映画『記者たち』を観てきた

●国家的な嘘の大手振り

映画『記者たち』を観てきた。
内容はイラク戦争においてアメリカ政権が最初から911テロに乗じてイラクに戦争を仕掛ける目的でイラクのサダム・フセインがビン・ラディンとつながっているという嘘、大量破壊兵器を隠し持っているという嘘に対して地方新聞への配信ネットワークの記者(主に二人)と編集長が真実を追求し、アメリカ政府の嘘でイラクへと戦争に仕向けられる方向に対して疑義の取材をしていく。政権内部の中枢にはなかなかは入れないので、末端を探りながら大統領や国防総省の目論見を暴こうとする。戦争に突入する前に。何故か。彼らの使命は戦争に送られる家族を読者と考えているから。

そこで、詳しくは以下に載せるインターネット番組を見てほしい。ジャーナリストの北丸雄二さんが01年911以後のイラク戦争へ突入する頃のアメリカの愛国主義的な異様な空気がどんなものであったか分かるはず。
記者がどれほど真実を追求しようと努力しても、おそらく911ショックで耳を貸せなくなっている一般大衆と、その空気を利用してイラクへと戦争に邁進するブッシュ政権。フセインを亡き者とすること、イラクの石油を目的とする戦争をしたい。例え嘘を強弁しても。おそらくフセインを排除したあとは傀儡(かいらい)をおけばイラクの潤沢な石油も手に入ると。出口戦略もなく戦争に突き進んだのであろう。そう考えると、すでに「真実で人は目覚める」と考えるのは難しいことだな、と現代的なニヒリズムを思う。力を持つもの、武器で圧倒するもの、強いものと過信する人々にとって、復讐のカタルシスがあれば真実へ至るために複雑な機微などはどうでもいい。
そう考えると気がふさがるものだ。なぜなら当時イラク攻撃の確たる証拠はなく、世界中で市民の反戦運動が起き、それでもアメリカはイラクをやった。この感覚は根本的に反省されることなく、いまのトランプ政権まで繋がっていると言えるだろう。ところで、映画の前半でハッと思ったのだが。
なぜかの理由を後に示したい。

●自分で考えるという力と予見の力

話を変えるようだが、ぼくには恩師と言える精神分析療法家がいる。その人に月一回ぐらい会って話す長い付き合いがあるのだが、911以後、アメリカがアフガニスタンに空爆した時か、その直前だったか、アフガニスタンに長く滞在し医療活動や水の確保の活動をしている中村哲医師の講演を聴いた。その中で見たアフガニスタンは荒涼とした緑ひとつない山また山。正直そこには攻撃する理由が見当たらない第三世界だと見えた。ぼくはかつて無いほど内側にエモーションを感じた。
その話をその恩師に話した。「あんな何もない、政府も機能しない場所に空爆とはあまりに酷い、いくらタリバン掃討だとは言っても」
その言葉に対して恩師は事もなく言った。「アメリカの目的はアフガニスタンなんかじゃ無いよ。本当の狙いはイラクだ」。それはおそらくまだ911が起きた01年のこと。イラク攻撃はその一年半後くらいだったし、どうしてイラクが本丸なんだ?とビックリ仰天だった。そんな予測は日本では誰もしてなかったから。少なくとも僕が知る限りでは。
でも、ぼくがびっくりして考え込むのは、恩師の発言が馬鹿げてる、あり得ないとは思えなかったからだ。なぜか。それは今までも恩師の世界大の大きな事象に対する予見が沢山当たってきたのを聞いてきたからだ。

証拠に。
まず驚いたのは湾岸戦争。アメリカの国務長官とイラクのアジス外相(当時)の会談時には、「あんな会談は茶番でしかない。アメリカはやると決めたら必ず戦争を始める国だ」と。実際その後すぐに多国籍軍は開戦した。

もうひとつその先生を信用せざるを得なくなったのはバブル崩壊時のこと。湾岸戦争の頃にバブルが弾けたのだが、その時に会った時、恩師は別れ際、「もう日本は二度と経済の良くなることはないよ」といつになく、真剣にこちらの目をまっすぐに見て言った。
それは何というか。「覚悟しておいた方がいいよ」と暗に言っているようだった。

だからその後思うようになったのだ。この人の予見はその時にはアサッテの方向に見えても、ちゃんと見抜いているのだ、ぼくが知らない形で情報の判断ができているのだ、と。

当時はぼくは恩師は医者でドイツ語ができるから、ヨーロッパの何らかの情報誌から整理しているのかと思ったりもした。
だが、より一層大きいのは臨床の積み重ねにおける人間の動機、政治の動機、役割を司るものの動機をその心の深層から考える癖がついていて、キャラクターの傾向分析も含めて見ているのではないか、それが大きいのではないかと思うようになった。つまりは「人間」から見ているのだろう。言葉は悪いが、ある大きな行為を振るう人間の動機の深層を解剖的に理解できる癖があるのかもしれない。
恩師が言うには、「人間の行為に驚くことはそうない。驚くのは自分が想定してない行為へ向かった時。だから人間は面白い」とも。

であるから、そのようなややその時点では想定外の言葉、仮説もなぜそういうものが出てくるのか、僕は考え込んでしまう癖がついたと言えるかもしれない。

●既定路線だった戦争

長々と恩師の観察眼の鋭さばかりを論じて申し訳ない。
ぼくがこの映画の前半でまず驚いたのは、すでにかなり早い段階で政府高官が本当の狙いはイラクだ、という言葉が飛び交っていたことだ。特に国防省筋。ラムズフェルド、ウォルフォウイッツ。つまりネオコン筋の国防総省では直ぐにイラクに向けて何かしようという方向があったのだと。なんと、まるで自分の恩師が既に国防総省、正副大統領の考えが聞こえていたかのようだ。内情は実は既に標的は決まっていた。(それも恩師の歴史に関する洞察だったのだろう。のちの映画では息子ブッシュがパパ・ブッシュがしなかったフセイン殺害をして手柄にしたいという動機があることをクローズアップして、オリバーストーンも映画化している、当時もイラク攻撃に際してささやかれたこと)
だが、記者たちは噂は聞こえども、裏づけがないと記事にはできない。憶測では記事にはできないのだ。

でも、たとえ裏づけが取れたとしてどうだろう?国民はその記事で変わるだろうか?911の攻撃的でヒステリックな愛国心は記事で変わるだろうか。上記のように、面倒な覚醒を人びとは望まないのであれば……と多分にニヒリスティックに今は考えざるを得ない。なぜなら今はトランプやアベの時代。フェイクニュースというもの言いや、メディアの扇情など、とんでもなくベタな時代に生きているからだ。
それでも、理性や真実に反応する人たちも当然いる。まして戦争となれば、圧倒的な力量があっても勝利の軍も必ず犠牲者が出る。この映画でも冒頭に登場するのはアメリカのイラク戦争に参加して車椅子生活になった兵士だ。

そういうことなのだ。さて、あとは北村雄二さんの熱い思いを、当時のアメリカの空気についてを映像で見てほしい。実際、この戦争から受けた社会不条理に関する関心は、僕にはおそらく生涯抜けないトゲだ。ISからシリア難民のいまに至る大きな余波はこの出口ない嘘つきの戦争から始まっているし、トランプ現象にまで墜ちこんだ現状のいまでもある。



よろしければサポートお願いします。サポート費はクリエイターの活動費として活用させていただきます!