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遠藤健太郎vsチャン・タオ

韓国で試合が決まった時の話

最近負けてばっかだから負け試合のことばかり書いてるし、まあそれは仕方ないとしても勝利には勝利にしか味わえない光景や感情があるのは確かだし、その瞬間に自分が感じた気持ちを書き残しておきたいというのもあるから、今日は昔の勝った試合を思い出して書こうかな。

***

今から8年前、当時6回戦ボクサーだった僕は韓国で試合をしていた。
2012年頃からだろうか。ボクシング人気がすっかり下火になり、低迷し続けている韓国ボクシング界の復権を期待して、韓国を再び日本のライバル国として共に切磋琢磨してボクシングを盛り上げていこうという取り組みで、主に韓国で日韓戦が開催されるようになっていった。
そこで、毎年韓国で開催される日韓戦のメンバーとしてよく選ばれていた僕は2013年〜2015年に渡り、それまでに3度、韓国で試合をしていた。
……日本で試合してもチケットを売らないから、韓国行き要員として選ばれていたんだと思う。

2015年12月12日、韓国で開催される大会にまた出場することになった。今回は日中韓3カ国対抗戦。3カ国の代表4名ずつで争い、総合点の高さを競う形式だ。
僕はおそらく日本人韓国戦最多出場かもしれない、4度目(!)の韓国での試合に臨むことになった。
対戦相手は中国人のチャン・タオという選手らしい。漢字で書くと張涛。韓国に行って中国人と試合をするというのも不思議な感じだが、3カ国で争うのだから日本選手2名は中国人と試合をするのだ。

大会ポスター

これで僕は3試合連続で韓国戦。遠征費用は全部出して貰えるのだから、世界のどこで戦っても一緒だ。
その辺は僕も図太いというか、抜けているんだろう。正直ホームとかアウェーという感覚があまりなく、試合をできるならどこでもいいやという気持ちだった。こちとら、人生いつもアウェーですよ(笑)
別に日本で試合をしても、観に来てくれる人はごく僅か。恋人でも観に来てくれるんなら話は別だが、僕には関係のない話だった。
今回は韓国本島ではなくリゾート地のチェジュ島。日本でいう沖縄みたいな場所なのかな?
観光に行く訳ではないし、リングに上がれば一対一。どこだろうと関係なかった。
だからなのか、たかだか同じ日本で関西ジム所属の選手が後楽園ホールで試合をしたり、逆に関東の選手が関西で試合をする時に、「アウェーの不利は承知なので〜」と神経質に気にしているのを見るとダセェなと思ってた。そこ気になる!? って。
……でも地元判定なんて言葉もあるわけだし、本気で勝利を目指していれば意識すべきところはあるのかもしれないと、今は思う。
倒せば関係ないだろ、というのは豪快で気持ちいい発想だが、裏を返せばそれ以外の展開を細やかに想定する緻密さを放棄していた部分もあったのだろうな。

話は変わるけど去年、Facebookのメッセンジャーに、ドイツでのボクシングの試合オファーが急に届いた。キックの試合が決まってたから、試合が終わってから返事をさせてくれと頼んだら、いつの間にか別の選手に決まってしまった。
めちゃくちゃやりたかったなぁ。キックの試合を蹴って(キックだけに)ドイツ行けば良かったかなぁ。しかも試合はドイツインターナショナルタイトルとかいうタイトルマッチ。なんで僕なんだろとは思ったけど、代わりに出たアルゼンチンの選手も僕と似たような戦績だったし、外国人を呼んで地元のチャンプを勝たせるための試合って感じだったのかな。そのドイツ人チャンピオンはたしか戦績21勝17KO1敗とかだったし。殺されるわ(笑)
でも、やりたかった。最後にめちゃくちゃ強い相手と敵地で戦えたら、僕はボクシングへの未練を断ち切れていたのだろうか。

