失われた世代を求めて

 1920年代のパリは狂乱の時代(フォル・エポック)を生きていました。ガラスやクロムメッキぴかぴかの現代都市装飾が生まれ、アールデコで飾られた室内では褐色の女王ジョセフィン・ベイカーがジャズを口ずさみ、キャフェではブルトン、アラゴンらがシュールレアリズムを宣言し、そして街ではココ・シャネルがパリ・モードを着飾り闊歩していました。
 この素晴らしく幻惑的なパリに世界中の人が魅了されてやってきました。アーネスト・ヘミングウェイもその一人でした。アメリカで新聞記者見習いをしていた彼は、作家になる夢を捨てきれず作家修行のため、数通の紹介状以外は何の当てもなく大西洋を渡りました。少年的熱心さによって、パリで既に確立していたエズラ・パウンド、ゲルトルード・シュタインらアメリカ人詩人・作家たちから文章技術を貪欲に学び、また、文学理論を振りかざす文弱が多い中、モンパルナスを歩きながらシャドウボクシングをするなど熟練したスポーツマンのイメージを巧みに醸し出し、やがて失われた世代と呼ばれるパリ在住のアメリカ人作家たちの中心的人物になっていきます。
 「失われた世代」とは若い車の修理工の不手際に怒ったゲルトルード・シュタインが若いヘミングウェイに言い放ち、その後、彼が最初の長編『日はまた昇る』においてエピグラフ(題辞)に用い有名になった言葉です。この世代は自ら参戦した第一次世界大戦において、かつてない規模及び方法によって繰り返される殺戮を目の当たりにし、伝統的道徳・価値がもはや通用しないことを戦場において文字通り皮膚で感じました。復員後彼らは新たな規範を作り出せないまま、目まぐるしく享楽的な20年代のパリを気散じるが如く生きていました。
 ヘミングウェイは、失われた世代の道徳・規範崩壊後の虚ろさを『日はまた昇る』において共感を持ちながらも冷酷に表現しています。大戦時の負傷によって性的不能に陥った主人公は自らが想っている女性の奔放さに対して、道徳的非難を逆上し浴びせることもなく冷静に事実として認め、読む人に男らしさを感じさせます。しかしながらそれと同時に、ヘミングウェイは主人公の無行動、受動的態度、すなわち彼が行動の指針を何も持っていないことを写真の陰画のように正確に表現しているのです。
 戦争の悲惨さ及び戦後処理における政治家の愚弄さを見てしまったヘミングウェイにとって勇気、誇りとは闘牛のように限られた場所にしか存在しなくなります。生と死が交差する、闘牛士と牛との一騎打ちをヘミングウェイは短い短文を重ね、言葉同士を共振させることによって、鮮明なイメージを喚起させ、それを読む人の脳裏に永遠に焼き付けたのです。

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