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老親日記ー続き(CVポート手術に立ちあう)

9月20日 水
 昨日は母のCVポート手術の日。琴似八軒の専門消化器病院に付き添うためにひさしぶりに入院先の病院へ。母に会うのももうひと月ぶり。ストレッチャーに寝てやってきた母は端的に寝たきり老人。でも変わり果てたとかという感じではない。ひと月前に比べるとやはり目がしっかり見開いている感じではないが、口調はそれなりしっかりしている。介護タクシーで向かう中、やっぱり「帰らせてほしい」と言われてしまう。「家で、外に出ないで静かに寝てるから」と。僕としては「そうだね、そうだよね」としか応えられない。ただ、その訴えにあまり真剣味は感じられなかった。言の葉に上るさまざまな想念の中の一つという感じ、と考えるのは僕の身勝手な推察だろうか。

 病院はかなり混んでいた。介護タクシーの人がストレッチャーで病院に入って受付で待たせてる中、思いのほか若くてがっちりした看護職かと思われる男性がにこやかに声をかけてきて、自分が担当の医師ですと。感じが良く、またやはり外科のお医者は壮健なイメージだろうなというそのままな人だった。

 祝日を挟んだ火曜日ゆえか、お客も多く、専門病院のせいか車椅子の高齢者や母と同様ストレッチャーに乗っている人、そして意外に若い人も多く、処置室はかなりな混みよう。その中を次々に看護師さんが患者さんの処置をしていく。合間に時おり先ほどの担当医が顔を出したり指示したり、また出ていったりしているがぜんたいを見渡す視線のありようが半端ない感じだった。単純にこういう先生なら大丈夫かなと思ったし、なによりも看護師さんたちの多忙ぶりはかなりなもので、思わず尊敬の念と、こんなにハードでメンタルやられないか?と思った。

 母は相変わらず体に触れられることに強い抵抗があるようで、血圧を測る、採血をすると言った時点で「いやだ、やめて!」の一騒ぎ。かつてとの根源的な違いはこのあたり。ただ、手術の開始時間まではけっこう待ち時間が長く、そのあいだストレッチャーに寝ている母の横に座って「落ち着いていられるか」ハラハラしてたのだけど、意外にもずっと静かにしてくれていた。

 簡易な手術だけど、施術が始まる時も母の叫び声が聞こえていた。術後に医師が「無事終わりましたよ」とにこやかに。「大丈夫でしたか?抵抗しませんでした?」と聞いても「いや、ぜんぜん。昔話をたくさん、楽しそうに話してくれましたよ」と言ってくれて、その言葉にホッとした。

 ここから概ね2週間くらい今の入院先に戻ってCVポート、つまり体に埋め込んだ高栄養点滴中心静脈用のポートから副反応の様子を見て、問題がなければ退院して契約を終えた老人ホームへ移行する。
 帰りは入院先の看護師さんが来てストレッチャーを運び入れて、人手が足りないために治療先の看護師さんが4人くらいが手助けしてストレッチャー間を移動したのだけど、その時もまた「いやダァ、またこんなこと。寒い、やめてー」とひと騒ぎ。だけど、終わって仕舞えばもはや抵抗ひとつない。

 なんだろう?自分の体に触られることの抵抗はまるで赤ちゃん並みの大騒ぎなんだけど、僕との会話では(通じない話も多いけど〕「あなたはごはんをちゃんと食べなさいよ」「お金は大丈夫なの」と母親目線というか、親目線で。その赤ん坊のような動物的抵抗と、こちらの日常を気にするような大人な気遣いと、そして老いた身体と。その全体が併せ持つ今まで外に見せてこなかった自然体、そして同時に身についている体面性とがない混ぜになっていて。

 こんな恥ずかしい表現は使いにくいが、そんな母が「愛しいもの」に思えて仕方なかった。もちろん、しばらくあえずにこちらが正直寂しかったこともあるけど、素の母の姿に立ち会える経験はかなり悪くないんじゃないかと素朴に思ったことだった。

※ 追記
 日記を書いた昨日、病院より連絡があり、本人は10月4日に退院して老人ホームに転居することが決まりました。経過は順調とのこと。
 また、今日改めて連絡があり、病院から移動する介護タクシーはストレッチャーじゃなくリクライニング式の車椅子を使う予定とのこと。そのほうが外の景色が見えていいでしょう、と。車椅子に乗れることが当方としては望みだったので、とても展望のある良い話として嬉しく聞けました。(9月21日)

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