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備忘ログ「時間との付き合い方。」2/18-24

季節外れのインフルエンザになった。思い返せば予兆はあって、あぁ、あそこでもっと気をつけておけばなぁとか、友達の言ってたことを思い出せば良かったとも思っていたが、防ぐことはできなかった。

なってみれば、外には出れないし、大して動くこともできないしで不便だ。手元で本を読んだりスマホをさわってみるも疲れは早めにやってくる。自然と、ぼーっと考えることが多くなった。もっと早めに更新する予定だったけれど、少し置いての更新になる。

今回は「時間」について。これはこの一年、僕がゆっくりと考えてみたいテーマの一つだ。「時間は有限。」なんてことは、もうわかりきったことであるし、書くまでもない。もう少しなんとかならないか、ということに近い。

「時間がない」「時間に追われる」という言葉がある。1日が24時間であることに変わりはない。その中で、テクノロジーが、人というものがどんどん進歩して便利になっているのだから、余裕があるはずだろうと思っていた。

でもそうではない。むしろ埋まっていくし、隙間がないという人が目立って見えるようになったのは僕だけだろうか。多くはみんな忙しいようだ。この危うさは、ミヒャエルエンデの『モモ』辻信一の『スロー・イズ・ビューティフル』など前々から言われていた。

どうしたらいいのか。

そんなところから出発して、今週の備忘ログを始めよう。

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時間には、密度の濃淡がある。

ほぼ毎日読ませてもらっている古賀史健さんのnote。古賀さんはベストセラーになった『嫌われた勇気』のライターをしていたことでも知られ、最近はほぼ日のインタビュアーや編集もしていてよく見かける。

このnoteは、「がんばりすぎる人」へ向けた「がんばり、努力」を目的に持つことの曖昧さについて書かれている。特に響いたのはこの部分。

がんばりすぎる人(うまく力を抜けない人)はどこか、おこないのすべてを誰かに採点されているようなプレッシャーを日々、感じているのかもしれない。それで肩に力を入れたまま仕事をこなし、結果「がんばり」が報われないと不満を感じているのかもしれない。
「がんばり」が報われないのは当たり前の話で、「がんばり」に意味がないという以前に、そんなにもじっとあなたの毎日を観察・評価してくれている人間なんて、どこにもいないのだ。あなたは誰からも監視されていないし、日々刻々の評価にさらされているわけではないのだ。
逆にいうとそれは、あなたの「がんばり」を採点している人もいないということで、その気づきはもう少しうまく力を抜く一助になるのかもしれない。

僕も似たようなところがあった。変に真面目なところがあって、常に力が入っているような感覚。もちろん、それによって丁寧さがでるという良いところもある反面、最後の最後で気が抜けて詰めが甘くなることもある。

全部をがんばろうとするのは身体的にも精神的にも頑なになってしまうから、緩みを作ってあげないとむしろよくない。もとはゆるい人間だから、最近は少しずつバランスが取れてきたけど、まだまだうまくいかない。

時間にも同じことが言えるかもしれない。人が活動する時間には、密度の濃淡がある。それは集中力が関係している。ずっと濃いとかずっと薄いなんてことはなく、一瞬ですぎる時間もとても長くを感じる時間もまだら模様にある。一見それはグッと力を入れた「がんばり」が集中を生み出すかと思えば、案外それは力を抜いた時だったりする。

うまく「がんばり」と付き合うことができたなら、時間も生まれやすくなると思う。


忙しさ、良し悪し。

たまに読んでは考えさせられるものも多い嘉島さんのnote。所属しているBuzzFeed Japanはニュースやエンタメの情報をお届けするとあるが、濃い記事を見ることも多く、読むのが楽しいメディアである。

このnoteは、「忙しさ」というのを主題にして、身を任せれば自分という人間が空っぽになる恐ろしさを描いたものだ。特に響いたのはこの部分。

忙しさはモルヒネのようだ。孤独を忘れる。幼き日より、ずっと投与し続けて今に至る。
実際、そのおかげで自分のやりたい仕事に就けたとも思う。才能もなく、薄っぺらい人生を送ってきた人間が文章を書く仕事に就くなんて、夢物語もいいところだ。書くことは初めて熱中できること。無能なりに憧れ続けた「何かを生む」という行為だった。取材をするのが好きなのは、空っぽの頭を誰かで満たしたいからだ。
このご時世、休むのが大事だと言われたりする。家族と向き合うこと、好きなことをやるべきだよ、と。お願い、私から仕事を取りあげないで。生きる意味がなくなってしまう。
心が亡くなると書いて忙しいと言うが、心なんていらない。そんなものがあるから痛みを感じてしまう。
そう思って生きてきたが、忙しさで埋まった私の人生は結局のところ何もない。無能な人間の成れの果てそのものだった。心血注いできた書くという行為が急に怖くなったのは、空虚な人生に気づいてしまい、そんな人間が何かを生む資格なんてないと思ってしまったから。

忙しさに身を任せれば何も考えなくてすむ。心を亡くすなんて字を当てるが決して悪いことばかりではない。雑念が入らない状態でもあるし、忙しさという外からの刺激によって自然と集中状態に持っていくこともできる。

ただ「忙しさ」に身を傾けているといつしか、ふと立ち止まった時に何も残っていないなんてことにもなるかもしれない…とこの記事を読むと考えさせられる。

だからこそ日々考え続けている自分がいる。やはり忙しさは諸刃の剣だということを忘れてはいけない。


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今週は2記事。「がんばり」や「忙しさ」は時間と繋がっていて、生み出したり崩していったりするから難しい。

ここには書かなかったけれど最近読んだ対談記事はとてもよかった。


ぜひゆっくり読んでほしいものです。

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