試合が近づくと、それまで韓国戦で微妙な判定を毎回落としていたこともあり、僕は倒すことだけ考えて韓国チェジュ島での試合に向けて練習を重ねていた。
病弱だから冬の試合はだいたい毎回風邪を引いている僕は、たしかその時も直前に風邪を引いてジムを休んでいたけど、それで逆に体重は落ちたからまあいいかと思ったのを憶えている。
僕はビビりな割には図太い部分もあるから、こんなに長いこと格闘技を続けてこられたのかなぁ。

***

出発前のハプニング

試合2日前、2015年12月10日の朝。
僕は羽田空港に向かい、韓国へと飛び立つ予定だった。待ち合わせ時間の30分近く前には到着して、計量前日の空腹を堪えて程よい緊張感を持ちながら日本メンバーが来るのを待っていた。
ジムの会長と、他のジムの選手や関係者、総勢15名くらいだったかなぁ。韓国戦を一番経験している僕は勝手知ったりと、慌てることなく余裕を持って他の人たちの到着を待っていた。

待ち合わせ時間の10分前になった。
まだ誰も来ない。辺りを見回すが、それらしい人は見当たらない。遅えよ。社会人だろうが、と柄にもないセリフを吐きたくなる気分にもなる。僕はかなりの遅刻癖がある人間のくせに、自分が人を待つのは大嫌いだ。ラーメン屋とかで行列に並ぶ人の神経が理解できない。
待ち合わせ時間の5分前になった。
まだ誰も来ない。さすがに誰かはもう来てるだろ! と少し焦り出した。待ち合わせ場所を間違えているのだろうか。第三ロビー前ってここじゃないのか? と不安になる。
会長から届いていた集合場所のLINEを再度確認しながら、いやここで合ってるよな? とウロウロしながら自分に言い聞かせていた。
ついに待ち合わせの時間になった。
まだ誰もいない。さすがにおかしいと思い、内心焦りまくった。計量前日の乾いた背中に嫌な汗がつたっていた。
受付のスタッフに聞いてみた。「すみません、ここが第三ロビーですよね?」
「はい、その辺りが第三ロビーになります」
「え、第三ロビーで待ち合わせをしてるんですけど、他にもあったりしますか?」
「いえ、第三ロビーはここだけになります」
そんなやり取りをしたのを憶えている。おかしいな、と思い会長が送った集合場所のLINEを開いて何度も確認する。

12月10日 成田空港 第三ロビー10時集合

ん!? え!?!?

成田空港だ!!!

……僕は羽田空港にいた。
ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。
どうしよどうしよどうしよどうしよどうしよ。
終わった。脂汗が全身の毛穴から吹き出す。とりあえず会長に電話をしなければ。
ルルルルルル、ルルルルルル、ルルルルルル。
「はい」
「あっ、会長すみません…… あの、間違えて羽田空港に来てしまいました……」
自分でもわかるくらい声が震えていた。
「お前バカか…… どうすんだよ?」
「すみません! すぐに電車で成田に向かいます!」
「電車じゃ間に合わないからタクシーで来い。金はあるか?」
「わかりました! はい、お金はあります」
こうして僕は急いで羽田空港を飛び出してタクシーに乗り込んだ。
……言い訳すると、それまでの日韓戦は毎回、羽田空港発だったからさぁ。

「はい、どちらまで?」
「すみません! 成田空港までお願いします!!」
「かしこまりました」
「あの、とにかく急いでください!!」
「うーーん、まあ……」
タクシーの運転手はなんか歯切れの悪い返答だった。急げよボケ。全開で飛ばしますって言え。とその時は思ったが、急ぐとか中々言えないらしいねタクシーの運転手って。予定通り着かない時にクレームに繋がるし、安全運転を守らないといけないからね。

