学歴補正など

最後までうまく書けるかはわからないけど、僕が勝手に思うのは話を理解するのに学歴補正はあってもいいだろ。とは思うけど、考えが甘いかもしれないけど。学歴フィルターとかであれこれ騒がれるのは僕の願うところではなくて、そもそもそういうところは応募と募集の数が合わないなら、なにか間違ってるんじゃないかとは思うが。東大の足切りはそんなに露骨でもなかったし。受ける層を特定するだけで。で、まあ学歴社会って記事にいいねが久しぶりについたから、僕の感想を述べたというか、解説的な言い方は好きじゃないからなあ。いや、つまり、いくつかの言説をnoteで見たからまとめとこうと思って、Quoraだとこの話題は流行らなかったからなあ。まあだから、僕が知ってる雰囲気的なものは才能がありなしにからめる、ある種の学歴社会を楽しむ側からすると無粋な物の言い方で、才能があるなしに関わらず、行けとは言わないが、そういう人(学歴のあるなしに関わらず社会に通用するものを持ってる人)は少ないんじゃないかというようなもので、この言及は複数の人で見られた(博士号を取得した人。ネットにおける学歴社会を実感した人など)。これは自他の感覚があまりなく、自分の経験を元に話してはいる。したがって自嘲気味ではあって、というのも学歴は偽れない上、隠す事さえ許されていないので。それから多いのはというか僕へのおすすめは大学論が多いんだが、ボリュームゾーンなのかそれともおすすめされやすいのかわからないが、大学時代をいかにすごしているかを大学生があれこれ書いたものはよく見るし、読んだが、意見がまちまちで、個性さえあって、本当にややこしいはややこしいが、学部などを揃えれば意見が全体で一致するんだろうか。大体においては高卒との差異という文脈を持たせてはいて、大学時代に何をしたかという語りがメインになってはいるが、ある人はモラトリアムという文面から語り、ある人は勉強という側面から、またある人は友人関係を強調していて、社会というものを論じてしまう大学院とは趣を異にする。それから、高校の時の話を書いてる人もいて、結局のところ、勉強やらの議論が本格化するのは高校生の頃かもしれなくて、一つは親との対話で、学歴社会なんか嫌だ。っていう息子と、組織の外からあれこれ言うのは違うんじゃないかと言う父親で、noteの編集部が感心した記事というよくわからんもので見たのは東大に行った人の話で、偏差値55くらいの高校から塾も家庭教師もなしで って悪意のある記事の選び方ではあって、まあ話が見えにくくなったなあ。まあつまりは組織の外から人を招く際に誰を選ぶべきかわからず、そうすると必然的に高学歴(一流大学卒)の人になるという話が一番的を得ていた気はするが、まあ受験はやっぱ東大の人がわかりやすいのか。東大を目指したら、他の大学も受かるから、まず東大を目指したらいい。ってのはわかりやすくはあって。というのとitumiさんがうちは大学進学を目指す人もそうじゃない人もいたと書いてたのがまあ普通よなとは思った。そればっかが関心でもないというか。まあ学生時代力を入れた事はそれが難点よな。言うても高卒でもできるで。みたいな。内容かぶった際の後味の悪さよ。まあ僕の場合はなあ。親は研究職に長い事いたから、受験なんて最初のとっかかりみたいなもんで、みたく言ってて、それも事実で、高学歴というのが博士号を頂点としたあれこれって議論も確かに事実だけど、まあやたら目にするのは東大に何人受かったかを競う塾や高校で、その中で一番は東大だよなあとは思うんだけど、まあそもそもごちゃごちゃ面倒なんだよなあ。たとえば東大って事をいい風に捉えて呼んでくれた人も宇宙飛行士の方が上と言ったりとか(その人は宇宙飛行士ではない)、ややこしいやり方の人もいるからなあ。まあなぜかはわからないけど、今日は七夕で、受かるかどうかを祈る人多かったよなあとは思ってはいて、書こうと思ったは思ったけど、これ面白いのかな。まあ補正して採用するなら最初からフィルターにかけた方がいい気もしてきたけど。まあ結局、落として楽しい人もいないよな。せっかく応募してきたのにさ。

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