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言葉が刃物に変わる時。

言葉は相手の闇を照らす一筋の光になることもあれば、相手を傷つけ殺すこともある。

普段言葉でやり取りをしている僕たちは、言葉の扱い方も考えながら行動する必要がある。特にみんなが気軽に言葉を綴れるようになった今だからこそ。

言葉が相手を傷つける刃物になるのはどんな時だろうか。怒鳴ったりする語気の問題は言葉ではなく、言葉の周りにあるものが関係する。言葉自体に目を向けると、それは”理論を持たせたとき”ではないだろうか。

「理論武装」という言葉がある。言葉通り”正しさ”という鎧をまとって攻撃を仕掛けるものだ。例えば「AはBで、BはCでしょ。だからAはCなんだよ」のように、論理的な伝え方は相手を説得しやすい。

論理は確かに正しさを帯びて強くなる。それが必要なこともあるけど、正しいことはしばしば人を傷つけると思っているので、論理に頼りすぎるのは考えものだ。

例えば口喧嘩をするときには理論がものをいう。武装しているから強くなる。僕も何か言われると言い返したくなるし、言えば相手がぐうの音も出なくなることは想像できる。でもそれでは相手を押し黙らせてしまうだけで解決したことにはならない。理論でまくし立てるのは、さながら言葉という刃物で相手を傷つけるようなものだ。

子供は刃物を簡単に扱えなくなった。危ないからと親が止めるからだ。以前は、子供の頃から刃物を鉛筆削りのときに使っていて、小学生を終える頃には自然と慣れていったという。そんなことが刃物になりうる言葉にも必要なのかもしれない。使った方が慣れるのなら、いつもそれは意識したい。


おわり




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