僕は車内でも落ち着かず、座席でお尻を上げたり、見ても何もわからないのに景色を眺めて今どの辺なのかを気にしていた。
会長から電話がかかってくる。心臓が誰かに握られたかのようにキュッと締め付けられる。
「……はい!!」
「今どこだ?」
「今タクシーの中です!」
「場所はどの辺だ?」
「えっっっと、わからないです」
「わかったら連絡しろ」
ガチャリ。
真冬にも関わらず、インナーがぐしょぐしょになるくらい汗まみれで気持ち悪かった。ナチュラルに水抜きやん。
看板を見ると酒々井と書いてあった。しゅしゅい? どこやねん。すぐに漢字検索して酒々井(しすい)だと知る。すぐさま会長にLINEを送る。
「看板に酒々井と書いてありました!」
「わかった」

羽田からタクシーに乗って、1時間くらいで成田空港が見えてきただろうか。羽田→成田間の所要時間は1〜2時間らしいから、僕の頼みに歯切れの悪い答え方をした割に、運転手さんはちゃんと急いでくれたみたいだ。その節はありがとうございました。
羽田空港から成田空港に向かってくれなんて、明らかに空港を間違えたってわかるよね(笑)
気を利かせて急いでくれたんじゃないかな。
成田空港の前で停め、料金を払う。26000円かかった。高え…… 痛すぎる出費だ。
タクシーを降りると僕は全速力で空港内を駆け抜けた。指定された場所がどの辺かもわからず、受付で聞いている暇もないと思って走りながら全方位を見回した。

……!!!
前に韓国行った時に一緒にいた人がいる!!!
「あ、すみません! 遅くなりました!」
「あ、遠藤選手」
その人は日韓戦の時にいつも通訳をしたりしてくれる人で、息を切らして必死に謝る僕を見て穏やかに笑っていた。
近くに会長もいた。僕の方へ近づいてくる。ギクッ! という漫画の擬音が、これほどピタリと当てはまる状況もなかなかないだろう。
「おい、ふざけんなよ」
「すみませんでした!!」
「お前のせいで持っていくお土産選べなかっただろ」
……あれ? そこまで怒ってないかな?
「行くぞ」
「はい!!」

こうして、僕はなんとか助かった。
入場ゲートを通ると他のジムの選手たちもいた。搭乗って結構時間に余裕あるのね。暇そうにスマホいじってる他の選手を見て少し安心したのを憶えている。
「成田空港って書いてあんだろ」
会長が呆れ顔で言う。他の人も苦笑いを浮かべていた。
「お前はもう一人のモンスターだな」
完全にただの皮肉なんだけど、ボクシング界のモンスターじゃなくてモンスターペアレントとかそっちの意味のモンスターなんだけど、モンスターと言われればちょっと嬉しい(笑)
そうして七転八倒ありながらも、韓国はチェジュ島へと無事に旅立った。

***

試合前日はバッチバチ

チェジュ島に着く頃には、もう夜になっていた。
空港からホテルへと車で向かい、計量の前日で満足に食事もできないのでその日は到着してすぐ解散となった。
「タクシー代いくらかかった?」会長に聞かれる。「えっと、26000円でした!」
「KO勝ちしたら払ってやるよ」
「本当ですか!? はい! 倒します!」
モチベーションが上がり、酷く疲れたこともあり僕はぐっすりと眠りについた。

翌日。試合会場でもある計量場所へと、日本選手団を乗せた車は向かった。
試合会場は豪勢なホテルのホール。カジノがあったり、なんか色々とセレブリティなホテルだったな。

チェジュ島はお金持ちの遊び場って感じ
日本メンバーで

計量が始まり、対戦相手と初めて顔を合わせた。お互いが体重計に乗り、無事に計量をパスすると向かい合って写真を撮ることになった。
対戦相手のチャン・タオがすかさず距離を詰めて僕の顎元に拳を向けた。

……この野郎。
僕もスイッチが入り、戦闘モードになる。
「遠藤くん、顔怖いよ(笑)」
顔馴染みの他のジムのトレーナーの孫さんに言われた。

相手は中国のアマチュアチャンピオンらしい。
プロデビュー戦だって聞いていたけど、海外ボクシングサイトboxrec見たら一敗してた。詳しいことは知らんけど。
ただ会長はアマチュアチャンピオンというのを評価していて、「6ラウンドあれば絶対相手落ちていくから、後半倒せ。根性出せよ」と後半勝負を指示したので、やはりテクニックはあるんだろうなと思った。

