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戦争の時代、経済の時代、精神・宗教の時代

〜歴史の中で現代の位置付け〜

社会の見方において、暴力・戦争の時代、経済の時代、精神・宗教の時代 と見る視点があります。これは、非常に面白い考え方だと思ってます。これら3つの力は縄のように編み込まれながら、一番表面に出ている要素の下でうごめきつつ時代を作っていると言えるでしょう。

狩猟社会(暴力:狩猟エリア確保/経済:狩猟/宗教:アミニズム)

最初に狩猟社会がありました。狩猟がうまく行かなくなると、周辺の獲物が取れそうな場へ進出します。そこで、先に狩猟をしていた民族がいた場合は争いが起きたでしょうが、定住ではなかったため、負けた方も、新たに場所を探しに行くことができました。

初期農耕社会(暴力による支配/狩猟から農耕/アニミズム

狩猟社会の不安定な状況を脱するため、農耕が始まりますが、そうなると変わってきます。簡単に場所を移ることはできません。収奪し拡張しないと自分たちの命が担保できない時、また有利な際も、人間は戦争をしてきました。原始的な戦争は、他の動物を本能により捕食していた時代とは異なり、同種の集団で争うことは、集団的行動の要請と恐怖を乗り越え方など、意識面・能力面における大きな進化をもたらしました。現在でも科学技術の発展が、戦争をベースに起きるというのも、基礎構造としては同じことでしょう。戦争は、支配者と被支配者が確定したタイミングで終わります。

中世(暴力から権威へ/農耕/アニミズムから権威を支える思想へ

初期農耕社会は当初武力によって序列が定まりますが、既得権益を守るためにそれらを神格化せねばなりません。そのような背景から、必ずしも暴力(権力)に依存せず、権威によって統治する社会それが中世の意義と考えられます。戦争の後、支配者は、その支配を続けるためにも社会の安定を取り戻さねばなりません。荒廃した人心を癒すには、思想や哲学など指針となる考えが必要です。それらが宗教のベースとなりました。キリスト教の国教化も為政者側からするとローマ帝国を安定させることを目的としました。この宗教や社会規範、原始的道徳により、多くの人を束ねる政治が可能となり、より広範に集団としての力を発揮することが可能となりました。すなわち、宗教は社会の安定性を取り戻すためのテクノロジーなんですね。

封建制(権威から武力へ/原始的資本蓄積/宗教が国王・封建領主礼賛)

封建制は、そのような権威を守るための武力を担っていた人たちが、そもそも力の源泉は我々にあるのではというところから、思想より暴力が力を持った時代と言えるでしょう。日本でいうと荘園領主を守る人たちが武士になっていき、武家社会が登場してきた時代です。

近代(暴力の部分的後退/高度な資本蓄積/宗教が資本家・労働者礼賛)

中世という貴族など宗教的力に近い支配層が強い時代、封建制というより暴力が強い時代が続き、ようやく科学的発見が注目され、経済発展が起きます。産業革命が起き、経済が発展します。経済の発展は、富める者と貧しき者を生み出し、商業資本家を生み出しました。政治的にも私有財産制が認められ、少数の資本家・商人と、大多数の労働者を生みます。ここから貧富の差が生じ、不平等感は社会の中の、不安要素として蓄積します。社会の許容範囲を超えた時、これらは、マグマのように吹き出し、その社会をつなぎとめる力・社会システムを破壊します。そして、新しい社会の創造に入る。これらを繰り返す。このようなサイクルが、大きなサイクルと小さなサイクルとして社会の中に埋め込まれていると見ると、歴史の洞察力が上がると思います。これも、社会のFlower of LIFEと言えるでしょう。

これらを経て、現代および次の時代は、どう考えることができるでしょうか

時代区分   区分  力の基盤     主体となる集団

封建社会   戦争  暴力による支配  国家・領主

近代     経済  私有財産制    資本家・高度労働者

現代     精神   心・共感・信用  心理的に発達した個人

現代の考察(暴力は続かない/資本蓄積はあるが目的ではなくなる/何を目的とするかを模索する時代)

「3つの原理」ローレンストープ著から以下引用します。

『古代の「(精神)・宗教の時代 1」の後、戦士の時代、商人の時代、労働者の時代を経て、再び「精神・(宗教)の時代 2」となると予測しています。では、どのようにしてそうなるのだろうか。それは二つの精神の時代が他の時代より現実と深く触れ合っているからではないかと感じている。
精神の時代に生きる人々は、知覚できない非物理的な力 多くは神と呼ぶもの が宇宙の中心にあると考えている。この時代の人々は、ほかの時代の人々より、互いに内面的に緊密に結ばれている。このため、社会も緊密に結ばれ、その緊密さはほかの時代より長く、何世代にもわたって続くのである。
その他の時代は、偽りの神々を崇拝する。彼らは偶像崇拝に陥り、次第に現実から遊離してゆく。

戦士は武器を崇め、商人はカネを崇め、労働者は労働、技能、仕事、専門技術、自分たちの知識を崇める。どれも偶像だ。

こうした三つの偶像崇拝的な時代が変遷するにつれ、個々の時代そのものが次第に短くなっていく。その時代特有の偶像崇拝的な価値体系がいかに愚かしいものか、次第に少なくなる世代交代の間に気づくようになるからである。』引用終わり


現代における政治的問題、米国での南北格差、欧州での右傾化、ブリグジット、米中対立、南北朝鮮、これら地政学的な変化の背景には論理を超えた、人間の根底にある欲求からくるこのような周期的リズムがあるようにも思います。先進国では、物質的に満たされる率が高くなったが、精神的満足度は低い中、精神的・思想的柱をどのように持って生きるかが問われているのだと。一つ言えるのは、これまでのようなモノからくる幸福を前提とした資本主義は終わり、すでに資本主義と民主主義が対立し始めています(GAFA対国家/欧州・米国での格差からの政治的分裂)。資本主義が何らかの修正を迫られるのは間違い無いでしょう。その先、私たちはきたる時代をどのように捉え、どういうバランス感覚で対峙するのか。真の知性が問われていると言えるでしょう。


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