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男性性と女性性。あるいは拡大したいという病

8.9 - 8.15の振り返りとして

突然だが僕には夢がある。自分が人生の主人公として人生の旅を楽しんでいる人の姿を1人でも多く見て死にたいという夢だ。

そのためには、自分の価値観を明らかにし、自分の望むあり方や生き方に近づいていくための学びを続けて行く、そんな姿を応援していくことが必要である。

そしてそれを実現するような広い意味での学校が世界中のどんな場所にも溢れていたらいいな、と、そう思っている。ラディカルセルフケアとオーセンティックリーダーシップを伝えられるようなそんな学校。そしてそれは伝統的な学校の形をとることもあれば、職場の中にある事もあれば、地域の中にあることもある。そんな未来。

さて、そういったときの「1人でも多く」とか「世界中」というのはどこからくるのだろうと自問している。

あり方やプロセスを大事にしてきた12年間

コミュニティファクトリー事業というのを中心に団体の運営をするということはある意味でカンボジアに赴任して以来の12年間ずっと続けていることである。

自分の業務の距離は大分遠くなってしまったが、今もうちの団体の中心にはあの工房があって、あそこで変わり続ける人の姿を見守っている。

ただこの12年間、工房の規模自体はほぼ拡大していない。

むしろそのプログラムの質、トレーナーの質、そしてそれ以上にあり方を見直してくるような期間だったように思う。それが「哲学」というかたちで1つ結実したり、トレーナー養成コースという形で結実したのが大きな成果の1つだ。

団体の運営としても入れ替わりがありながらも人数が増えているわけではそんなにない。ずっと30人くらいのスタッフ。

もっと大きな成果を出すことが大事だ、そう思った事も何度もあった。でもどこかで、質やモデルの探求を捨てられない僕ら自身の在り方がそれを阻んでいたように思う。1人1人に寄り添ってきたのだ。

念のため申し添えると、その1人1人だって、今や合計250人を超え、沢山の雇用と教育を提供することができたこと、多くの変化を見ることができたことは本当に意味のあることだったと思う。

いよいよ広げなければという思い

そんな中、自分は最近拡大するということばかり団体の中でも外でもしゃべり始めるようになった。この工房で作った哲学やトレーニングをなんとかして外に届けていきたいんだ、と。

良く使っているのが扉絵のチャート。スライドを作る時に「拡大」と調べたら出てきそうな絵である。

そう思うようになったきっかけはいくつかある。

昨年のコロナ禍での理事会を発端する議論の中で、「工房単体ではソーシャルインパクトの数を追わない。哲学と研究開発の場とする」という役割が決まってきたこともあるだろう。

その一環として改めて事業評価をやる中で、僕たちが進めてきた教育の「価値」について確信をもったことも大きい。

色々なところでお話しするときに「そのライフスキルってXXXでもまさに必要とされているものじゃないでしょうか」という声を沢山聞いたことも影響している。

自分自身が、いよいよ年をとってきて、何か挑戦したい、という気持ちになっている。あるいは、本来持っていたが余り活性化していなかった自分の中の男性性にいよいよ火がついたのかもしれない。

そのどれもが「広げていこうよ、良いモノならば」という気持ちを起こさせ、そしてそれが僕に経営者として、1人の人間としての変革を迫っている。「その旅の中で、自分のエゴではなく、世界の声を大事にできるのか。」「現場から距離を取り過ぎて、薄っぺらいことを語り始めるんじゃないのか」「そもそも今まで拡大できなかったのは単純に経営者としての能力。とくに撤退する能力が無かったからじゃないのか、そんなお前にできるのか」と。

そんな声を若干喧しく思うものの、何とかその不安と共に、拡大ということに取り組んで行きたいと思う。

そんなことを思わせる良い理事会を行えた週だった。

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