相手と顔を合わせると一気に試合モードになるのは、誰とどこで試合をする時も同じだ。
それまでのどこか旅行気分で、初めての土地へ来た新鮮さや読めないハングルや見慣れぬ文化の異国情緒に対する高揚は露と消え失せ、明日の試合へと気持ちが全集中した。
計量を終えるとみんなで参鶏湯とか消化に良さそうな食事をして、ホテルへと戻ると夜は一人で繁華街をうろついた。
あの時は夕飯に何を食べたかなぁ。4回も韓国に行ってるから記憶が混同してる。
サムギョプサルを食べたこともあれば、アワビのお粥を食べたり、屋台で餅みたいなのを食べたりもしたなぁ。韓国はメニューに日本語表記がだいたいあるから一人でも困ることはあまりない。

……思い返して書いていると、旅に出たくなってきたな(笑)
来年は海外旅行でもしようかしら。

***

運命の決戦当日

試合当日。
ホテルのビュッフェで朝食を食べようとおかずを選んでいると、対戦相手のチャン・タオもいた。

一緒のホテルだったんかい。

まあそうか。向こうも中国からはるばる来てるんだし。
微妙に気まずい。僕はなんとか必死に、不敵な笑みを浮かべて余裕があるように見せた。
相手も笑っていたけど多分、同じ心理状態だったんだろうな(笑)

朝食を食べ終えて、車で日本選手団のみんなを乗せて会場に向かい、開会式が始まった。

左から3番目が僕

働いていた学童保育で作った藍染? のTシャツを着た。なんか子ども達からパワーを貰える気がしてね。8年前だから、当時小学6年生の子は今もうハタチなんだよな。早いなぁ。時の流れが速すぎる。

試合が始まるまでフリーになった。
たしか、日中韓対抗戦の前に韓国人同士の前座が何試合かあって、それから対抗戦が始まるから試合まで時間に余裕があったんだよね。
暇だから僕は散歩した。時折りシャドーボクシングをしながら身体の調子を確かめつつ、海とゴルフ場ばかりのリゾート地の景観を楽しんで出来るだけリラックスしようとした。


会場の近くには道路に垂れ幕が出ていた。
すご。力が入ってるのか、文化の違いなのか。日本じゃそう簡単にやれないよね。

パンフレットも3カ国語で用意されてたし。
『国家対抗戦』って壮大な響きだよね。国を代表できるような選手じゃないけど、まあでも誇らしい気分にもなりますよ。

刻々と試合の時間が近づいていた。

***

そして自分の試合が始まる

日中韓3カ国対抗戦が始まった。
僕は日本選手の中でたしか三番手。控え室から前の選手の試合をモニターで見ながらウォーミングアップをした。セコンドについてくれるのは会長と長い付き合いのある、韓国にジムを持つ韓国人のムーさん。僕が韓国で試合をする度に毎回セコンドについてくれていた。もう一人は川崎新田ジムのトレーナー、孫さん。今回は所属ジム関係なく、日本チームという感じだ。
だからか、他の選手とも仲良くなり二人とFacebookで友達になった。現在、一人は地元に戻りジムを開いて会長をしており、もう一人は古巣のジムでトレーナーを務めている。現役を離れてもみんなボクシングが好きなんだよな。
……名前出していいか!
川崎新田の太田君とT&Tの大坪さん。今後ますますのご活躍を陰ながら応援しておりますね。

その二人は、太田君がドロー、大坪さんは判定負けだった。4人の中で唯一日本ランカーだったのが大坪さんだから、実質日本チームのエースみたいな感じもしてたんだけど、それがデビュー戦くらいの中国の選手に判定負けしたから「中国人強いな!?」と僕にもプレッシャーがかかった。
当時(今もだけど)中国はプロボクシングが盛んではなく、しかし大国でありアマチュアボクシングでは好成績を収めているから、いよいよプロボクシングに本格的に乗り出すのかという未知の強豪感満載だった。結局現在まで、中国人プロボクサーで活躍した選手は片手に収まる程度しか出てないけど。
でも旧ソ連圏にいる無名の実力者の多さを鑑みると、中国も本格的にプロボクシングやったら強い奴がゴロゴロいそうなんだけどな。

