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フューリーvsガヌーはボクシングの敗北か?

日本時間で今日の朝、サウジアラビアのリヤドでボクシングヘビー級10回戦が行われた。
WBC世界ヘビー級チャンピオンのタイソン・フューリー(35=英国)vs元UFC世界ヘビー級チャンピオンのフランシス・ガヌー(37=カメルーン)による競技の枠を超えた注目のビッグマッチは、2-1のスプリットデシジョンでフューリーが勝利した。

ハイライトでしか見てないので詳細な内容については何とも言えないが、ガヌーが現チャンピオンのフューリーから3ラウンドにダウンを奪うなど、ボクシングデビュー戦とは思えない大健闘を見せたようだ。
僕は普通にフューリーが圧勝すると思っていたし、大方のボクシングファンや関係者もフューリーが圧勝すると予想していた。一部のMMAファンや格闘技ファンが期待を込めてガヌーの勝利予想をしていたものの、フューリーの実力を知っていれば、実際のところガヌーの勝機は薄いと感じていたんじゃないだろうか。

フューリーは現在最強と目されるボクシングヘビー級チャンピオンだ。対抗王者のウシクにサイズで圧倒的なアドバンテージを持ち、同じ英国のジョシュアよりも心身共にタフネスで上回り、破格の強打者ワイルダーのパンチをモロに受けて倒れてもケロリとした顔で立ち上がる。尚且つこの巨漢王者は細かなボクシングテクニックや巨体に似合わぬ軽快なフットワークも持ち合わせ、これまでの戦績は34戦33勝1分と無敗を記録している。
対するガヌーはMMA現役ナンバーワンのパンチ力を誇り、UFCでもチャンピオンに君臨したトップファイターだ。しかしあくまで他競技MMAのチャンピオンであり、二つの拳のみで雌雄を決するボクシングはこれがデビュー戦となる。現役最強のボクサーを相手に試合をするのはこれがエキシビジョンのようなものであり、見せ物的要素の強いお祭り試合だからであって、ほとんど誰もが勝負論のある試合だとは思っていなかった。

しかし蓋を開けてみればスプリットデシジョンの大接戦。無類のタフネスで鳴らすフューリーがダウンを奪われ顔を腫らして、「これまでで一番苦しい試合だった」と言うほどだ。
果たしてこれは、ボクシングの敗北なのだろうか?

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MMAファンならとっくにご存知だったのだろうけど、ガヌーの半生は筆舌に尽くし難い凄絶なものみたいだ。

カメルーン・バティエ村の貧しい家庭に生まれたガヌーは6歳の時に両親が離婚すると、親戚の家々をたらい回しにされ、最終的に祖母の家にたどり着くが、祖母の家に身を寄せる親戚が増えた時には家の外で寝ることもあった。貧しかったことでペンやノートを買えず、学校で授業中にノートを取らないことを教師に叱られ教室から追い出されることもしばしばあった。またほとんど昼食を持っていけなかったため、クラスメートが分けてくれることもあったが、ガヌーはいつかお返しを求められると思い、その申し出を断った。あまり学校に通えなかったガヌーは、家計を助けるため9歳から1日わずか2ドルの日当で危険が伴う砂の採取場で働いた。
離婚して家を出ていった父親が有名なストリートファイターだったために、その悪名とガヌーの恵まれた体躯に目をつけた複数のギャングから仲間に誘われるも、警察沙汰ばかり起こしていた父親のようになりたくなかったガヌーは、道を誤ることなく誘いをきっぱり断っている。22歳の時、家族に反対されながらもボクシングのトレーニングを始めるが、1年ほどで病気のためにやめた。

村の争い事の仲裁や、村人の賃金未払いを掛け合ったり、時には村人が奪われた金品を強盗から取り返すなど、村の顔役として頼りにされていたガヌーだったが、カメルーンで成功の機会を得るのは難しいと考え、ボクシングを学んで一旗揚げようとフランスのパリへ渡る決意をする。

