立ち上げ1年で世界40カ国のお客さんを持つ事業をつくった話。
2017年、まだ自分がまだ会社に勤めているときのこと。
今振り返ってみると、サラリーマンとして働き学ぶことは多々あったが、今振り返ってみて「刺激的な毎日だったか?」と言われれば答えは「No」だ。
ただそれは働いている瞬間に思っていたことではなく、むしろ働いているときはそれなりに楽しかった。でも自分で事業やサービスを立ち上げることのワクワク感や刺激を知ってしまった後は、会社での楽しさは”それ”に勝てなくなっていた。
そんなぼくの初めての「0→1体験」を書こうと思う。
そしてその話をするのに欠かせない人物はこの女の子。TOKYOGENICの共同創業者であり、ぼくの幼馴染でもあるこの子の話も交えてみる。
渋谷で生まれた疑問
当時、努めていた会社のオフィスが渋谷と原宿の間ぐらいにあり、毎日渋谷駅から歩いていたときでした。
日本のインバウンド人口は急激に伸びていて、渋谷のスクランブル交差点では朝から夜まで大勢の観光客がスマホで写真を撮っていた。
その日も普通の朝。
いつも通り渋谷にある当時勤めていた会社のオフィスに行く途中、
スマホのインカメラを使って自撮りをする大量の海外の方を見て疑問を覚えた。
”これって東京での思い出を残すのに最適な方法なんだろうか?”
仮説を考えてみる
そのときに思いついた仮説はこうだ。
■前提条件
・スマホの発達・普及により誰でも”ある程度”キレイに写真を撮れるようになった。
・欧米人の方は人に写真を撮られることに、アジア人ほど抵抗がない。
■仮説
・海外の人(特に欧米人)は本当はもっとキレイな写真を、良い構図で撮りたいと思っている(潜在的なニーズ)
・でも、なかなか英語では日本人に頼みにくい(潜在的なニーズ)
⇓
■生まれた考え
英語で話しながら、キレイな写真を撮ってあげたら喜んでくれるのではないか?
サービスへのプラスα
そしてここからは自分の海外生活の知見を活用したプラスαを考えていく。
■その①:欧米の人はアジア人よりも”体験”に重きを置いている
⇛ただ観光スポットをただ回りたいのではなく、ローカルの文化のことを知りたいと考えている。
■その②:主要な観光スポットへの熱量は実はそこまで高くない
⇛観光客が集まる場所よりも、みんなが知らないローカルスポットを見たいと考えている。
⇓
■生まれた考え
・『日本人目線で英語で現地文化を教えてあげる』
・『観光スポットではなく、路地などの普通案内しないような超ローカルスポットに連れて行く』
サービスの基盤ができあがった
①写真を撮ってあげるサービス
②日本人目線で「英語で」現地情報を教えてあげる
③観光スポットではなく、敢えて路地などの超ローカルスポットに連れて行く
こうして考えた仮説と海外の方のインサイトを元に、撮影サービス「TOKYOGENIC」の基盤が出来上がった。
とはいえ、趣味レベルで一眼を触っていた自分がいきなり撮影サービスを立ち上げるのも不安だった。
そこで連絡したのが幼馴染のゆいだった。
小学校からの幼馴染
(少し幼馴染を紹介すると)
ゆいは地元札幌で小学校1年生のときから同じクラス。2年毎にクラス替えがあったが、結局卒業する6年生まで同じクラスで卒業した。(友達22年目)
家族もよく知っていて、ゆいの優しいお母さんのことももよく知っているし、イケメンの人懐っこい弟もバスケ部の後輩だった。
そんな幼馴染は日芸の写真学科を卒業した自分の知る唯一のプロフォトグラファーでした。
「これサービスにしたら面白くない?」
サービスのプランを考えた後、無邪気に思っていたことを全部ゆいに話した。
どんな運命か、数年ぶりに連絡をして会った日が偶然にも彼女が会社から独立をした1日目だった。
「ちょうど独立したばっかなんだよね。やってみようか!」
とその日に快く受けてくれた。(今思うと、あのタイミングで会っていなければTOKYOGENICは生まれていなかった)
ぼくはまだ独立していなかったので、就業後やランチ時間などを利用してコンセプトの明確化、撮影ルートの確定、Webサイトの立ち上げ、Instagramアカウントの立ち上げ、写真のトンマナ確定、などなどを二人で進めていった。
「やばい、めっちゃ生きてるわ。」
このときは毎日このセリフを言ってた。
毎日遅くまで「どんなことをしたらお客さんは喜ぶだろう?」「どんな新しい体験を作れるだろうか?」と議論する時間は本当に楽しかった。
