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「母性のディストピア」化する情報社会

 本文は「遅いインターネット」の一部を要約した内容です。

・吉本隆明の三幻想とSNSの関係
 吉本の提示した三幻想は、自己幻想=プロフィール 対幻想=メッセンジャー 共同幻想=タイムラインと置き換えることが出来る。だが、吉本の考えと決定的に反するのは、吉本は三幻想が『逆立』するものと考えていたのだが、(逆立とは、それぞれが反発し独立した固有の存在であること)SNSの建て付けは、三幻想の境界を曖昧にしている。

・三幻想の融解。それは僕たちの欲望だ
 例えば『いいね』は、個人間のメッセンジャーとしてのコミュニケーション機能を、事実上タイムラインと化したSNSに公開することで、共同幻想に半ば接続された対幻想と言える。なぜなら、三幻想を曖昧にし境界を取り払うことを僕たちは望んでいる。

・『共同幻想論』から『ハイ・イメージ論」へ
 吉本は三幻想が逆立することが可能であることを『共同幻想論』で述べた。アップデート版の『ハイ・イメージ論」では、世界視線(GPSマップの視点のような人間の身体から離脱した神の視点)と普遍視線(日常的な生活者としての身体に基づいた視点)が交差する未来を予言した。先の 三幻想とSNSにあてはめると、世界視線(共同幻想)と普遍視線(自己幻想と対幻想)の逆立が崩れ、融解している現在の社会を予見していたと言える。(しかし、現実より大きく楽観的な思考で)

・肥大する自己幻想をマネージメントせよ
 三幻想の融解は何故起きるのか? それは、あらゆるSNSが個人のアカウント取得=プロフィール(自己幻想)の設定から始まるからだ。メッセンジャー(対幻想)とタイムライン(共同幻想)は、自己幻想に「紐づくタグ」自己幻想を強化するアクセサリーに過ぎない。そして、胎児のような全能感=自己幻想に自閉する「母性のディストピア」は完成した。

・ボトムアップの共同幻想からボトムアップの意思決定へ。
 「母性のディストピア」を打破するには? ボトムアップの共同幻想=民主主義を半分あきらめることで、ボトムアップの意思決定=立憲主義の回路を強化し、パワーバランスを後者に傾ける。そして、自己幻想から『自立』し、自分の物語と自己幻想をマネジメントすること。その為には、世界との進入角度と距離感を試行錯誤し続けるしかない。

 吉本隆明から糸井重里へと引き継がれた「自立」のためのプロジェクトとは?

続きは、本書で。

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