2012年4月にカメルーンを出発、死も覚悟していたガヌーは家族にどこへ行くのかを教えず、特に心配をかけたくなかった母親には家を出ていくことさえ告げなかった。
アルジェリアでは闇市場で偽造パスポートを手に入れマリ人になりすまし、警官に賄賂として取られないようにするためお金はプラスチックに包んで飲み込み、目つきや服装などから私服警官を見分ける方法を学び、店に入る時は万が一の場合に備えて店の全ての出口を確認するなど細心の注意を払いながら、3,000マイルの道のりをブローカーの車両と徒歩で、ナイジェリア、ニジェール、アルジェリアを通り、水不足で死にかけ生きるか死ぬかの選択を迫られたサハラ砂漠越えでは動物の死骸が周囲に散乱する明らかに安全でない井戸の水を飲んで、カメルーンを離れてから3週間後にモロッコに到着した。

しかしモロッコとスペインを隔てるジブラルタル海峡の越境にさらに苦労する。
国境警備隊や沿岸警備隊に6回拿捕され、そのたびに食料も水も与えられず西サハラの砂漠に放置されるか、刑務所に送り込まれた。モロッコの森の中に隠れ、プラスチックの廃材で雨風をしのぎ丸太の上で寝て、食べ物はゴミ箱を漁るという厳しい状況で暮らしていたガヌーは越境に失敗するたびに意思がゆらぎ諦めてカメルーンへの帰国を考ることもあったが、脳裏に浮かぶ夢を見すぎるなとガヌーを笑ったバティエ村の人々の顔が思いとどまらせた。

7回目の挑戦を前にガヌーはインターネットカフェで時間が切れる前に席を立つ客のプリペイド式パソコンを使って、インターネットで海峡の潮汐による潮の干満や波のうねり、風向きや月の満ち欠けを調べ、南から風が吹き、波の穏やかな、月の出ない、海峡を渡るのに適した夜を探した。

そして決行日を2013年3月中旬の日に決めると、8人の亡命仲間と50ドルのゴムボートを購入し、レーダーに検知されないようボートをアルミ箔で包んだ。
計画を考案したガヌーは泳げなかったがキャプテンを任され、パドルを漕いで、スペインの対岸近くまで来ると、携帯電話でスペインの赤十字社に救助要請の連絡を入れた。
そして必要の無くなったモロッコでなりすましていたセネガル出身の40歳の建設作業員の偽造パスポートを海に投げ捨てた。

スペインに着くと移住者収容センターに収容され、収容中には職員から亡命を諦めるよう嫌がらせも受けたが、2か月後に難民として認められ収容センターから解放されるとカメルーンを出発してから約14か月後となる2013年6月9日にフランスのパリへ到着した。

パリに到着したものの、住むところも金も無く、頼る知人もいなかったガヌーは、パリの路上でホームレスとして生活することになる。そんな状況であったが、ガヌーは飛び込みで交渉し、無料でトレーニングをやらせてもらえるボクシングジムを見つける。
しかしジムの練習生から、ボクシングは閉ざされた世界で力のあるプロモーターやトレーナーが必要なので、格闘技で稼ぎたいのなら総合格闘技をやってみるべきだと勧められるが、ガヌーはボクシングをやるためにカメルーンを出てきたのであり、そもそも総合格闘技について全く何も知らなかったので、この時には総合格闘技を始める気持ちは起きなかった。

ボクシングのトレーニングは順調だったが週末は閉まってしまうジムであったため、週末もトレーニングを出来るジムを探していたところ、ある日、総合格闘技ジム「MMAファクトリー」を紹介され、ジムを尋ねると直ぐにジムのオーナーのフェルナンド・ロペスに素質を見込まれて、グローブなどの格闘技用具一式が詰まったバッグを渡され、その日から初心者クラスに参加して総合格闘技のトレーニングを始めた。
この時、ガヌーはまだ路上で生活していたため、ロペスにバッグをジムに置かせて欲しいと頼むと、そこで初めて住むところがないと知ったロペスはガヌーにジムで寝泊まりすることを許可し、さらにガヌーのために住居を探した。

2013年11月30日に総合格闘技デビュー。ガヌーはまだボクシングに未練があったが、デビュー戦で総合格闘技が自身に向いてることを実感し、ファイトマネーを受け取り稼げることがわかると完全に総合格闘技へシフトした。