控え室でミットを打つ。対戦相手が通りがかると辞める(笑)その辺が小心者の僕。
「えんど、真っ直ぐだよ。真っ直ぐ」
片言の日本語でムーさんが一生懸命に伝えてくれる。真っ直ぐ、真っ直ぐ…… 僕は自分に言い聞かせた。
小柄な相手が入ってくるところに真っ直ぐ合わせる。それで倒す。狙いは決まった。
イヤホンで乃木坂46の『革命の馬』を流す。

革命の鞭を打て!
全力を見せてみろよ
お金や名誉など価値ない
さあプライド 思い出せ!
未来はそこだ
涙の前に汗流せ!
思ってるだけじゃ変われないよ
生きることとは闘いだ

乃木坂46『革命の馬』

生きることとは闘いだ……
歌詞を心の中で反芻して自分に言い聞かせる。
さあ、闘いだ。闘うんだ。弱い心を必死に奮い立たせて、僕はリングに上がる覚悟を作っていった。

そして遂に、僕の出番が回ってきた。

青コーナーのチャン・タオが先に入場すると、照明が真っ赤に変わった。これから赤コーナーの僕が入場することをアナウンスが韓国語で告げたみたいだ。
巨大モニターが真ん中で割れて、通路の両サイドから煙が立ち上った。
……こわっ。慣れてないからびっくり。
入場する前に少しポーズをなにかやってくれと頼まれていたので、海外ボクサーがよくやる細かいアッパーの連打をパフォーマンスでやってみせてから僕は花道を歩いた。

リングに上がるとコールを受ける。
なにを言ってるかはもちろん全然わからない。リング中央で対戦相手と顔を合わせると、相手の気合いがより一層伝わってくる。
……絶対負けねえ。気合いを入れてコーナーに分かれた。

第一ラウンドのゴングが鳴った。

***

遠藤健太郎vsチャン・タオ

リング中央で相手の出方を探りながら向かい合う。
間合いには絶対に入れさせない。
僕は目の前にATフィールドを張ったような感じで、自分の間合いに入ったらすかさずストレートを狙い打つつもりでプレッシャーをかけていった。


僕の空間を嫌ってか、相手はフットワークを使い周りながら様子を見ていた。ジリジリとプレッシャーをかけてロープ際に詰め、強い左ジャブを一発入れた。バチン! と当たり、相手が目を白黒させたのがわかった。
相手はそれで少し焦ったのか、フットワークのテンポを速めて「今にも飛び込んでいくぞ」と脅しをかけてきた。
焦るな。呑まれるな。僕は冷静に努めようと心がけた。
フットワークで脅しをかけながら相手が素早いワンツーで踏み込んできた刹那、反射的に真っ直ぐ伸ばした僕の右ストレートがカウンターで相手の顔面を打ち抜いた。

ドンッ!!

相手は腰から落ちて尻餅をついた。
よし、よし、よし!!!
「遠藤くん、冷静にだよ冷静に!!」
孫さんの声が聞こえた。
うん、冷静にだ冷静に…… そう自分に言い聞かせたが、しかし再開後の僕は力みまくっていた。効いている相手はたまらずクリンチを連発する。僕は上手くパンチを当てることができずに、結局このラウンドで仕留め切ることができなかった。

「えんど! 落ち着け! 落ち着け!」
「相手もう効いてるから! 思いっきりじゃなくていい。小さく小さく。小さく連打で倒せるよ!」
「はいっ!!」
返事はハッキリ。
2ラウンド目のゴングが鳴った。
やはり相手は前のラウンドのダメージを引きずっていた。動きが緩慢でフットワークもない。
僕は言われた通り、ガードを上げて真っ直ぐ小さく連打をした。力みまくっていて、会心の当たりとは程遠いけれど、コツンコツンと何発か当たると相手は簡単に倒れてくれた。
……ダウンだ。
相手が立ち上がり、再開してもすぐさま同じ展開でまたダウンを奪った。
再び立ち上がった相手に更に襲いかかり連打を続けたところで、レフェリーが試合を止めた。

