喫茶店は、香りと時間を楽しむもの。

コーヒーがどこでも美味しく飲めるようになった。

コンビニコーヒーが優秀なのだ。大学生の時に出会った驚いた僕は、時間があるのをいいことに各種コンビニのコーヒーを飲み歩いては試した。

コンビニコーヒーといえば、ずっと缶コーヒーのイメージでコーヒーと名をつけてはいるが、淹れたものとは明らかに違っていた。

でも、どうだろう。

豆から挽き、いろんな会社の技術を総動員して作られた今のコンビニコーヒーは、もはや侮れない存在になった。

コーヒーハンターの川島良彰がだしている『コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか』からもそう感じてしまう。コーヒーをつくる人、運ぶ人、飲む人。みんな感じている。

味は美味しく、値段も安い。そんな勢力が生まれたなかで喫茶店やカフェで飲む「コーヒー」はどんな意味をもつのだろう、と。

僕が喫茶店やカフェにいく時、求めるものは味よりもコーヒーの香りやその場所で過ごす時間、空間だった。

コーヒーの香りが広がった店内で、マスターが淹れる姿を見ているのが楽しい。木の統一された家具に囲まれ、時間の止まったような空間で、何も考えずコーヒー片手に本を読む時間が癒しになる。

コーヒーを介して作られる空間や時間、世界観がそこに行きたいと思わせる。意味をもたせる。

だからだろうか。初めて入ったカフェでコーヒーも美味しくて店主も優しい人なのに、お店に置かれた椅子や机がどこかオフィスっぽくて気になってしまう。美味しいんだよ、美味しいんだけど…うーん。

コーヒーを飲みに行っていたのに、コーヒーではない別の原因で行くことはなくなった。センスや世界観、コーヒーから滲み出てくる店主の哲学をはらんだ空間そのものが大事になるのだろう。


おわり

サポートは心の安らぎであり、楽しみである読書のために書籍代にしたいと思います。それをまた皆さんにおすそ分けできたら嬉しいです。