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食べなくていいよ…は、甘やかし?尊重?線引きは?

子どもがご飯食べないとき、『食べなくて良いよ』は、甘やかし?尊重?

子どもがご飯を食べずに、遊びに夢中…

遊びが気になって、ご飯に全然集中できない…

こんな時に、
『まだ遊びたいんだね、じゃあご飯はあとでいいよ。』

というのは、子どもを尊重しているのでしょうか?
それとも、甘やかしているだけなのでしょうか?

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子どもが遊びたい気持ちがあるから、その気持ちを尊重して遊ばせてあげた結果、食事の時間が遅くなって生活リズムが乱れたり、大事な睡眠時間を確保できなくなったりしては、尊重しているとはいえないのではないかと感じます。

かといって、遊びたい気持ちを無理やり我慢させて、テーブルに座らせてイヤイヤ食べさせるのも違いますよね。

子育てをしていると、こんな場面よくありますが、あなたは普段どうしていますか?

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子どもには、のびのび育って欲しいし、アレコレ禁止ばかりじゃなく自由に遊ばせながら育ててあげたい。

ほとんどの親がこんなふうに考えていると思いますが、甘やかしと尊重の線引きってどこなんだろう?って考えた時に、僕もそうだったように、あなたもうまく言葉にできないんじゃないでしょうか?

ということで、今回は甘やかしと、尊重の線引きってどこ?というテーマで書いていきたいと思います。

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甘やかしと、尊重の線引きがハッキリすることで迷うことがなくなり、子どもに対しても一貫した態度を取ることできるようになるので、子どももママの言っていることが一貫して理解しやすくなるというメリットがありますので、ぜひ最後まで読んでみてください。

結論から言うと、子どもの成長をよく観察して、その時々の状況の中で、子どもにとって最善を大人が判断することがベストです。

当然といえば当然なんですが…

ただ子どもにとっての最善とは、親の都合ではなく子どもの成長にとって重要なことを優先すると言うことです。

ここで気をつけたいのが、子どもにとっての最善のつもりになっていないか?ということです。

僕もそうですが、ほとんどの人は自分の都合で生きています。

だから、子育てでも子どものことを最優先とか、子どもの最善のために!といいつつ、やっていることは自分の都合の押しつけになっていることがよくあります。

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ではどういった状態が尊重で、どういった状態が甘やかしで、どういった状態が押しつけになるのか、具体的な場面を設定して考えてみましょう。

ケースA

休日、子どもと公園に行きました。2時間ほど遊んで子どもに声をかけたところ、「まだ遊ぶ!」の一点張り。このとき、あなたはどうする?
(1)有無を言わさず連れて帰る

(2)どこまでやれば満足するのか、子どもに聞いて決めさせる
(3)子どもの遊びに最後まで付き合う

僕の場合、普段はたぶん2→1の順でやっていると思いますが、あなたはどうでしょうか?

ケースB

子どもの食が細く、ご飯をあまり食べません。今日は、一口か二口食べたところで遊び始めました。そんなとき、あなたならどうする?
(1)無理にでも食べさせる

(2)なぜ食べないのかを考え、その要因を取り除いた上で、「どうする?」と改めて子どもに聞いてみる

(3)食べないものは仕方がないと諦める


僕の場合、普段は2→3でした。

こちらもよくある場面ですが、あなたはどうしますか?

ではそれぞれの選択肢についてみていきましょう。

どちらのケースでも、(1)の選択肢は、無理やり子どもを従わせる行為なので、尊重ではなく親の都合の押し付けですね。

そして(2)(3)については、どちらが正解というのは、この時点では判断できません。

どちらが子どもにとって最善かは、子どもの成長段階によって変わるため、ある子どもにとっては尊重になり、ある子どもにとっては甘やかしにもなる選択肢になっているのです。

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ケースAでは、『あと〇〇回でやめる』と自分決められる年齢なら、(2)を選択して、子どもに決めさせてあげることが最善で、子どもが飽きるまで遊ばせるのは、甘やかしになるかもしれませんよね。

また時間の概念や回数の概念が身についていない段階では、(2)の選択肢は尊重ではなく放任ですし、(3)を選ぶにしても、遊びに満足させるように親が『最後』を演出してあげる必要があるでしょう。

ケースBの場合、ご飯を食べないといけない理由や、みんなで食べる理由を理解できる年齢なら、しっかりとそのことを伝えて話し合い、(2)を選択することが最善と言えますし、まだそういったことを理解できない年齢なら、もう少し遊びに付き合ってあげることで、子どもの気持ちを満たしてあげることが最善になるかもしれません。

このように、親の都合ではなく、子どもの成長段階を見極め、その子に合った最善を判断することで、甘やかすのではなく、子どもを尊重することができるようになります。

そして自分のことを尊重されて育った子どもは、『自分で決めた』、『最後までできた』という経験をたくさん積むことになり、その経験によって自己肯定感や自己重要感、グリットと呼ばれるやり抜く力などが高いレベルで身につきます。

当然、生活していく上で、時間や資源には限りがありますので、すべてを子どもに最善の判断ができるとは限りません。

だから時間的制限や、資源的制約、それをすることによる未来予測(後片付けのめんどくささや、失敗する痛み)など、すべてを含め、その時の状況のなかで、できる限り子どもに最善の判断ができる親でありたいですよね。

何度も言いますが、そのためには成長段階をきちんと把握するための観察が一番です。

自分の子どもがどのくらいの成長段階なのかをきちんと見極められる目を持ちましょう。

そして、できる限り親の都合は横においておき、子どもにとって何が最善なのか?から考えるように意識してみましょう。

でも、子どもの成長段階って、正確に見極める自信ないんだよな…て思いませんか?

実際に自分の子どもを見る目というのは、親というフィルターがかかる分、バイアス(偏り)が必ず生まれています。

バイアスとは、本当はもっとできるのにできないと思ってしまう。

反対にまだ十分いできないのに、できると思ってしまうなど、親の『思い』が混ざることで、子どものありのままを見れなくさせる症状のことです。

でも、これは『ありのままを見る方法』を学べば、バイアスを取り除くことができるようになります。

『ありのままを見る方法』については、今回は長くなってしまうので、次回のブログで子どもをどうやって観察すれば良いのか?について書きます!

ぜひ次回のブログもお楽しみに!

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