※Wikipediaより

……壮絶すぎるだろ。世界は広いな。
どうしても今回の試合はボクシングvsMMAの構図で見られてしまうが、闘っているのは個人である。ガヌーという一人の男がチャンピオンのフューリーに挑み大善戦した、というのが事実だ。
ボクシングファンからすれば現役のチャンピオンがボクシングデビュー戦のMMAファイター相手に大苦戦したのだからやるせない気持ちもあるだろう。
ただ僕は、試合の後にガヌーの壮絶な半生を知るとなんだか嬉しくなった。
これは人間の可能性を肯定されたと捉えることもできるんじゃないだろうか。その理由を述べたい。

***

悪名高きナチスの総統ヒトラーは、いずれ人間は一部の支配者と大多数の被支配者に分かれて二極化すると予言した。二極化説は、ドストエフスキー著『罪と罰』でラスコーリニコフが語る凡人非凡人論やニーチェがツァラトゥストラを通して言わせた序文の超人と末人にも通ずる、現代社会にも心当たりがないとは言い切れない思想だ。

二極化はスポーツにおいても今後ますます進んでいくことが予想され、日進月歩で成長していく技術論やトレーニング論、スポーツ栄養学や様々に応用できる学術体系が確立されていけば、早いうちから優れた環境で練習ができる子どもばかりが将来花開く傾向は強まるだろう。
ボクシングの井上尚弥や井岡一翔、那須川天心など、父親がトレーナーとして教え込み、幼き頃から競技に慣れ親しんで練習に励んでいた選手が大成してる例は枚挙にいとまがない。もちろん、本人の弛まぬ努力あっての賜物であることは強調して付け加えておく。
それでも日本では特に少年野球が盛んなこともあって、大谷翔平のような世界でも例を見ない特別な選手が生まれた事実を思うと、やはり環境の重要度は高いと言わざるを得ない。

親ガチャとかいう恥知らずで親不孝な言葉も流行ったが、生まれた環境が現代社会において激しい出世競争の勝敗を分ける重要なファクターだと、多くの人が薄々感じているのだろう。

そこにきて、壮絶すぎる半生を過ごしたガヌーのボクシング大善戦である。
飲まず食わずの日々もあったという極貧の幼少期、22歳という遅い格闘技キャリアのスタート、20代半ばを過ぎてから1年以上かけて母国カメルーンからフランスへと命懸けの亡命。およそスポーツエリートが辿るキャリア形成とは真逆の生き方を送った男が、初めて行うボクシングマッチで現在世界最強ボクサーからダウンを奪う大善戦をしてのけた。
これはボクシングに一泡吹かせたというより、現代社会に突きつけた個の尊厳のような気がしてならない。正解とされる道を歩む品行方正な人間達への、「生きることってそんな楽な答え合わせじゃねえんだよ」という痛快なアンサーだ。

尊敬する格闘家の青木真也が以前、格闘技はカウンターカルチャーだと言っていた。ガヌーは自らの手でカウンターカルチャーをやってのけたのだ。
……いや、全部僕の解釈だけどさ。

本人はそんなこと全く考えてないだろうし、あれこれ騒いで解説しだすのもみっともないかも知れないけど(しかもハイライトでしか見てない)、なんか胸がすく思いがしたんだよね。
ボクシングオタクだし、特にフューリー大好きなのに、不思議な話だけどさ。
なんというか、僕の弱い心に生まれた他人を羨む気持ちを否定して貰えたような気分だ。熱心な父親の指導の元、幼い頃から活躍するエリートを間近で見ながら、自分との実力の違いを環境のせいにしたくなる僕の心の弱さを、誰よりも劣悪な環境から這い上がったガヌーが否定してくれた。だってガヌーは僕が今まで見てきた誰よりも、ボクシングでもMMAでも喧嘩でも圧倒的に強いんだから。

人生は環境じゃ決まらないよね。決まってたまるかよ。
たとえどんなに煌びやかでも、決められた人生なんて歩む価値がない。人間がこの世で生きる意味は、きっと自由と反抗の先にあるんだ。
己の意思で道は拓けるのだと、僕ももう少し信じてみたい。

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