基準をつくること

某出版社で編集の仕事をしています。

休日にテニススクールに通っていますが、ふとテニススクールと編集業務に共通点があるように思えて、noteを書くことにしました。

スクールのコーチは学生バイトもいれば本職の人もいて、教え方もさまざまです。

よくスクール生の間で「あのコーチがいい」「このコーチはちょっと・・・」などという会話をします。

人によって「テンポよく球出ししてくれる人がいい」とか「よく褒めてくれる人がいい」とか好みはいろいろですが、私の好みは「自分のよくない所、意識して直さなければいけない所を明確に言語化してくれるコーチ」。自分がどういうフォームになっているかって、自分ではなかなか分からないんです。

うまく打てていないことは分かっているけど、どこをどう直したらよいか分からない。そんな時にコーチが一言「ここがこうなっているから、〇〇を意識すると良いよ」と言ってくれる。で、それを意識してプレーすると「あっ、きれいに打てた!」となる。これがとても気持ちいい!

これって、編集者の役割に似ているのかなと思ったんです。
自分が書いた文章の良くない部分ってなかなか自分では気付きづらくないでしょうか。コルクの佐渡島さんが「編集者の役割は作家の鏡」と言っていましたが、外から見て直した方がよい部分を伝えることが必要なのでしょう。

ただ、そのためには編集者は良い文章、良い日本語にたくさん触れて、文章の良し悪しを判断できる目を養う必要があるとも思います。

私はこれまで写真を扱う編集業務が多かったのですが、最初は色校正紙が出てきても、正直、良し悪しがよく分かりませんでした。それは良い色表現とはどういうものかが頭の中に無かったからなんだと思います。何度も色校正の経験を重ねて、たくさんの写真を見ていくなかで次第に見る目が養われていきました。

経験を積んでいくなかで、頭の中に基準ができていくんです。そうするとその基準と照らし合わせて「メリハリが足りない」「立体感が不足している」「色が濁っている」などを感じとって、具体的な指示ができるようになっていきました。

テニススクールのコーチが良いアドバイスをできるのも基準をもっているからなのでしょう。基準と照らし合わせて、直した方がよい所を明確に伝えることができる。この時に大事なのは基準がしっかりと言語化されていることだと思います。言語化されていないと相手に伝えることができませんから。

また、受講生からすると、よく褒めてくれるコーチもやはり良いんです。当然、褒められると嬉しいし、楽しくなります。これも編集者に求められることの一つのように思います。

仕事と関係なしに始めたテニスですが、ふと自身の仕事との関連性に思い至って書き留めてみました。

#編集 #テニス



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