな事にひるまず運動場中心に深く埋め込んだポールにロープを巻きつける。私は追い手担当。そしてロープにかかったシカが中心のポールに寄せられている時に再びの出番となる。シカの後脚を掴み引き倒す役目だ。一人は引き倒したシカの前足を腕力で固定。布で目隠しされたシカは嘘のように大人しくなる。いよいよ角切りだ。角は「鉄ノコ」を使って切る。その時の役目は「ヤカン係」切っている鉄ノコ摩擦で焼けないようにヤカンに入れた水を鉄ノコと角にゆっくりと掛ける。初めての角切りバイト。朝から不安と興味で興奮気味な自分。バイトのことは母親にも伝えてある。

「角切りって危なくないのかい?」。

「簡単らしいよ。心配ないからさ〜」。

無事に角切りを終えて大満足で帰宅「ただいま〜」の声をかき消す母親の興奮状態「どうしたの?」

「どうもこうもないでしょ。もうシカの角切りきりなんてやめてよ」

「大丈夫だよ〜全然」

「見たんだから。あんた達がシカを追い回して角を切るところ。あんたがシカの足を持って振り回されているのを・・・テレビのニュースでやってたわよ」。

シカは可愛い〜それはバンビさんの時期だけ。成獣となった特にオスはカッコイイ。特に野生のシカは。迫力がある。

調査中に出会ったオスジカ。

堂々と向き合って一歩も引かないオスのシカ

逃げも隠れもしない。私との距離は8メートルほどだ。思わず「君はすごいぞ〜カッコイイじゃん」と褒めちぎってやった。約1mの角を振りかざし誇らしげだった。

動物園で飼育しているオスジカは繁殖期となるとシカが変わる。穏やかさがミジンもなくなる場合がしばしばだ。こんな時は私が呼ばれる。「飼育係が入れない。なんとかならないか」とのこと。もちろん何とかなる。事故が起きてからでは遅い(オスジカのツノで刺された飼育係の死亡事故も起きている)。

動物達と共に暮らした日々

調教を終えて音楽隊を先導するベー号に騎乗する私

横浜ドリームランド(昭和39年開園、平成14年閉園)。夢の国の音楽隊は約30名。先導をするのは素敵なバトンガールの隊員達。全体を先導するのは私が率いる騎馬隊。

園内に響く迫力ある音楽隊の演奏。バトンガールの皆さんのパホーマンス。駆け寄る子供と大人。歓声。そんな中を平然と歩く馬たち。何事にも動じない動物たちの調教と訓練業務が私の仕事だった。パレードの時は騎馬隊長に変身。最初は小っ恥ずかしかったが、慣れとは恐ろしい。快感になる。馬上から眺める風景に酔いしれる。

共に暮らしたウマ、ラクダ、ロバ、ライオン、ヒマラヤグマ、チンパンジー達はみんな良い子達だった。

ほめて、ほめて、褒めちぎるのが私流

動物との信頼関係を得るための付き合いは競馬馬や乗用馬の一部で行われている調教的なの付き合い方とは全く違う。頭ごなし、力ずく、シゴキなどで仮に関係を築いたとしてもそれは「人間側の全くの思い込み」ただ怖いから。殴られるから。彼、彼女たちはとても考える能力がある。上から目線で押さえつけられたものは常に反撃のチャンスとタイミング見ている。

ほめるためのキッカケを作ることの方が重要。褒めることで悪いところはなく行くものだ。根気と優しさ、勇気があれば誰でもできると思う。

遊園地の動物達は調教師の日常的な関わり方が重要。どのような場面でも心も体も理性を整えて安定した状態を保つことによって動物と入園者のトラブルや事故を防いでいる。園内に出ていく全ての動物の調教はほぼ私一人が行っていた。そんなある日、突然だった。ある動物園関係者からスカウトされて動物園に移った。

つづく



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