なぜ、主体的に生きることができなくなるのか
昨日、主体的に生きることについて書いた。
主体的に生きる上で、必要な視点を書き残した。
まだの方はぜひご覧ください。
さて今回は、
「なぜ、主体的に生きることができなくなるのか」を
テーマに話を進めていく。
1 人はもともとは主体的である
冒頭で述べたように、今回のテーマは
「なぜ、主体的に生きることができなくなるのか」
である。
言い換えると、
人はもともと主体的に生きることができていたのだ。
それはいつなのか。
赤ちゃんの頃である。
赤ちゃんの頃は、気になるものに
どんどん近づいていき、触り、時には口に入れるなど
怖いもの知らずでどんどんアタックしていく。
つまり、
「したい!」「やりたい!」という
好奇心のまま突き進み続けているのである。
これは主体的に生きている状態
「自分のありたい姿(自分の好奇心のまま)を
体現し続ける(突き進み続ける)」
である。
2 主体的でなくなってしまう原因
ただ、いつからか、主体的でなくなってしまう。
それはなぜなのか。
「ノルマをこなすことを大切とする関わり」
が大きな原因の一つになっていると思う。
ここでいうノルマとは
先生や親などから与えられたことである。
明治維新以降、
日本は欧米列強にいち早く追いつき
追い越すことを大切にしてきた。
このような時期に、
「みなさん、主体性をもって」
「個性を大切に」
だと、国を強くすることはできなかったと思う。
また、第二次世界大戦以降
戦後の復興のためには、強いリーダーシップの元、
任務を遂行する力が求められてきた。
今の平和な日本があるのは紛れもなく
この時代の教育、この時代を生き抜いてきた人の
努力の結晶である。
そして、モノの時代だからこそ
適した教育のあり方であった。
しかし、今は
コトの時代、ヒトの時代である。
だからこそ、今は
主体的に生きることができる力を
育む環境が必要不可欠である。
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