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医師だからと過大な依頼心は禁物

中高年になるとひとつか二つ、どこかが悪いという人が出てきます。それらはたいてい生活習慣病の範囲の病気です。最近は歩けば病気が治るということも広く知れ渡るようになりましたが、当然個人のからだの状態によって如何に取り組むかが違います。

ヘルスリテラシーとは何か?

ヘルスリテラシーとは、溢れる医療・健康情報から取捨選択して、実行・実践できる能力を意味します。

医師といえども各種学会に出席する人の体型をみて、話者が『随分立派な体型をされている』ことを指摘すると笑いが出るといいます。なぜ腹囲が重要かというとメタボ基準が必ずしも使える基準ではないからです。殊に男性ははっきりと生活習慣病に結びつく結果に出ているようですが、実践力という点からヘルスリテラシーがないことは明らかです。

使える知識を単にもっているだけ人と、常に実践できる人とでは、実は大きな格差があります。不都合な点、習慣化できる点など、日常生活における各種の障害についても深く理解している人だけが実践できる人です。自分が病気を治したいときには、どちらの医師を選ぶでしょうか。

医療の過干渉が病人・要介護者を増やしている

昭和初期まで生活習慣病は殆どなかったといいます。平安時代の貴族、藤原道長も糖尿病に苦しんだ記録はありますが、体を動かすことで生業を立てていた庶民に近代まで生活習慣病がないことは至極うなづけます。

糖尿病は、当時「飲水病」と呼ばれいてたように、常に喉が渇き、水を大量に飲みます。また、いくら食べても食欲が満たされなかったそうです。わたしも40代で糖尿病となり、同じような体験をしています。糖尿病をはじめとした生活習慣病は、その後幸いにも運動と食事の見直しだけで治すことができましたが、ここではこれ以上語りません。

一方、現代医学では、やたら薬を長期に服用させます。運動の指導も治すための指導はできず、維持することが目的のように見えます。患者数は増えていきますが、過大に干渉して治す機会を遠のかせています。生活習慣病が増えると将来の要介護も見えてきます。

発病初期の頃は、筋肉が大幅に減っているとはいえ、本人もまだ比較的若いという人が多いはずです。男性の腹囲を見ると、面白いことにピークは50代前半ですが、女性は70代後半になってもまだ太くなっていますが、その随分前の50代ごろには病気を指摘されているはずです。

30-50歳代であれば運動への取り組みにも意欲がある人も出てくると思います。しかし、発病して歳月を重ねると筋肉もさらに落ちているために、運動を始めても体力の消耗が激しくモチベーションが上がらないのではないでしょうか。長年運動から遠ざかると、どんな運動も30-40代でも最低でも3週間から1ケ月は実感はわきません。さらに落ちる60-70代となるといかがなものでしょう。

家族は自分に知識もノウハウもなく、医療機関に頼りきりのはずです。薬は根本的治療法ではなく、発病の原因そのものにアプローチできません。筋肉を増やすのは、自分にしかできません。大きく衰えた筋肉を再び増やすには、適切な手順が大切です。介護施設で見かける理学療法士・機能訓練指導士に必要なノウハウがないように見えてきます。

脳梗塞後遺症の運動療法で差

一例ですが、後遺症で何年もたってガチガチに固まってしまった人でも、ある運動療法では体幹部を3つのストレッチからはじめて改善しています。一方、今日の医療現場にこうしたノウハウはありません。結局、医療を含めた情報リテラシーに長けた人で、実践力を身につけた人が健康も維持できるということのようです。

日野原重明医師は105歳で亡くなる直前に書いた『だから医療は面白い』の中で、「医療はマニュアルどおりにはいかないから面白い」と指摘しています。それだけ、まだまだ十分に解明されていないことも多いという証左であるように思います。

医師に過大な信頼は禁物

以上の点から、医師に過大な信頼は禁物で、その指示で動く人たちも脳梗塞などの後遺症に対するアプローチを見ても、不十分なように見えます。それらを念頭に、自分を頼りに『健康』を維持することの本質がどこにあるのか、探っていきたいと今更ながら考えています。


宜しければ、サポートお願いします。「生活習慣病は、自分でしか治せない」と考えています。運動と食事での貴職の生活習慣病の治癒体験を教えて頂ければ幸いです。また、わたしの考え方の不足な点があれば、ご遠慮なくご指摘頂けると幸いです。どうか宜しくお願い致します。