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キレイでそつない仕事は儲からない

私は営業という仕事に長年携わってきたのですが、その原点となるのは小規模の印刷屋さんの営業マンとしての経験でした。このときに、営業に限らず「仕事」に関する学びや経験をたくさん得たのですが、今日はその中からあるストーリーをお話します。

当時、私の担当していたお客様の中で一番の大口取引先は、いわゆる「町の電気屋さん」で、大通りに面した路面店でテレビやエアコン、洗濯機などを売るお店でした。そのお店のチラシを2週間に一度印刷し、新聞折込をするというのが発注いただいているお仕事でした。
この電気屋さんの社長の井上さん(仮名)はとにかく強面の男性で、言葉少なく、ぶっきらぼうで、私の方から質問をするのは毎回ドキドキするような、そんな緊張感のある人でした。(ちなみにその時の私は20代前半)

ある日の夕方、私はチラシの原稿の最終確認のため、井上さんを訪問していました。当時、私は社用車で営業先を回っていたため、その日も車で出向いたのですが、商談を終えて車に戻るとエンジンが掛かりません。どうもバッテリーが上がってしまったようでした。
私の頭のなかでは「まずい、こんなカッコ悪いところお客さんに見られる訳にはいかない」という思考が生まれ、迷わずJAFに連絡し、ロードサービスの人が車を動かせる状態にしてくれ、速やかにことを収束させ、帰社しました。

そんな経緯を帰社後、私の上司に報告したところ、「おまえはバカか。そんな千載一遇のチャンスをなんでみすみす見逃すんだ。」とお叱りを受けました。(当時はまだ、こういう荒っぽい言葉を職場で使って良い時代でした)

上司が言うには「関係性っていうのは、こういう時に育むものなんだよ。普段の会話ではなかなか近づけないから、何かいつもと違うことが起きた時に距離を縮めるんだよ。」ということでした。

私としては、バッテリーが上がって困っていることは「恥ずかしいこと」であり、井上さんには見せたくない醜態で、彼の時間を奪う迷惑な行為だと感じていました。もし、そういうところを見られたら、怒られそうで怖いし、もしかしたら今後の受注にも影響があるかもしれない。そんな風に考えました。なので、なるべく早く、静かに立ち去るという選択をしたのです。

しかし、私の上司から見えていた景色は全く別のものだったようです。このとき私に起きたことは「恥ずかしいこと」ではなく「面白いこと」であり、いわゆる「ネタ」である。ということ。そのネタを活用しない手はない、ということなんだそうで、こんな会話をしたらいいじゃないか、ということのようでした。

私「井上さん、すいません、車のバッテリーが上がっちゃって、帰れなくなってしまいました。」
井上さん「お前なにやってんだよ、しょうがねぇな、どれどれ」
・・・と言って、お店の外に出てくる・・・そして
井上さん「ウチは電気屋だからいろいろ持ってるぞ。ちょっと従業員にエンジンかけさせるから待ってな。コーヒー淹れるからちょっとゆっくりしていきな。」

上司いわく「ま、だいたいこういう展開になるわな。そしたら、いつもと違う環境で相手と話すチャンスも生まれるし、一緒に何かをした連帯感も生まれるから、仲良くなれる。こういうチャンスをいかに作れるかが大事で、自分の不幸や恥ずかしい部分も、ネタとして使えるなら使えばいい、という話だよ。」
私は心の中で「そんな恥ずかしいことできるかよ」と思いました。

そんな話が終わるか終わらないかのタイミングで上司は「ちょっと行ってくるわ」と井上さんのところに出向き、私のバッテリー上がりストーリーを井上さんに面白おかしく語り「林はこういうネタを上手に使わないからつまらない」と私をダシにして会話を盛り上げ、関係性を上手に構築し、相手の懐に入り、新しい注文をもらって戻ってきました。
そして、私が次に井上さんを訪問したときには「おまえ、冷たいな。困ったときはひと声かけてくれればいいのにな。」と言い捨てられ、関係性は今までと全く変わらず、距離は縮められないという結末になりました。

当時の私としては、不愉快極まりない体験ではありましたが、ここにはプロとしての大切な学びが隠されています。これはつまり「どちらの視点に立って物事を考え、判断するのか」という示唆です。私としては、とにかく「キレイに物事を進めたかった」わけです。言い換えると「私はちゃんとやっている」ことをアピールすることが大切だった。要するに「自分に矢印が向いている」状態だった。

反対に私の上司は「相手の印象に残る働きかけをすること」が大切だと考えた。「相手との距離を縮め、より気さくに話ができたほうが、相手も物が言いやすくなるだろうから、より具体的な要望を話すことができて、それがわかることで最終的に相手の利益に貢献できる。」それに「同じような仕事を毎日している大人は、なにか面白いことないかなって探しているはずだ」そんなことを見据えていたように思います。

つまり、自分に矢印を向けたまま仕事をするのか、相手の視点に立って仕事をするのか、その選択肢が仕事の質を左右するというわけです。今回のことで考えれば、キレイでそつない仕事をした私は今までと同じビジネスボリュームしか得られず「薄い」関係性を維持する結果になったのに対して、キレイではなく一手間多くかけた上司の方は、別の注文という新しい売上を得られ、より「近い」関係性も得られた。そんな違いを生むのではないかということです。

これは私の今の仕事でも大いに生かされています。例えば、研修講師をするときには「プログラムを遂行し、伝えるべきことを与えられた時間で伝える」ことができれば研修講師として「合格」です。ただこれは、私がキレイにやりたいという自分への矢印を優先させたお話です。

「これが受講者にとってどんな学びで、何をすることでより受講者のメリットになるんだろう」と考え、それに向かってストーリーを作っていく。必要であれば、私の失敗談を面白おかしく語る。それによって相手の学びに貢献できるなら、自分の恥も喜んで使う。つまり「相手に矢印を向ける」ことがリピート受注を生み出すことに繋がっていると思います。

皆さんの矢印はどっちに向いているでしょうか?

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