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しもつけ随想+

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下野新聞の「しもつけ随想」に寄稿したものと、各テーマに関係したものをマガジンにしてみます。連載は2021年7月〜12月まで、5回に渡って掲載予定です。 概ね、まち・まちづくりにつ… もっと読む
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記事一覧

祭(いのり)のまち / しもつけ随想05

 例えば、年末にどこか都市部の街なかを歩くとする。クリスマスが終わってから、年越し、初詣までの一週間のうちにクリスマスツリーやイルミネーションから正月飾りや縁起物へと、変わり身の早さに驚くことがある。仙台に住んだ時などは、中心部のアーケードに赤い大きな仮設の鳥居とイルミネーションが同時に出現する光景を毎年目にした。不思議に思いつつ、なんだか「日本」を感じた。 日光の社寺の周辺や門前町でも、参道や家々の軒先に提灯がともり、一方でクラシックホテルのヒマラヤ杉にはイルミネーションが

古い水鉢、新しい水槽 / しもつけ随想04

 ここ15年くらいの私の気がかりを打ち明けたい。  だが、本題の前にまず一つお尋ねしたい。栃木県内で日光市域外の皆さまは、「日光」で思い浮かべる風景はどのようなものだろうか。極彩色の彫刻に彩られた日光東照宮の陽明門だろうか。はたまた、季節ごとに表情を変える奥日光の雄大な自然だろうか。もちろん人それぞれだろうが、まち歩きのガイドの現場でお客さまとの会話から読み取れる範囲では、この二つは常に上位を占める。  さて、気がかりは何か。  日光市は今から15年前に五つの市町村が合併して

炒飯に旗は立っていたか / しもつけ随想03

 お子様ランチのご飯は、炒飯が普通なのだと思っていた。宇都宮へは、幼少期からよく家族に連れて行ってもらった。祖父母の買い物や、親戚が多く住んでいたこともある。  二荒山神社へお参りし、境内でハトにポップコーンをやり、当時参道の両脇にあった百貨店で買い物をし、そこの上階にある中華料理店で食事をした。  お店のメニューにはお子様ランチがあって、そのご飯が炒飯だったのだ。それが普通なのだとある時期まで思っていた。炒飯には確か、洋食のお子様ランチ同様に旗が立ててあったように記憶してい

海と枝豆と震災復興と / しもつけ随想02

 日光で高校時代まで過ごして、山形で大学時代を、卒業後の約3年間は仙台で暮らした。その後、日光へ戻り、宇都宮で働くことになるが、東北への思いは残った。山あいの小さな町で生まれ育ったので、山形では空の広さに感動し、仙台では都市のにぎわいと海のある環境にひかれた。中でも海には特に思い入れが深かった。通算15年以上東北で過ごしたので、第二の故郷だと今でも思っている。  東日本大震災で、再び東北へ向かう事になるなど想像もしなかった。  震災前からのご縁で、仙台の「都市デザインワーク

2021年 霧中の旅 / しもつけ随想01

 “伸び縮み”の激しいまちだと、あらためて思う。  日光の社寺の門前町。その街道沿いに生まれ育った。新緑や秋の紅葉の時季はハイシーズンと呼ばれ、車やオートバイ、人であふれかえる。東京の繁華街が毎日お祭りをしているように例えられるが、観光地のハイシーズンも同じだろう。  一方、その裏側ともいえる、静かで穏やかな顔をのぞかせる時季や時間帯もある。幼い頃、祖父に手を引かれて散歩をした門前町は、どちらかといえば静かなまちだった印象が強く、お祭り騒ぎの観光地とは別の顔を見ているようだ