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故郷がないコンプレックスを抱えた東京出身者が場所への執着を手放した先に見るもの

みなさま、こんばんは。モリモトケンタです。
ちょっと思い立つことがあり、「場所に対する執着を手放したら、どんなものが見えてきたのか?」ということを。これまでの体験をもとに言葉してみました。あくまで一人の人間が感じたことのお話として受け取っていただけたら嬉しいです。

プロローグ:暗黒(笑)だった地元での小中時代

割と自己紹介では、「東京の八王子出身です。」ということが多いのですが、実は東京の府中市で生まれていて、幼稚園に入るタイミングで八王子の恩方地区という市内でも山の方にある新興住宅地に引っ越しました。
小3くらいまでは、いわゆる普通の小学生としてのびのび?過ごしていたようなのですが、小4に都内からの転校生がやってきて、クラスの状況が激変、なかなか環境になじめず、小学校卒業まであまりいい印象がない時代を過ごしました。そして3つの小学校が持ち上がって入学した中学校でもなかなかクラスの環境になじめず、部活も楽譜が読めない中、入った吹奏楽部で部長になり、部活の運営から人間関係までなかなか四苦八苦した記憶が蘇ります、、。

地元を飛び出して、扉を開いた先にあった世界

地元に対してあまり良い印象を持たずに進学した高校は、実家から片道2時間かかるところにある都立高でした。
都立高の再編後に誕生した単位制総合学科というちょっと変わった学校で、開校してすぐの入学だったこともあり、先輩は上に1学年だけで、何事も自由に自分たちで決められる環境で高校時代を過ごしていました。
そんな変わった環境からなのか、NPO法人カタリバさんのカタリ場の授業があったからなのか、高校在学中から「旅行」に関心をもって、レポートを書いてみたり、旅行会社の社員さんにヒアリングをしてみたりと、今にもつながるようなことに取り組んでいました。
そして2008年3月、高校2年の春休みには、偶然、日中青少年交流事業で中国に訪問する機会を得ることができて、訪中団の一員として四川省成都市と綿陽市、北京市を訪問する6泊7日のプログラムに参加することで、東京の他の高校生の幅広さだけでなく、世界の広さに触れたとき、「どんな場所でも可能性を追求する」ということが頭に思い浮かんだのかもしれません。

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2008年3月当時の一枚。今と大して変わらないことがよくわかります。

2011年夏、高千穂との出会い

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そんな高校卒業後には、大学に進学して、観光を専攻する学科に入学。ホテルや旅行業、ホスピタリティに関する授業を受ける中で、高校の恩師がつぶやいていた「旅行という一時的な訪問からその土地に暮らしてみることをしてみたらどうか?」という言葉が頭をよぎり、大学3年の2011年夏に宮崎県高千穂町で2週間、ホームステイをしながら地域の暮らしを体験するインターンシップに参加しました。
このプログラムに参加する前までは、お盆も正月もどこか地方に帰省することなく過ごしてた東京出身者としては、第二の故郷的な場所として関わる体験だったり、ひとつひとつの街の動きがとてもリアリティにあふれているものだなと体感する機会をもらうことができました。
そしてここ最近ご無沙汰していますが、今でいう関係人口や活動人口のはしりとして、通算20回程度、最大年6回も東京から宮崎に通ったのは私の中では特に印象深い街なのかもしれません。

場所に意味を見出してチャレンジした鹿児島時代

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その後社会人になり、なんとなく大学時代にくすぶっていたものを腹に抱えつつ過ごしていたときに、「地域仕掛け人市」というイベントに出会い、東京から日本各地の中間支援団体を支援するNPO法人ETIC.に転職。新卒2年目の夏の出来事でした。
そこで仕事をさせていただく中でのご縁で、2016年に開催された「鹿児島移住ドラフト会議」にうっかりエントリーしてしまった結果、鹿児島市桜島地域に第4位指名をされてしまったことから、現実が大きく動き始めました。
その後、いくつかのコミュニケーションを重ねた結果、2017年6月に地域おこし協力隊などの公的な制度を使わずに「地域に住むことで地域の変化にコミットできるのか?」という仮説をもって鹿児島市桜島に移住&独立という冒険にチャレンジしました。約2年間で鹿児島の地域づくりを担う団体を中心に6つの団体の事業推進やサポートなどに関わらせていただく機会をいただきました。
ここでの体験は私の中ではとても大きなもので、色んな観点や要素が今の自分に繋がっているなと感じています。ただ出身者ではない自分にとって場所に対してフォーカスして変化を促すということは、言語になっていない文脈を読む力や非認知能力を求められる場面に弱いことを認識したり、そもそも自分の力不足も感じることがありました。

今、場所に対する執着を手放したら、何に取り組むのか?

今現在は、鎌倉を拠点にお仕事をさせていただいていますが、こうして過去の体験を振り返ってみると、まず「田舎がないコンプレックス」を持っていた自分に比べて、場所に対してフォーカスすること(≒場所に対する執着)が少し弱くなったことを感じています。
これまで抱えていた場所に対する意識は、その構成要素だった「人やチーム」に向いていて、その土地や個人のコンテクスト(文脈)にも意識を向けつつ、「個やチームの在り方や変容が全体に対してどう関わってくるのか?それはどんなインパクトを生み出すのか?」ということに向き合っていきたいと考えています。

この成長しない社会で、そして答えがなく、複雑な環境な時代だからこそ、「教科書的な正解を求める選択ではなく、自らの内発的な動機を見つめ、そこから力強い選択を重ねていくことが未来をつくっていく。」と私は信じています。そしてそんな現実だからこそ、「状況を俯瞰したり、その人の願いにフォーカスしたり、言語化に対して問いをもって関わるコーチングという要素」や「コーチという存在」が必要だと体感から感じていて、未来をに向けて前進しようとする個人やチームに一人のコーチとして関わっていきたいと願っています。

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さて、大きな独り言のような投稿になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。いろんな要素にもっと掘り下げて言葉にしたいことがたくさんあるのですが、それは脱線してしまうこともあるので、また今度。(いつ書くかは未定ということで。)
もし何か心に響くものがあれば、リアクションをもらえるととても嬉しいです!

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