こんなワクワクすることは日本に戻ってきてから一度もなかった。
初めての売上
今でも覚えている思い出はTOKYOGENICで初めてお金をもらったときのこと。
お客さんはチェコから来てくれたHelena。
「今度チェコから友達が日本に行くんだけど、撮影してくれない?」
ぼくのアメリカ時代の友人から紹介された子だった。
まだ料金プランも決まっていなかったので、ゆいと決めたのが投げ銭方式。撮影が終わって、好きな金額を払ってもらうシステムにした。
そしてこれが初めて僕らがサービスを行い撮影した写真。
ー5000円。
それが初めての売上だった。
生きている中で今でもこんなに重いお金はなかった。給料日に自動的に月末になると振り込まれるお金とは全く違う感覚。
何より自分が0から考えたものが対価として返ってくる体験は、どんな感動にも代替できないものだった。
(ちなみにHelenaはめちゃくちゃ良い子で「いくらあげればいいかわからない!もっと出したほうがいい??」と何度も聞いてくれた。思い返してみても「いくらでもいいよ。」と言われたらそりゃあ困るよなあと思う。)
渋谷はこうやって表現できる。
そんなこんなでTOKYOGENICが生まれて3年になる。(※執筆時)
このサービスは今「成長させて、大きくしていくぞ!」とは思っておらず自分の趣味に近い。
趣味ベースで続けてきたこのサービスも42カ国以上の国籍の方を撮影するまでになり、僕らの何も起業の知識も経験もない中で作ったサービスで渋谷の風景をこのように”形”に残してきました。
ちなみに、TOKYOGENICのコンセプトは
「Shape your memory better」−思い出をもっとより良く
・・・
■自撮りで撮影した渋谷 ※イメージ
⇓
■TOKYOGENICで表現した渋谷
photo by Yui
photo by Kenta Kaneda
42カ国/300人以上を撮ってきた。
■イギリスから来た日本とイギリスのハーフMisaki
■ニューヨークから来たダンサーのPrince
■レバノンからきた仲良し親子Dania
0⇛1体験で学んだこと
①スキルは掛け算で考える
TOKYOGENICは「カメラ」×「英語」と、スキルの掛け合わせで達成できた事業。
よく「これぐらいしかできないんですよ。」と自分の特技を語る方を見るが、それはとっても素晴らしいことだ。なぜなら普通にできるってことが掛け合わされば希少な存在になれるから。
「100人に1人」できるスキルを2つかけ合わせれば、「10000人に1人」の人材になれる。
②とにかく疑問を持ち続ける
世の中、色んなことが当たり前に考えられていて疑問を持たない社会になっている。でも事業やサービスのヒントは日常の中に落ちているものだ。
特にたくさんの人が同じことをやっているときほどヒントが落ちている。多くの人が同じことを行っていると同調圧力がかかり、人々は疑問を持たなくなるから。特に日本は義務教育の特性上、この性質が強い。
みんなが同じことをやっていたら疑問を持とう。
③自分が満足することと、お客さんが喜ぶことを同時に考える
人間は自分が好きなこと、心から満足できることにこそパフォーマンスを出せる生き物だと思う。それから自分が満足できることじゃないと継続が難しい。サービスは考えているより、始めて続けているからこそ見えてくるモノの方が多いので、続けれられることはとても大切。
それから自分の喜びだけを考えても事業は回らない。常にお客さんやユーザーがどんな感情になっているのかを意識する必要がある。幸せになっているのか、喜んでくれているのか、を一生考える。
▲グアテマラからのお客さんのレビュー
想い
TOKYOGENICは、実は学生に行ってほしいと個人的に思っています。いつかこれ実現したい。
それはぼくが考えている日本の教育の課題の一つに「海外との接点の少なさ」があるためです。
このTOKYOGENICを通して日本で「海外」と一括りにされている文化がこんなにも多様なものなのか、こんな色んな考え方があるのかを感じられる機会になればいいなあと。
カメラは完璧じゃなくても大丈夫だし、後から学べるスキルだから。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
金田謙太
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