2ラウンドKO勝利だ。

……っしゃああ!!!
異国の地で吠えてみせた。気持ちいい。

「よおし!! えんど! やったな!」
コーナーに戻るとムーさんが全力で喜んでくれる。抱き合ったあと、肩車までされちゃった(笑)
世界戦じゃないんだから、とも思ったけど嬉しいものは嬉しい。
ムーさん、本当にありがとうございました。

レフェリーの右隣がムーさん

***

試合を終えて

いやー、良かった。
試合後の安堵感と高揚感。脳汁ドバドバ。これがあるからボクシングは中毒になるのだろう。

右の娘が好みかな

帰りのバスの中で会長と試合後に初めて会った。
「あっ、ありがとうございました!」
「すげえドヤ顔だなぁ(笑)」
顔に出ちゃってたか(笑)
結局日本チームは僕の1勝のみで、対抗戦はビリだった。1勝2敗1分。
でも全然いい! だって個人競技だもの。むしろ自分だけが勝ったという優越感に浸れるのだから、他の選手がみんな勝つより断然気分がいい。
……うん、個人競技しか無理だな僕は。

夕飯はみんなで韓国焼肉。元気がない他の選手を横目にモリモリ食べましたよ。
夕飯を済ませて、ホテルの部屋に戻るとやっと長い1日が終わった。

……はぁ。よかったぁ〜〜

色々な感情が込み上げてくる。
俺、勝ったんだ。よかったぁ。
家族、知人、友人に結果報告をする。負けると気が重いこの恒例行事も、勝った後ならテキパキとこなせる。
おめでとうの返信を今か今かと待ち侘びていると眠れない。ああ〜、よかった。

貰ったトロフィー

勝つとお祭り騒ぎで祝勝会をしたりして盛り上がる選手も多いと思うけど、僕は一人で勝利の味を噛み締める時間の方が好きだ。
余韻に浸りながら、試合を思い起こして様々な感情に想いを巡らせて、一人静かな部屋で布団に入る時間が最高に幸せだ。この感情は闘った人間にしか味わえない。ああ、幸せだ。
充足感に満たされて僕は眠りについた。

翌日、帰国の日。
「約束しちゃったからなぁ」
空港で会長がタクシー代をくれた。
「ありがとうございます!」
見送りにきていたムーさんにもお礼を言い、日本へと帰国した。

帰りの機内。僕は大坪さんの隣だった。
「え、遠藤さんは出身どこですか?」
「自分は埼玉ですね。ボクシングしたくて横浜に出てきたんですよ」
「最初から大橋ジムでプロになろうと思ってたんすか?」
「いや、最初は帝拳行こうと思って見学したんですけど、あの辺すげえごちゃごちゃしてるじゃないすか? ちょっと東京は住めねえなぁと思って横浜にしました(笑)」
「あー、そうなんすね」
……後ろに会長が座っていたらしい。

後日ジムで、「てめえ東京住めないからって理由で大橋選んだのか?」とトレーナーにめっちゃ言われた(笑)
「い、いや! もちろん強いジムだからです!」
「帝拳だったらとっくにクビだよ」
「そ、そうですね。ありがとうございます(?)」

……と色々あったが、やはり試合は思い出深い。全部の試合を今でも鮮明に思い起こせるのだから、それだけ濃密な時間が流れていたのだろう。
人生は長短じゃないとはよく言われるが、過ぎ去った時間は平等に流れているわけでもないんだと改めて思う。どれだけ濃密な時を過ごせたか。どれほど刹那に命を燃やせたか。
どうせ死ぬなら、命を燃やし尽くして真っ白な灰になりたいと、矢吹丈のようなことを考えるのでした。

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