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どこにいるんだろう

山梨のキャンプ場で行方不明になっていた女の子の捜索が終了。というニュースをみました。

あの子どこにいったんでしょうね。行方不明になった状況をニュースで何度もみましたが、そんなに複雑な場所ではないみたいです。

川で遊んだり、山で遊んだり、時折休憩して。おそらく何度も同じ道を通っていると思うんです。

そんな状況の中、道迷いますかね?幼稚園くらいの子ならまだしも小学生だったら迷わないんじゃないかな。

そうなると、誰かが連れ去ったのでは?と考えたくないですが、考えてしまいます。

また、道を間違えたとしても10キロ圏内を捜索すればみつかりそうな気もするのですが。

こういう山で行方不明。みたいなニュースを見る度に昔を思い出します。

実はぼく自身も遭難の経験者でして...

あれは確か4歳くらいの時でした。毎年正月になると曾祖父母の家に遊びに行くというイベントがありました。

毎年、両親と祖父母と一緒に遊びに行くイベントが大好きでした。

曾祖父母の家の家は兵庫県の山奥にあり、町というよりは村という感じ。当然コンビニやスーパーもなくあるのは、川と畑といまにも潰れそうな小さな商店があるだけでした。

ぼくはその場所に行くのが大好きで、そこに行くといつも川で魚をとったり山で探検をしたり、新鮮な水を飲むことができて、それはもう楽しくて楽しくて。

いつものように曾祖父母にあいさつをして、ゆっくりとした時間を過ごしていました。でもおじいちゃん、おばあちゃんの家ってやっぱり退屈なんですよね。

4歳のぼくはぐずぐずし始めました。

それを見かねた祖父が山へでかけようと言い出しました。少し雪が降っていたので、探検ではなく曾祖父が所有している山をちょっと見に行くか。とかそんな感じだったと思います。

しばらく車を走らせ山奥へ到着しました。すると、祖父が「山菜を取りに行くからちょっと待ってろ」と。

ぼくは返事をし、兄から借りた初期のでっかいゲームボーイで遊ぶことにしました。

どれくらいの時間が経過したんだろう?その時の体感では1時間くらいの長い時間だったように思います。なかなか帰ってこない祖父。ぼくはだんだん不安になってしまいました。

その時の記憶がまだ少し残っているのだけれど、なぜか「捨てられた」と思ってしまったんです。別に家で虐待やいやがらせを受けていませんよ。反射的にそう思ったんです。

そのときから、思い立ったことは即行動に移す子でした。ぼくは車の重い扉を開けて外に出ました。

山奥なので右も左も分からない状態で、山奥をかけっていきました。

走っているときの記憶ははっきりとあって、「とにかく家(実家)に帰らなきゃ」と思っていました。なぜか曾祖父母の家ではなく、実家に帰ろうとしたのを覚えています。なぞですよね。

その後ぼくは4歳にして2.3キロの距離を道を走り、途中すれ違った車に乗っていたひとの目撃情報のおかげで生き延びることができました。

一番奇跡だったのは、道を間違うことなく下山していたこと。あとから聞いた話ですが、途中には分かれ道が沢山あり、もっと山奥へ進む道もあったのだとか。

もしそっちに行っていたらと考えるとゾッとしてしまいます。もしかしたら、今書いているこのnoteも存在しなかったかもしれません。

行方不明になった女の子がみつかることを祈ります。

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