自分というのは一体なんなんだろうか②

フカキンです。

前回の話は、自分の価値観は誰にも決められない、安売りはできないという内容である。最後のほうに、「人間である以上」と書いた。今回はこの「人間」というところに注目して書きたい。

なぜ「人間」なのかというと、
①超AI時代において、「人間」であることが重要である
②過去から引き継がれている「人間」らしさが失われていることに対する恐怖を覚えた
からである。

「人間」らしさを失うとということで、上の記事を見たが、確かに動物的、情緒不安定な状態になると書かれてある。「人間性」に必要なこととして、
①マズローの欲求段階説の2段階目にある安全的欲求が保証されること
②それには教育とお金が必要だということだということ
道徳教育の必要性
が書かれてある。

それに対して、
①教育、道徳教育では、想像力・創造力を鍛えていくことだと思う。
そして、それを鍛えるにはどうしたらよいのか、自分の心はどう感じているのか、それをどう言語化するか、それが道徳教育の役目だと思うのだ。
②安全的欲求のために、つまりお金を稼ぐのに「人間」らしさを失う状況、つまり想像力・創造力がなくなる状況にしないことがポイントである。
この事柄は現状の資本主義経済を改良することで解決されると思われる。
自分が気になったのは、佐藤航陽が提唱している「価値主義経済」だ。

これは、自分の価値を最大化することにより、利益に変えられるそういった経済だ。つまり、お金を稼ぐと価値が上がるという資本主義の考えとは因果関係が逆転することだ。
それを踏まえて、お金を稼ぐのに「人間」らしさを失うというのは解決できる可能性を秘めていると考える。つまり、「人間」らしさ(=価値)を高めていくことにより、利益に変えられる(=お金を稼ぐ)ということだ。

それをサポートできる状況を生み出したいと思う。

【追記】
道徳を教えるとなるときに、自分が疑問に思うのはそもそも何をもって道徳なのかがはっきりとしないところである。(もしかすると道徳という言葉自体が流動性を持つ言葉なのかな)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?